
佐藤花音さん DynaSpeak【学生】
憧れのチームを目指しニュージーランドへ ダンスを始めたのは8歳の時です。母が歌手のAIさんの大ファンで、一緒にコンサートに行った時、バックダンサーの踊りを見てかっこいいと思ったのがきっかけです。私の憧れのチームが「Royal Family...
憧れのチームを目指しニュージーランドへ ダンスを始めたのは8歳の時です。母が歌手のAIさんの大ファンで、一緒にコンサートに行った時、バックダンサーの踊りを見てかっこいいと思ったのがきっかけです。私の憧れのチームが「Royal Family...
苦い経験からソーシャルワーカーを目指す ニュージーランドには2007年に来て、初めはネイルサロンで働いていたんですが、給料をずっと払ってもらえなかったんです。「トレーニング」と言われ、契約書もなく、「給料はそのうち払う」と口約束だけで働き...
「英語が話せない」無力感から留学を決意 大学の卒業旅行でイタリアとフランスに行ったんです。一緒に行った友人は2人とも留学経験者で、街で道を尋ねたりすると時々話が盛り上がって、楽しそうにしていたんです。でも、英語が話せない僕は蚊帳の外。全く...
2016年の「Export New Zealand」のEndance Service部門を受賞したICL Education Group所属の語学学校のAEA。グループ校には、ビジネスやIT、幼児教育のディプロマコースを展開する専門学校...
エスプレッソマシンの使い方も一から分かりやすく指導 専用の計りを使ってエスプレッソを抽出 スチームの仕方もマンツーマンで手ほどき 初心者でもラテアートに挑戦 E-cube読者のための特典 「E-cubeを見た」と申し込むと初回セッション(...
Westies DAIさんがボーカルを務める日本人×マオリのバンド。メンバーは左からDaleさん(ドラム)、Danielさん(サイドボーカル)、DAIさん、Mafuさん(リードギター)。 明石 昌夫さん 元B'zのメンバー...
経験重視のニュージーランドで就職活動 ニュージーランドに来たのは、2016年の10月です。「ワーキングホリデーに行きたいから」と、当時勤めていた星野リゾートの日光の旅館を6月に辞め、そこから準備を始めました。前から海外で生活をしてみたかっ...
※データは2017年6月時点のものです IELTS International English Language Testing System 年間290万人が受験。大学や大学院などへの入学の際に判断の基準となる「Academic M...
NZQA Level9の「MBA(Master of Business Administration)」は、18カ月で財務会計や人的管理、ビジネスオペレーション、マーケティングなどの分野を体系的に学ぶプログラム。入学には原則として2年以上の...
振るわなかった高校時代、卒業直後に渡航 ずっとニュージーランドのラグビーが好きだったんです。ニュージーランドのラグビーは、日本とはスピードやプレーの仕方が全然違う。小学1年生でラグビーを始めてから、試合をよくテレビで見ていました。 高校...
妊娠・出産を経て「助産師になる」が目標に 日本では大学を卒業してから、神奈川県内と東京都内の病院で看護師として10年くらい働いていました。その間に結婚をして、2人の娘を出産しました。妊娠・出産を通し、妊娠・出産が奇跡の連続で成り立っている...
E-cube読者のための特典 (体験レッスンは対象外) 下記のレッスン用カラー教材を無料プレゼント ・各講座の基礎テキスト($20) ・カラーカード($15) カラーセラピスト養成講座 カラーセラピストは、色を通して人の内面の状態を把...
ニュージーランド 英語 教師 トビタテ!留学JAPAN 留学
人とのつながりから仕事が見つかる ニュージーランドでは、"Hidden Job Market"といって一般には公開されていない求人が労働市場でかなりの割合を占めます。これはつまり、雇用主が直接知っている人や、スタッフや友人が推薦する人から...
「仕事第一」の生活から考えた転職 昔から海外生活への憧れはあったんです。でも英語もできなかったし、現実的ではないと思って大学卒業後は地元の地方銀行にSEとして就職しました。忙しかったし、プレッシャーも大きかった。最後の年は毎日夜中まで働い...
観光業が盛んなニュージーランドで活躍の場が広いホスピタリティーコースは、Level 3(Certificate in Hospitality)からLevel 7(Diploma in Tourism and Hotel Managemen...
新聞記者を辞めワーキングホリデーへ 日本では大学を卒業してから地元の情報誌の広告営業の仕事に就いて、その後同じく群馬県の地元紙の記者として働きました。忙しい毎日の中で、ある時ふと自分の人生について考えたんです。当時付き合っていた彼もいた...
1年半の準備を費やし、NZLCが今年満を持して始めたのが「NZQA approved English Test(NET)」。ニュージーランドの政府機関の一つであるNZQA (New Zealand Qualifications Autho...
大学で初めて知った「英語を話す喜び」 ニュージーランドで生活するのは、実は二度目なんです。初めて来たのは2010年から2011年にかけて。大学3年の時に1年間、オークランドで語学留学をしていました。イメージが良かったんですよね。「ラストサ...
「ワーホリ」がきっかけで20年 ニュージーランドに初めて来たのは1997年くらいですかね。ワーキングホリデーで。日本では美容師をしていました。実家が美容室で。その頃魚釣りに凝っていて、マス釣りがしたくてクイーンズタウンに来て。ニュージーラ...
マウンテンバイクで体を動かす ロトルアの中心地から車で5分ほどのところ にあるレッドウッドフォレスト。約55,000haの森の中には、見事なレッドウッド(外来種セコイア杉)と在来種の樹木が茂っています。森の空気は澄み渡り、ウォーキング、ハイ...
大黒キーストリート店 記念すべき大黒レストラン第1号店。開店当時の"古き日本"のコンセプトをそのまま残し、時の流れとともに店内はますます趣深い雰囲気に。このキーストリート店ではランチタイムに鉄板焼きパフォーマンスを楽しむことができます。ス...
日本人がほっとする器 ドイツ生まれのElenaは日本での滞在歴もあり、日本の志野焼に影響を受けながら作品を作っています。彼女が作るのは日々使う器。毎日使うからこそ、それぞれの目的にあって、見た目が美しく、手触りがよく、使いやすいものを作って...
Local School Information - ACG ACGは、初等教育に加え、大学への進学、就職を視野に入れた高等教育までを提供するニュージーランド最大の私立教育機関です。1995年に、「未来と人生をより良いものへと進展させたい...
ニュージーランドに来るきっかけ 出身は北海道、札幌です。専門学校を卒業後、フェリー会社の乗務員として船内案内所で働いていた時に、外国の方と接する機会も多かったため、英会話を勉強し始めました。海外旅行もするようになり、そのうちに日本を出て仕...
ニュージーランドに来るきっかけ 休学届けを出すタイミングもあって、実は急遽決めた留学でした。もともとは卒業してから行くつもりでいたのですが、通っていた大学が、在学中の留学を推奨していたため、考えを変えました。両親ともに教員で、自分も教員志...
移住先にしたニュージーランド 直接のきっかけは東日本大震災後の原発事故です。それまで原発や放射能の知識など全くなかったのですが、夫に聞いたり、自分で調べていくうちに、様々な病気の原因になる可能性があること、そして今すぐに影響が出なくても五...
コーヒーとの出会い 20歳くらいからなんとなくコーヒーを飲むようになりました。当時はコーヒーの味についてなにも知りませんでしたから、インスタントやチェーン店のコーヒーの味を「これがコーヒーなんだ」と思って飲んでいました。大学時代に、家庭教...
ホスピタリティの勉強で名高いnzmaで会ったのは、将来は絶対世界的ホテルチェーンのマネージメントスタッフを目指すと決意している濱本久美子さんだった。長い勤務時間、時には安い賃金でつまらない仕事と捉えられることもあるホスピタリティ業界だが、「気づいて、自ら動く」ことが出来るとこれほどやりがいを見つけ出せる仕事はないと胸を膨らませている。他の国ではなく、ニュージーランドでホスピタリティを学ぶ必要があったと語る久美子さんにその理由と夢を実現させる決意を伺った。
ニュージーランドが得意とするラグビーと英語教育。この二つが教育省のEducation New Zealandによって日本とニュージーランド間の教育プロジェクトとして取り上げられ、Game on Englishと名付けられてスタートした。2019年に日本で行われるラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピックで日本とニュージーランドがスポーツ(特にラグビー)を通して交流を深めることが目的だ(オリンピックでは7人制ラグビーが正式種目)。
ニュージーランドのバリスタ選手権で日本人が優勝した。日本人としては史上二人目のニュージーランド・チャンピオンであり、日本人のバリスタとしての資質が高い事が証明された。 2014年大会のチャンピオン寺本寛子さんは、カフェ巡り好きが嵩じてバリスタの世界に入った。4月にシンガポールで行われたアジア太平洋選手権でも優勝し、6月のイタリアでの世界選手権へ向けて日々練習を重ねている。近年ニュージーランドでバリスタに興味を持つ日本人も増えている事から、将来は日本人バリスタの受け入れ体制を作って行きたいと語る。
「オークランドで関西のエフエム局やテレビ局で活躍していたパーソナリティに会ってビックリした」と言ったのはある語学学校のカウンセラー。「関西近辺に住んでいた人ならかなりの数の人が知っている」とも。それがシーナ・ナダスワニ・ギブソンさん。日本生まれ、日本育ちで、日本語も完璧。日本人の立場から英語をどうマスターすればいいかも伝授してくれた。メディアで仕事をしていたときの経験を活かしてニュージーランドで生活して行きたいと語る。
日本の大学で経済学を専攻している松本光央さんが春休みの期間を利用してAUT(オークランド工科大学)の語学学校International Houseへ入学した。去年はロンドンで英語を3週間勉強したそうだ。オークランドはロンドンと比べると気候も環境もよく、過ごしやすいという。ここでの学校生活や休日の過ごし方についてお話を伺った。
オークランド、ブリトマートの小さなデザートレストランMilse(ミルズ)は夜10時を過ぎても満席。予約なしで行ったらテーブルを確保することはほぼ無理。それでもテーブルが欲しければ、20〜30分待ちを覚悟しなければならない。 その理由は店内のショーウインドウに飾られているデザートを見れば分かる。整然と並べられた色とりどり、形状さまざまなデザートの数と種類に圧倒され、リピーターが続出しているからだ。ニュージーランドでは珍しいこのデザート専門のレストランはどこかの店でディナー終えた客に「じゃあデザートはMilseで」と、夜遅いにも関わらず、ディナー後のデザートを食べに来させるトレンドを作り出したと言われる。 ここまで多くの人を引きつけるようになるとは思ってもいなかったと語るヘッドシェフのBrian Campbell氏に伺った。
13歳の時に単身でニュージーランドへやって来た斎藤雷太さん。Whitireiaのクッカリーコースを卒業後、現在はLangham Hotelでシェフとして働いている。ニュージーランドへ来て早10年、学校や仕事についてお話しを伺った。
いつかブライダルプランナーになりたいんです、と夢を語る萌美さん。高校生の時から住みたいと思っていたニュージーランドでホスピタリティを学び、夢への道を一歩ずつ着実に進む。
AUTを卒業後、いくつかのショップで仕事をし、ついに自分のブランド、YUKA&TRISTANを立ち上げた。結婚、妊娠、出産を経て、現在は子育てをしながら、ブランドを広めていく彼女にインタビューに応えてもらった。
カフェ業界が盛んなニュージーランド。それだけにバリスタの数も多い。そんな国でバリスタのトレーナーとして働く刈菜さんに、人に知識/技術を英語で教えることの難しさ、やりがい、この仕事を通しての永住権取得、そして今後の展開を聞いた。
JKという愛称で親しまれているサー・ジョン・カーワン。2011年のラグビーワールドカップでは日本代表チームを率いていたから、日本人にも馴染み深い。彼の新しいチャレンジは昨シーズンの低迷で落ち込んでいるBluesを、再び最強の人気チームに育てあげること。
学生の頃からのニュージーランド永住計画を家族と一緒に実現した松村シェフ。オークランドシティの対岸に位置するタカプナのお客が多いカフェで働く彼に、数多くあるカフェとの差別化を聞く。
オークランドシティ内にプライベートサロンのオープンを3月に控えている日本人リフレクソロジスト、絢也子さんにこれまでの経緯を聞く。自分らしく、自分のペースで人生を送りたいという彼女が話す理想のリフレクソロジストとは。
ウェリントン空港のカフェテリアで、独特な顔つきで獲物を狙う巨大ゴラム。この、「ロード・オブ・ザ・リング」に続く大作「ホビット」のキャラクターである、ゴラムの彫刻を手掛けたのは、我らが日本人彫刻家のMasaさん。そんな時をかける彼の魅力に迫る。
今年5月にオークランド大学卒業後、日本に本帰国予定。その前に自分の英語を試してみたいとCELTA コース( 英語を母国語としない人への英語教師養成コース) に興味を持つ原田さん。コース修了後には、英語の先生になりたいという夢ができた原田さんに話を聞いた。
オークランド、イーデン・テラスの一角、サイモンストリートに面したひっそりと、しかし真っ白に一際輝く一軒のレストランがある。それが"KAZUYA"、今最もオークランドで話題のレストラン。敢えて、何料理との看板を出さない"KAZUYA"ならではの魅力に迫る。
子どものころからの夢を叶えるため、ニュージーランドに来た瑞穂さん。教えられたことを忠実に、実践に活かし、プロの翻訳家を目指す。授業だけではなく、色々なワークショップにも参加し、翻訳のノウハウを身につけ、大学を卒業したばかりの彼女に今までの経緯を聞いた。
いたるところで目にするかわいらしいロゴが特徴のチャーリーズ(Charlies's)。昨年日本の飲料メーカー、アサヒ・グループと提携し、新しく生まれ変わったチャーリーズの最高経営責任者に抜擢されたのが、自らの役職をCreative Exciting Opportunities(興奮するような機会を創造する:CEO) と名乗るクレイグ・コットン氏。
果てしない悲しく辛い時期を乗り越えてきた裕美さんとサイモンさん。自宅の敷地内に環境保護にこだわったゲストハウスを建てて始めたビジネスで、少しでも社会に恩返しがしたいと考えている。
ニュージーランドは移民の国とも呼ばれる程、世界各国から移り住んでくる人々が多い。それにあわせて移民をサポートする機関も多く存在する。自身も移民として家族と一緒にニュージーランドに移り住んで来た西村さんに、移住までの道のりと現在のお仕事について話を聞いた。
先月号で特集した、ニュージーランドの料理競技会、カリナリーフェア全国大会で4部門のメダルを手にした池田さん。ニュージーランドには、夫婦二人で移住を目指しやって来た。夫婦で留学、永住権を目指す道のりについて話を聞いた。
自分自身の病気が自然療法で完治したことがきっかけで、自然療法、ホメオパシーの世界へ飛び込んだカースティン テイラーさん。これだ、と決めたことをずっとあきらめずに続ければきっと成功する、との信念を持ち、2つのネットショップNew Zealand Health ShopとSleepDrops Internationalを通して自分で開発した自然派健康商品を販売している。
先月号で特集した、ニュージーランドの料理競技会、カリナリーフェア全国大会で4部門のメダルを手にした池田さん。ニュージーランドには、夫婦二人で移住を目指しやって来た。夫婦で留学、永住権を目指す道のりについて話を聞いた。
ニュージーランドは移民の国とも呼ばれる程、世界各国から移り住んでくる人々が多い。それにあわせて移民をサポートする機関も多く存在する。自身も移民として家族と一緒にニュージーランドに移り住んで来た西村さんに、移住までの道のりと現在のお仕事について話を聞いた。
日本の高校を途中で辞めてニュージーランドの高校へ通うこと2年。留学3年目の今年は大学生になった賢吾さん。勉強が急に大変になって、学期中は毎日とても忙しいという。大学初めての試験を終え、ほっと一息ついている彼と会った。
ホスピタリティの分野で学ぶ学生達が競い合うカリナリーフェアのカクテル部門で、見事2人の日本人が金メダルを受賞した。NZMAのホスピタリティマネジメントコースで学ぶ彩香さんと彰太さん。ニュージーランドでホスピタリティを学ぶ魅力について話を聞いた。
7月24日から8月2日までオークランドでラグビー合宿を行った報徳学園ラグビー部。15歳から18歳までの3学年、総計74人ものラグビープレーヤーが日本の夏休みを利用してニュージーランドで体験したラグビーとニュージーランドでの生活を現地レポーターが報告します。
7月24日から8月2日までオークランドでラグビー合宿を行った報徳学園ラグビー部。15歳から18歳までの3学年、総計74人ものラグビープレーヤーが日本の夏休みを利用してニュージーランドで体験したラグビーとニュージーランドでの生活を現地レポーターが報告します。
世界中で活躍している友梨さんは、オークランドに在住。ニュージーランドと日本を行ったり来たりしながら、演劇活動をしている。日本から帰ってきたばかりの彼女を、海辺の素敵なお宅へ訪ねた。
「移住、永住権に有利な資格」。海外への移住を考えるとき、そんな謳い文句を目にすることは少なくない。一昔前にそのように言われていた「園芸」コース。ガーデニングというイメージで人気もあるコースだが、実際には大変なことも。
グランドスタッフとして働く浅田さん。彼女は2年前にニュージーランドのフィティレイア国立工科大学を卒業、英語環境で働く経験を積んだ後、日本に戻り就職した。新卒で海外就職すること、留学時代の人知れぬ苦労と努力、その道の可能性について話を伺った。
合気道を広めるためにニュージーランドにやって来たのが1969年。以後43年間ずっとこの地で合気道を指導してきた高瀬信夫さん。ほんの数人から始まった彼の合気道道場は、今やニュージーランド各地に22箇所、現役メンバーが800人を超える規模に成長した。
4人の小さな子供を持つお母さん、麻里さんが自分の経験を基に去年の9月に新しく始めた日本人オーペア紹介ビジネス。お母さん同士のネットワークで評判が広がり、たった8ヶ月ほどの間に消化しきれないほど多くの依頼が来るようになった。
ワーホリで1年間過ごしたニュージーランドがすっかり気に入り、この国に移住する目標を掲げてから10年。念願の永住権も取得、ニュージーランド生活を落ち着いてエンジョイしている陽子さん。キッチンが忙しくなるお昼前のひととき、彼女を訪ねた。
海外からの学生のホームステイをアレンジして25年余り。数え切れないほど多くの学生にオークランドのホームステイ経験を提供してきた。口コミで徐々に集まってくる一軒一軒を彼女自身が訪問し選りすぐったホストファミリーは、今ではオークランド全域、数百軒にも及ぶ。
2001年9月17日に行われた「New Zealand Culinary Fare」ではケーキ部門で見事、2位を獲得。これがきっかけでデボンポートのケーキ店「ice it!」でアルバイトをするようになった舞子さん。フルーツタルトが一番の得意であるというが、彼女の作るショートケーキも一食の価値あり。
クライストチャーチから移転したNew Zealand School of Food & Wine(NZSFW)でチューターとして働く葉子さん。10年間B&Bを経営した彼女が、やりがいを感じるホスピタリティの道の次に見いだしたのはワインを極めること。ニュージーランドワインの魅力と、エネルギー溢れる彼女のNZでの生き方についてお話を伺った。
ニュージーランドに来て11年。語学学校ユニーク・ニュージーランドでたくさんの学生に慕われ尊敬されるスタッフとして活躍中の美甘知輝さんが自身のこと、この1年の被災地支援活動、について熱く語った。
大学を休学してワーキングホリデーでニュージーランドへ。オークランドの専門学校、National Technology Institute(NTEC)の英語+ビジネスコースで学ぶ大塚ゆかりさんもその一人。夢と可能性にあふれる彼女の目に、はじめての海外であるニュージーランドはどのように映ったのだろうか。
やわらかなタッチで書かれた、ユーモアを感じる動物の絵。それを描いた彼の口から将来の夢を聞いた時、彼がやさしげな絵を描く理由がわかった気がした。今年3月にWhitireia(フィティレイア国立工科大学)を卒業した勝亦秀彰くん。ゼロから始まった彼のニュージーランドでの生活と、これからの夢について話を聞いた。
間違えてAlbanyキャンパスへ行ってしまったので約束の時間に30分近くも遅れて現れた私たちを暖かく迎えてくれたTim Aspinall氏。会った瞬間から相手を包み込むような彼の人柄に居心地の良さを感じた。触れ合う相手とのプラスのエネルギー交換が大切な活動力になる、という彼に話を聞いた。
ビクトリア公園に隣接するオークランドのトレンディーなエリア、フリーマンズ ベイの一角に、パステルブルーのお洒落なエコストアがある。有害物質や不必要な物質を使わないナチュラルエコ製品を幅広く展開している。環境保護と人間の健康にこだわる会社の姿勢は多くの支持を受け、ビジネスは絶好調だ。
海外移住を計画して2年前に夫婦でニュージーランドへ来た山本亨さん。選んだのはニュージーランドで資格を取ってシェフになる道だった。専門学校での1年半の訓練の後、シドニーの有名シェフがオークランドに開店したレストラン District Diningにオープニング スタッフとして就職。
ワーホリで働いたオーストラリアでの経験も加わって、レストランやカフェなど外食産業のビジネスマネージメントに深い興味を持つようになった服部さん。再渡航先に選んだニュージーランドのビジネス専門学校ILCで1年間のビジネスマネージメントコースを履修中。
子供が好き、教えることが好き、そして英語を生かした仕事をしたい。3拍子そろったキャリアアップのための資格が、児童英語教師 Certificate in TECSOLだ。オークランドCBDにある語学学校、EDENZにはNZQA認可のその資格コースがある。
家族3人には広すぎる家の活用法としてB&Bを始めた和代さん。ずっと興味があった自給自足の生活。太陽発電パネルを設置したり、家庭菜園を創ったり、家畜を飼ったり。土と自然とに向き合ってシンプルに暮らす。滞在するお客さんにそんなライフスタイルを楽しんでもらいたい、という彼女に話を聞いた。
幼少期に習得したネイティブ並みの日本語と、ハイスクールでプレーしたラグビー経験、知識を生かして、プロラグビー選手のエージェントとして日本とニュージーランドを結ぶティム。現在日本で活躍するニュージーランド選手のほとんどが彼を通している。
カジュアルな姿。彼がシドニーで栄誉ある賞をいくつも受賞した有名シェフだということをつい忘れてしまう。「ボク自身ドレスアップするのは大嫌い!」というWarren Turnbull氏はシドニーで名を馳せたシェフ。彼のニュージーランドでの第―号レストラン、District Diningに訪ねた。
ワーホリでニュージーランドに来てから14年。ずっとクライストチャーチのOKギフトショップでキャリアアップしてきた吉金さんに突然転機が訪れた。かねてから憧れだった街、クイーンズタウンに家族で引越し、新しい支店を立ち上げた。
1年のニュージーランド語学留学も終盤に差し掛かり、来たときは全くしゃべれなかった英語にもずいぶん自信がついたさおりさん。10ヶ月余りでElementaryからUpper Intermediate まで順調に進んできた。間違いを恐れず、とにかく口に出して話すように心がけているのが成果をあらわした。そんな彼女に留学を成功させる秘訣を聞いた。
本人の興味とやる気を尊重し自由に学ばせるスタイルのニュージーランド高校教育。他の生徒と競争するのではなく、個々のレベルをさらに高めようとする教育法は、日本の教室ではできない経験だ。そんな留学のメリットを目いっぱい満喫し、Western Springs Collegeでの高校生活を楽しんだ2人の生徒に経験談を聞く。
世界的なグルメ志向。有名シェフの料理番組や「マスターシェフ」などの人気TVコンテスト番組の影響もあって、このところプロの調理人を志す人が増えている。では、どんなトレーニングをしてどんな経験をつんだらシェフになれるのか。地元の新聞や雑誌でもしばしば取り上げられ、評判の高いレストラン Meredithsのオーナーシェフ、Micheal Meredith 氏に聞く。
ニュージーランドの現地高校からWhitireia New Zealand Institute of Technology の Bachelor of Applied Business コースへ進学した秋元凪咲さん。3学期が明日から始まるという日、改装したての美しいカフェテリアで話を聞いた。
ユニークな国ニュージーランドの、ユニークな郊外コミュニティ、ブラウンズベイで、ユニークなニュージーランド生活を通して英語を学ぶのがユニーク・ニュージーランドのやり方。学校名どおり、ユニークな語学学校「ユニーク・ニュージーランド」の校長オリバー氏に話を聞いた。
語学留学先のクライストチャーチで大震災に遭った理沙さん。一旦は帰国したものの、すぐに美しい自然の魅力に取り付かれたニュージーランドへ戻ってきた。オーペアとして働き始めて1ヶ月余りの彼女に話を聞いた。
ニュージーランドと文化が異なる国からの移民が抱える問題を専門に扱う政府の機関、The Office of Ethnic Affairs (エスニック・アフェアーズ)で様々な課題に取り組んでいるシンガム氏。全国各主要都市にある4つの分室を総括するほか、国会議員、パンジー・ウォング氏(Hon Pansy Wong)と常に連絡を取り合い、移民民族に関係する政策原案を練る。
イギー・ポップとKiwiミュージシャンたちの共演が大きな話題となったOrconのCMで、ピョンピョン飛びはねながら演奏していたキュートな女の子が、和田美帆さん。ワールドツアー直前の出演となった「Japan Night」の会場で、ハッピーパワーの原動力となる彼女の強さと情熱についてうかがってきました。
NZIEで英語を勉強する生徒の誰もがお母さんのように慕っているシャーリー・ウッド先生。彼女の朗らかで人なつっこく、ドンと構えたようなキャラクターで生徒みんなを引っ張っている。60人余りいる生徒全員の名前とバックグラウンドをいつもしっかり把握しているという彼女にNZIEの話を聞いた。
海外移住の構想を夫婦で練ってから2年半。留学、就職、ビザ申請。トントン拍子に計画が進み、あっという間に永住権を獲得した。何もが新しい環境での新生活をスタートさせた理絵子さんにそのいきさつを聞いた。
今年のニュージーランド・カリナリー・フェア、チョコーレート、デザート部門で見事、金賞を受賞した林さん。ニュージーランド留学をきっかけに、子供の頃から好きだったパンやお菓子作りをこれから将来の仕事に選んだ。NSIAで取ったパティシエの資格と金賞受賞を生かし、目下ニュージーランドでワーク経験中。
ニュージーランドの健康雑誌の調査では80%以上の人が補完代替医療を利用しているという。なつめラインズさんが携わっている「ナチュロパシー」もその中の一つに入る。一歩手前から病気を予防、健康を保つということも含まれるこの療法は、多くのキウイたちが毎日の生活の中に取り込んでいる。現在はティティランギのQuintessenceというクリニックで自然療法医・西洋漢方医として活躍している。
オークランドの中心部に、留学生にフォーカスを当てたニュージーランド国立ポリテクニック工科大学がある。Whitireia International フィティレイア インターナショナルがそれだ。学生は英語を学ぶことから始め、後に、ビジネス、IT 、幼児教育、ホスピタリティ、調理、アート、看護など、何と130もの種類の、職業に直結するコースに進むことができる。ニュージーランドで英語プラス アルファで何か資格を身につけたい人のための学校。校長、ポール マギネス氏に話を伺った。
6月のある日何気なくTVをつけたら、キウイっぽい日本人女性がお好み焼きを作っていた。彼女は誰? と思っていたら、そのうちに新聞やタウン誌、料理雑誌などに数多く登場。野村祥恵さんがその人。日本のごくふつうの家庭料理を楽しみながら習ってもらおうと開設したお料理学校Sachie's Kitchenの主宰者だ。
St George Institute of LearningのNational Diploma in Design(Graphic Design)に通う青木良孝さんは日本では美術教師を務める傍ら、彫刻家として様々な創作活動をしていた。その中で、もっと自由な表現をしたいと考え、海外に出ることにしたという。現在は新たにデザインを学び、自身の美術活動の幅を広げている。
約13年間、子供番組の顔であったSuzy Cateさんが日本の震災に対して起こしたアクションが7月2日に開催されたチャリティーイベント『LOVE2 JAPAN』である。子ども番組の元司会者ということではなく、小学生の子供を持つ親として、お母さん友達と共に、スタートさせたイベントチャリティーを通して子どもたちに経験してもらいたい2つの目的があったという。
オークランド シティ ホスピタルの看護師になって約半年。まだ新しいことだらけ、暗中模索で毎日を過ごしてはいるとはいうが、とりあえず念願だった海外での就職に達成感がある。希望を貫いて自らの進む道を切り開いたさやかさんに話を聞いた。
AUTで旅行、観光学、ビジネスを勉強中の勝田里美さん。ニュージーランドにきて4年目だが留学をして本当に良かったという。大学の授業が楽しくてたまらない。興味のあることは何でも周囲を気にせずに「やってみる」ことができる。ニュージーランドでの大学生活を心からエンジョイしている彼女に話を聞いた。
NCEAのランキングで毎年上位に位置するエプソン・ガールズ・グラマースクール。100年近い伝統を誇る有名公立校だ。学業だけでなく、アートや音楽、スポーツでも高い評価を得る。女子校としての良さを十二分に生かした教育方針。どんな工夫がなされているのか。校長先生のマデリーン・ガン氏に聞いた。
5年前に一大決心をして、ニュージーランドへ移住してきた近藤眞弘さん。技術者として今の会社Telemetry Research Ltd に入り研究開発に従事している。自分が開発した新しいものが短期間で製品化されて売れるのが嬉しいという。少数精鋭の医療機器メーカーとして、今や世界中から注目のニュージーランド企業を支える彼に話を伺った。
オークランドのAuckland Goldstar InstituteのDiploma in Healthcare Studiesに通う堀内さんは日本でも福祉の仕事をしていたという。リフレッシュのために来たニュージーランドが気に入り、できれば永住権を取りたいと思ったときに選んだのは再び福祉・介護の道であった。
Browns Bayにある語学学校、UNIQUE NEW ZEALANDの日本人学生10名が中心となり、Browns Bay Communityの方々とともに「Team UNIQUE」として被災地復興のための募金活動を展開。そのリーダーとなった伊藤大輔さんにそのいきさつを聞いた。
今年1月、妻と3人の娘の一家5人でニュージーランドへやってきた清水さん。小さくてもどこか地域にどっぷり浸かれる場所で、自分のお店を開き家族でやっていくのが夢、という。そのための準備としてNSIAでシェフの資格をとるべく勉強中の彼に話を聞いた。
オークランドシティ中心部の、おしゃれなビルの中二階に構えた白い空間。そこが、フェリシティーズのウエディングドレスショップだ。念願だった自分のビジネスをスタートして半年あまり。先日、ロイヤル・ウェディングもあってウェディング業界が後押しされる中、花嫁の特別な日を演出する光栄な仕事で楽しく充実した毎日を送っているという、彼女のストーリー。
伝統の重み。威厳ある校風。これが公立校でありながら、学業もスポーツもトップランクであり続けられる、名門高校 Auckland Grammar Schoolなのだ。Principalではなく、Headmasterと呼ばれる校長のJohn Morris氏に話を伺った。
ニュージーランド・カルチャーだから、という理由でカフェで働き始めたのがAllpressコーヒーとの出会いだった。持ち前の勤勉さと行動力でこの世界に深くのめりこんで5年余り。カフェアシスタント、バリスタを経て、現在はコーヒー豆の焙煎スタッフとして活躍する細川由理さん。おいしいコーヒー作りに夢中の彼女に話を聞いた。
J-Shineという機関を知っていますか? 日本小学校英語指導者認定協議会(Japan-Shogakko Instructors of English )というのがそれで、小学生や幼児に英語を教える先生の集まり。そのJ-Shineが認定する児童英語教師の資格を取得するためのコースが Auckland English Academyにあります。合格には高いハードルを越えなければならないハードなコースを受講し、見事に資格ゲットの目標を達成した佐々木美由紀さんに話を聞きました。
できるはず、と可能性を信じてニュージーランドのスーパーカーメーカーを創業。ニュージーランド唯一のF1世界チャンピオンドライバー、Denny Hulmeの名をブランドにして ニュージーランド=スーパーカーのイメージを作り上げようとしているキウイJock Freemantle氏。彼個人の夢が、彼が巻き込んだ多くの仲間の夢となって、あと少しで実現のところまで来た。全てを熱く語る彼に話を伺った。
2年間の試行錯誤を重ねて、たった一人で新しい自然派歯磨き粉を創り上げ販売し始めた佐藤宏美さん。オークランドシティの歯科医院で歯科衛生士として働く彼女が患者さんのニーズに合うものをと開発したのが100%ナチュラルなTooth Spa。
ニュージーランドの高校に留学し、帰国子女入試で日本の有名大学に入学する新しい入試が注目を集めている。ここに登場する大路麻衣子さんと崎田繁昌君はともに留学後に帰国子女入試を突破して、早稲田大学、立教大学に在籍している。二人の共通点は「Jガイダンス」と呼ばれる帰国子女入試のノウハウを伝授するプログラムを受講していたこと。「Jガイダンス」からの入試アドバイスと小論文の指導が念願の有名大学への入学を可能にしたと言い切る二人に話を聞いた。
昨年末オークランドにオープンした「フレンチ・ジャパニーズ」のレストラン、MORITA。フレンチのシェフから老舗和食店の料理長へと異例の転身をした森田勝さんが、異国の地で再びフレンチの世界に臨むきっかけとなったのは・・・?
オークランドで日本の伝統的な陶芸を教えている山田憲樹先生は趣味の魚釣りと料理を活かせる器を自ら作るために日本でやっていた陶芸をニュージーランドでも始めた。それが日本人の間の口コミで広がり陶芸教室となった。現在ではニュージーランド人やアジア人も通い、多くの人が作品作りを楽しんでいるという。
2010年の女子ラグビーワールドカップでニュージーランドのブラックファーンズが世界を制覇したことは私たちの記憶に新しい。そこで最も注目を集めたプレーヤーの一人がAnna Richardsである。ニュージーランド史上最多の44キャップを持つ大ベテランは一度はメンバーからもれたものの、チームメイトの膝の怪我のために再招集され、これまでの4大会すべてに出場、そして優勝を成し遂げた。出場当時45歳であった彼女は、今後はコーチとして選手を育てたいという。
オークランドで学ぶ外国人留学生による経済効果は年間NZ$50ミリオン以上とも言われます。これをツーリズムの一部とみなして各国にプロモートしているStudy Aucklandのマネージャー、Debbie Chambersさんに、国内外の他都市と比較した「留学先としてのオークランド」の魅力についてうかがいました。
留学生やワーホリの皆さんの中には、「ニュージーランドで就職したい!」という方も多いのではないでしょうか? でもその一方「自分には無理・・・」と最初からあきらめていませんか? 以前はそんな1人だった本橋郁実さんが、有名企業でCADテクニシャンとしてのポジションをつかむまでの道のりをたどってみました。
ワーキングホリデーでニュージーランドに来て6ヶ月。まずは英語ができるようになるためにEmbassy CES Aucklandに通った。「はじめは全然しゃべれなかった」というが、ほんの数ヵ月後には学校でみんなの人気者になった。「人生のテーマとして、ひとりでも多くの人を幸せにしたい」という晋士くん。ちょうど留学生活の折り返し地点にいる彼に、今までのようすやこれからのプランを聞いた。
札幌の中学校を卒業して、ニュージーランドに留学してきた吉田真大くん。留学するなら絶対に失敗しない、という覚悟を決めてきた。自分がどれだけできるのかを試したい、という。クリスティンスクールの10年生に編入して1ヶ月あまり。まだ始まったばかりの彼の留学はどんな風?
個人の運動を指導するパーソナルトレーナー。遠藤誠さんはプロの格闘家から、一般の人の健康管理まで幅広い層の人の指導を行っている。エアロビクスのインストラクターから始まり、プロ選手のトレーナーへの道のりは、相手のリズムを楽しむところにあったという。
2003年に 国際教育を目指して設立されたAIC. オークランド・インターナショナル・カレッジ。7年経った現在、IB(国際バカロレア)専門高校としてニュージーランド国内外で高い評価を得ている。生徒の多くが世界のトップ20に名を連ねる超一流大学へ入学する、というはっきりした目的を持って勉強している。そのAICの校長、ペリー氏に話を聞いた。
日本語教師として海外でいろいろな経験を楽しむ黒岩朋子さん。ハプニングがあればあるほど面白い、と言う。各地での人とに出会いも楽しい。念願の英語圏、ニュージーランドで仕事中の彼女のキャリアストーリー。
海外移住を考えた時、決め手となった理由の一つが、「家族を優先できる移住先」だったという蓑毛力さん。現在はニュージーランドの永住を目指してITの専門校AMESのディプロマコースに通っている。学校に通うという選択肢は永住権取得の第一歩でもあるという。
イギリスの高等教育機関の評価で10点満点を得たIB(International Baccalaureate 国際バカロリア)。ここ数年、世界中でこのコースを採用する高校が急増している。大学入学に有利ともいわれるアカデミック・システムだ。このIBを20年余り前に取り入れて、毎年優秀な卒業生を送り出しているKristin Schoolの校長、Brendan Kelly氏に話をうかがった。
小中高一貫教育の学校ACGで生徒たちにヘルシーでフレッシュな食事を提供するカフェテリアのオーナー原瀬輝久さんはニュージーランドでビジネスを成功させた日本人の一人である。アジア人がいなかったカフェ業界に飛び込み、長年にわたり築いてきたのは人脈という財産であり、そのネットワークは彼を一人のバリスタという立場からカフェのオーナーへと導いた。そして次の目標はニュージーランドのコーヒー会社のオーナーとの共同出資による日本での展開だという。
福井亮介さんと小西健一さんは、Regent International Education GroupでHorticulture(園芸学)を学んでいる。それは公園の樹木からベランダのポットの花まで、人とかかわる植物のすべてをカバーし、農業における園芸の技術や、自然や文化との関わりを学ぶものである。街路樹や芝生など緑を多く取り入れた街作りや、いたる所に園芸ショップが見られるなど、人と植物の関わりが深いニュージーランドでこそ、学ぶ価値のあるもののひとつだと二人はいう。
TV ONEで放送された「MasterChef New Zealand」の審査員ぶりが記憶に新しいRay McVinnie氏。AUTで講義を受け持っている「美食学」からMasterChefを勝ち抜くヒケツまで、さまざまな観点から「食」についてうかがってきました。
クライストチャーチのトレンディーな家具屋さんの一画に2010年ニュージーランド・バリスタ・チャンピオン、ルチアーノさんのカフェがあります。家具屋さん+カフェは、最近ニュージーランドではやりの業態。家具のショッピングに来て、そこでおいしいコーヒーを飲みながら家具の品定めをしたり、相談したりと、ゆっくりと時間を費やすことができます。今月はルチアーノさんにコーヒーへの情熱と人生を語っていただきました。
ニュージーランドのコーヒーカルチャーはここ十年で大きく発展、誰もがおいしいコーヒーめがけてカフェに集まってくる。バリスタがコーヒー愛好家の話題になるのも近頃のトレンド。そのコーヒー界に、最近は日本人のバリスタが増えている。そんな中のひとり、クライストチャーチのカフェで働くバリスタ、河野英幸さんはNew Zealand Barista Championship 2010で準優勝している。
8月に開かれたレストラン業界のイベント、ニュージーランド・カリナリーフェアで見事、金賞を取った日本人が2人いる。松村昌太さんと飯島拓也さんがその人。2人ともニュージーランドでレストランシェフになることを目指す調理師学校NSIAの学生。NSIAの生徒が調理するする校内のトレーニングレストランで美味しいランチをいただきながら話を聞いた。
ニュージーランドは移民フレンドリーな国だ。極端な右翼の政治団体もなく、人種差別も少ないので移住しやすい国だと言える。コスモポリタン社会とも言える。ワイタカレ市が移民を対象に提供している多文化・移民サービスチーム(Multicultural & Migrant Service Team)に所属し、定住サポートSettlement Support、移民の相談窓口として働く柴田あゆみさんと彼女のチームに話を聞いた。
先日発表されたMetro誌のRESTAURANT OF THE YEAR 2010において、並みいる有名レストランのオーナーやマネージャー達を抑えて見事RESTAURANT PARSONALITY OF THE YEARを受賞した緒方元さん。その細やかな心配りに込められた思いをうかがってきました。
世界のコーヒー業界での定評で、「ニュージーランドのカフェやレストランのコーヒーのクオリティーは高い」と言われている。それを影で支えているひとつがAllpress Espresso社である。世界各地よりコーヒー豆を輸入して自社でロースト、またエスプレッソマシーンの販売も含めてトータルなサポートをしている。Managing Directorのマイケル・オールプレス氏のコーヒーとの関わりは屋台のコーヒーショップから始まったという。
コーヒーを淹れるプロ、バリスタ。ニュージーランドでバリスタの腕を競い合う大会であるNew Zealand's National Barista Championship 2010で堂々4位に入ったのが中村カヨ子さんだ。酸味や苦みなど、コーヒーは豆によってさまざまな味がある。その中にはブルーベリーのような味といった表現を使うこともあり、さまざまなコーヒーを飲み比べていくと、微妙な違いがはっきりとわかるようになると言う。
オークランド中心部、タウンホールの筋向いに位置するEdenz Colleges。学長のティム・クーパーが高校で教えた豊富な経験から始まり、今では、英語教師養成コース、フィルム製作アカデミーなどで認知されるようになった。
日本では大手外食チェーンが安価で美味しいコーヒーを出すカフェを大々的に展開し、有名な大手コーヒーチェーンと「コーヒー戦争」を繰り広げている最中です。ですから、バリスタは日本でますます必要とされる職業になります。コーヒー好きで、バリスタに興味があったらニュージーランドにいる間にバリスタ資格を取得しておくといいでしょう。日本に帰国後必ず重宝するはずです。バリスタ資格の中にはニュージーランド国内で認められたものから、世界で通用する資格などがあります。今月はコーヒーに興味を持ち、バリスタを目指していた女性二人を過去のイーキューブの記事から抜粋しました。読者の皆さんがバリスタを目指すきっかけになれば幸いです。
「楽園」と称され、世界中のフライフィッシャーを魅了するニュージーランド。この国で釣りを趣味から仕事にしたのが中川潔さんである。フライフィッシングの大会出場やショップの経営は自分がニュージーランドにいるという確かな証拠を残すためだという。
オークランドの英語学校Edenz Collegesで、TESOL(Teaching English for Speaker of Other Languages)の教師の資格を取るための5週間短期集中コースを受講中。朝から晩まで100%英語漬けになってがんばっている奈緒美さんは、実は日本では高校の英語の先生。受け持っている留学コースの生徒たちの、英語に対する情熱に刺激されて、自分も留学してきた。
国技であるラグビー人気の低迷をしりめに、サッカーは競技人口、試合での観客数、メディアの露出回数が飛躍的に増えてきていることは皆さんご存知の通り。今回はAll Whitesを裏から支えるフィジオセラピストのローランド・ジェフェリーを訪ねた。プロのスポーツチームでフィジオセラピストになりたい人へのアドバイスも。
ロハス生活のさらに進化したライフスタイルを実践する「レインボーバレーファーム」という農園を造ったJoeとTrish。今では世界中から研修生が集まり、生活様式を学び、政府や国連の職員が環境時代のモデルプランとしての視察に来ており、ニュージーランドのなかでは、知る人ぞ知るファームとなっている。
ツアーガイドの仕事を始めて3ヶ月。朝早かったり夜遅かったり、時間が不規則で、その上いつも柔軟に対応しなければならないきつい仕事。でも、ゆくゆくの夢、クルーズ船の乗務スタッフになるためにいい経験になる。年配の夫婦やハネムーナーなど個人旅行のツーリストとの触れ合いはとても勉強になる、という麻衣さん。「ニュージーランドはとても良かった」とお客さんに言ってもらえるよう、毎日笑顔で頑張っている。
Fullersそして360Discovery Cruisesでsales Executiveとして活躍している岸本泰さんはコミュニケーションの手段として、「会話」をとても大切にしている。それは営業という仕事のほかに、ラグビーというプライベートの場でも十分に発揮されており、現在はニュージーランドの名門ラグビーチームPonsonby Rugby Clubで日本人初の監督のポジションに就いている。
自然の植物から化学薬品を使わずに抽出した純粋な有効成分を、スキンケア製品のメーカーに提供するURBAN BOTANICA。20年以上も市販の化粧品を使ったことがないと言う、創始者ケイト・ロバートソンをMt. Eden にあるラボ兼オフィスに訪ねた。
ラグビーという名前が付いていてもオールブラックスに代表されるラグビーとはまったく異なるスポーツ、タッチラグビー。それはタックルなし、スクラムなし、キックなしというルールはもちろんの事、男女混成チームがあったり、ユニフォームがポロシャツ、Tシャツ、タンクトップだったりして、ラグビーよりもずっと気軽に始められ、老若男女が楽しめるボールゲームだ。奈良秀明さんはラグビーの経験がないのにタッチラグビーを始め、日本代表のメンバーに選ばれるまでになった。現在は地元のチームでトップレベルを目指すかたわら、日本人にタッチラグビーを普及させるべく、タッチ漬けの日々を送っている。
半世紀あまり前にニュージーランドへ移住して来てから、この国でいろいろなことをやってきたVic Sargent.。85歳の今は、ITの専門学校AMES ITアカデミーの重鎮として伝説的な存在である。一見、物腰の柔らかいチャーミングな紳士という印象だが、その言葉からはみなぎる自信とシャープなブレーンがうかがえる。そろそろ後進に席を譲って好きな庭仕事に専念したいとはいうものの、まだまだ現役。
自分では何も出来ない重度の身体障害者の生活を支える介護の仕事。その献身的な重労働をニュージーランドで始めた日本女性がいる。英語の壁を乗り越えて資格を取り、実務経験も重ねた今は、その職業で永住権も獲得した。
コミュニケーションはホスピタリティー産業に携わる人間にとって大切なことの一つだと考える長谷川篤史さんは、現在 nzmaの national diploma in hospitality management Level5で資格取得を目指している。「ニュージーランドに来た理由は働く経験をするため」という篤史さんは一つ一つ確実に目的達成への道を歩いている。
プロのラグビー選手として十数年、世界中のピッチを駆け回ったクレイグ・イネス。プレーから引退した現在は、自分の現役時代の経験を生かし、後輩選手のエージェントとしてニュージーランド・ラグビーに貢献している。いい選手をいい条件の海外チームに送り込むのがその仕事。日本はニュージーランド・ラグビー選手にとって居心地のいい所、と言う彼。その理由は?
WEBシステム開発、WEBデザイン、ICTコンサルティング、PCテクニカルサポートなど幅広い事業展開をしているWIZCOPEの経営者である中村幸靖さん。WEBやICTの知識・スキルと、日本・ニュージーランド両国でのビジネス経験を活かして両国のビジネスの橋渡しとなる活動にも力を注いでいる。
ニュージーランドに母子留学を始めて3年目。今年、京子さんが選んだのは、香名子ちゃんが生まれるまえに志していたお菓子作り、パテシエの道。インターナショナルなクラスメートに刺激されながら、新しいスキルを学ぶ喜び、充実した毎日の様子を語ってくれた。
【Wellpark College アロマセラピー・コース留学生 高塚久代さん】フィジカルな治療がしっかりできるメディカル系のセラピストを目指したいという。アロマテラピー、アーユルベーダ、ハーバルメディスン、ナチュロパシー、ヨガ、マッサージ・ボディーセラピーと様々な代替治療法を学ぶことができるWellpark College。現在ニュージーランドで活躍している多くのセラピストや自然療法家はここの出身者が多い。
自分たちの心身の健康管理をいわゆる西洋医学の対処療法だけでなく、代替医療に求める人が多いのがニュージーランド。そんな自然療法の総合学校であるWellpark College of Natural Therapiesのバーバラ・オールプレスは、有史以前より人類が使用している植物療法のひとつであるアロマテラピー(芳香療法)を教え、そして実践するニュージーランドの自然療法界の牽引車的存在である。
「英語を学び、その後は、それを実際に使って働いてみたい」。そんな目的を持ってニュージーランドに来る人のためのプログラムが GEOSオークランドの行っている『2-5months Work Programme』である。学校で学ぶというだけでなく、南島の北部、ワインの産地ブレナムで働きながら生きた英語を身につけることができるおもしろいプログラムですよと、現在参加中の池田芳彦さんは言う。
日本の高校からニュージーランドの大学へ進学するには、必要な条件を満たすよう、準備をきちんと整える必要があります。横浜の高校を卒業した後、ニュージーランドの大学進学を目指して留学してきた米山亮二さんに、オークランド大学入学までの経緯を語ってもらいました。
限られた時間の中で、与えられた指令をやり遂げる。今年で2回目となるニュージーランドの電話帳『Yellow Pages』が主催するリアルなロールプレイング企画の主人公に選ばれたジョッシュ・ウィンガー。CMタレント、ロケーションスカウト、ミュージシャンといくつもの顔を持つジョッシュであるが、来年の2月までは「黄色をイメージさせる味のチョコレート」を作る指令を完了させなければならない。
子どもの頃からの夢、海外移住の第一歩を踏み出した黒羽崇さん。ニュージーランドでの生活の安定と夢の実現を考え、 AMESで世界に通用するプログラマーとしての勉強を始めた彼に、ニュージーランドでの生活と今後の予定そして夢について語っていただいた。
ホテル開業のプロジェクト、人材教育のトレーナー、和紙を使ったランプやオブジェの創作、通訳翻訳など、いろいろな分野で活躍してきた佳子さん。彼女の新しい挑戦は、家庭犬がかかえる問題解決をする「Bark Busters」のセラピスト。心のどこかに潜んでいた、動物に携わる仕事がしてみたいという漠然とした夢が現実になった。滑り出しは快調。今、熱中している新しいキャリアの話をたくさん語ってくれた。
9月末にオークランドで開催されたAir New Zealand Fashion Weekは、今や、ニュージーランドをそして南半球を代表するファッションイベントになっている。しかし、発表するだけではビジネスとは言えない。「売れて」初めて土俵に乗ることができる。「この国のファッションを世界のバイヤーに」をテーマに、表舞台の裏側でつなぎの役割を果たしているのが『Fashion Industry NZ』である。
動物が好きだから、動物に関わる仕事を選びたかったあすかさん。ニュージーランドへ来て見つけた UNITECの Veterinary Nurseのコースをステップにして、動物看護士という職をゲットした。豊かな自然とゆったりしたニュージーランドスタイルを、好きな仕事をしながら暮らせる幸せ。
ニュージーランドではカイロプラクティックは国家資格として認められている。これがニュージーランドと日本のカイロプラクティックへの認識の違いだろう。資格を取るとDr(ドクター)というタイトルをつけることも認められているこの代替治療法の資格取得に挑戦しているのがカーター弘美さんである。
ニュージーランド政府観光局と自動車協会AAの共同出資で設立された「Qualmark」。観光業界の品質向上に寄与してきた。これまでサービスの質を星の数で示していた「Qualmark」から一歩進み、環境への配慮という項目を加えた「Qualmark Green」が08年の8月から実施された。同社CEOのジェフは「この国の最大の財産は残されている自然環境であり、それを守ることが利益にも繋がる」という。
ニュージーランド・有数のツーリズム&フライトアテンダント専門学校、Travel Careers & Trainingでフライト部門の責任者として、新人を一人前のフライトアテンダントにまで育て上げる事に情熱を注いでいるナターシャ。現在のカリスマ的な教官としてのステータスに登りつめるまでには、常に前向きな姿勢と強い向上心があった。人との出会い、触れ合いが活力の源、と言う彼女の37年分のライフストーリー。
フライトアテンダントになる夢を追って、ニュージーランドへ勉強しに来た智穂子さん。山あり、谷ありだった留学生活も終わりに近づいて、憧れが明確なかたちになってきたこの頃。国際色あふれるクラスの仲間や先生からチーコと呼ばれ、親しまれ、楽しく過ごす毎日の中で、彼女が身につけてきたものはたものは何?
漫画「美味しんぼ」に刺激されてシェフになる道を選んだ浩司さん。厨房で働き始めて18年経った今でも、頻繁に新しい食材の組み合わせや、新しい調理方法に出会って、それを身につけるために研究する。ますますおもしろいという。グルメ文化がこれから大きく花開く可能性いっぱいのニュージーランドで、そのパイオニア的存在になれればいい、との抱負を語ってくれた。
「予防医学」を30年以上も前に提唱。半生をかけた研究で、ブロッコリーからガンに効く成分を発見。そして、さらにその成分を多く含む健康食品を開発した、予防医学の権威、ポール・タラレー博士に、そのメカニズムを説明していただいた。
菜美子さんがニュージーランドで見つけたキャリアは、ニューロマスキュラー・マッサージ・セラピー(神経筋マッサージ)。自分のクリニックを開業した今も、知れば知るほど奥が深く、ますます興味は尽きないそう。日本で薬剤師だった彼女がどんな道をたどって今に至ったのか、それから現在の仕事のことを語っていただいた。
日本の高校を数か月で退学して単身ニュージーランドに渡った牛島愛さん。想像以上に厚かった言葉の壁や友達作りに悪戦苦闘した日々を乗り越えて、KIWIのクラスメート達との高校生活を楽しむ日々を手に入れました。牛島さんの大きな決断と頑張りを支えとなったものとは・・・?
香港在住で世界で活躍している日本人ヴァイオリニストの西崎崇子さんは年に数回ニュージーランドを訪問し、オークランド大学、地元の学校、そしてプライベートでヴァイオリンを教えている。西崎さんが小さい頃から学んでいた音楽は教育と密接に結びついていたことが、いまの西崎さんをヴァイオリンを通した教育に駆り立てている。
オシャレや美容のためにだけではなく、ペットの健康を維持するために欠かせないグルーミング。日本と海外のドッググルーマーの違いを体感してみたい、その思いだけでニュージーランドに渡航。英語がまったくできなかったものの、日本で取得したグルーミング技術を活かし、こちらでも同職に就くことができた。経験を活かし、現在は独立してドッググルーミング・サロンを運営中。
日本の高校一年を終えてニュージーランドに留学する決意をした冨士谷リサさん。初めは留学に大きな目標があったわけではなかったが、ニュージーランド滞在中にビューティーセラピー、スパセラピーに興味がわき、勉強する決意をした。特別英語がうまかったわけでもなく、予備知識もあったわけでもなく、地元のキウイも音をあげて途中で辞めてしまうこともあるというほど厳しいコースをもうすぐ終了できそうなのは、周りのサポートがあったからと言う。
中学生の頃から決めていた海外留学を高校卒業後に実現。オークランドのGEOSで、GEOSチャレンジという、実践英語の集中コースで勉強中の越智英敏くん。英語をマスターすることで視野を広げ、いろいろな世界を経験し、将来自分が本当に進みたい方向を見出したいそう。自由に楽しくニュージーランド留学生活をエンジョイしている。
ガイドブックなどでもお馴染みのシーフードレストラン、Palazzo del Marinaio。他にも多数の事業を営む実業家でありながら、オーナーシェフGorgさんの持つ料理への愛情と情熱は、開店以来28年を経た現在でも色あせることはありません。新鮮な素材へのこだわり、食の大切さについてGorgさんにお話をうかがいました。
海外で生活している私たちを無料でサポートしてくれる、お助け窓口があるのを知っていますか?ビザの相談や、就職関連の問題はもちろん、各種保険、消費者関係のクレーム、事故、違反、犯罪関連など、日常生活で出くわす、ありとあらゆるトラブルの対処法を、親切に、かつ適切にアドバイスしてくれるところ。その名もシチズンズ・アドバイス・ビューロー。
香港在住で世界で活躍している日本人ヴァイオリニストの西崎崇子さんは年に数回ニュージーランドを訪問し、オークランド大学、地元の学校、そしてプライベートでヴァイオリンを教えている。西崎さんが小さい頃から学んでいた音楽は教育と密接に結びついていたことが、いまの西崎さんをヴァイオリンを通した教育に駆り立てている。
高校3年のとき大学受験に失敗したが、ピンチはチャンスと考え、新しいことにチャレンジしようとニュージーランドに留学を決意した。生活の中心となっている小学生のときに始めた極真空手と中学から始めたラグビーはこの国にいるときでも継続するつもりだ。英語が理解できずに落ち込んだが、スポーツを通してポジティブな自分を取り戻し、英語を身につけるという方法を見つけたという。
オークランドで義母が経営するウェディング会社AmicaleNZを手伝っているうちに、結婚式までの企画の過程に興味を持つ。その後、義母に付きっきりで実践を学ぶ。ウェディングプランナーを目指す多くの人はまず学校等で学ぶが、ラッキーなことに厳しい実践からプロとしてのスキルを学べたと言う。今ではプロのウェディングプランナーとして、日本からの問い合わせに対して、お客様とメールや電話で打ち合わせをしながら、会社のモットーである『100%オリジナルウェディング』を実践中。結婚式の当日は教会の祭壇脇で新郎新婦様に付き添う役も任せられている。
クライストチャーチの代表的なレストランとして数々の賞に輝いているHay's。入れ替わりの激しいレストラン業界で、15年の長きにわたって高評価を受け続け、特にラム料理においては圧倒的な支持を集めています。この店のオーナーにして料理人でもあり、またNew Zealand School of Food & Wine の校長でもあるCelia Hayさんは、お父さんがクライストチャーチの市長を務めたほどの、知る人ぞ知るニュージーランドでも数少ない名家の出。代々受け継がれる成功の秘訣とは、いったいどこにあるのでしょうか?
ニュージーランド・メイドのウォッカ『42 Below』。いずれは自分でビジネスを立ち上げたい、そう思った会社員が仕事の合間に始め、今やニュージーランドで最も速い成長を遂げた会社になり、世界の大企業によって買収されたことで各方面から注目を集めた。ビッグビジネスの発想のキッカケは仕事の中で培った経験からであった。
Kokoro Green こころ・グリーンさん (34歳)Kathmandu - タカプナ店 ストア・マネージャー『KATHMANDU』でアウトドアをもっと身近に
日本の大学からの留学制度を使って、クライストチャーチのCCELで学んでいる松本麻希さん。中学生の頃から抱いてきた夢を実現させるために、大学進学や留学というステップを確実に上ってきました。大きな目標に向かってまっすぐ進んでいる麻希さんにうかがった、現地での暮らしや英会話上達のヒケツです。
これまで映画界の第一線で、たくさんの有名作品に関わってきた本田憲拡さん。現在はニュージーランドを代表する美容学校Cut Above の特殊メイクコースで、日々技術者の育成に取り組んでいる。
現在AUT International HouseでIELTSの勉強をしている酒井亮さん。ニュージーランドの大学・専門学校ではコース入学基準に通常IELTS のポイントが設定されており、亮さんの目標はまずは十分なポイントを取ること。その後、興味があるスポーツジャーナリズムに関する勉強をし、いずれ現場に立つことを夢みる。
毎年、ベルギーのルーベンで行われているビールの入れ方を競う世界大会STELLA ARTOIS DRAUGHT MASTERS。その出場権もかけた08年のニュージーランドの国内大会で見事優勝を果たしたのは20 歳のパブ・アルバイト学生Kirsty McLeanであった。彼女は学生最後の年である今もアルバイト先で「ニュージーランドで一番美味しい」ビールを注いでいる。
ニュージーランドでは、ここ数年レベルの高いレストランが一気に増えた。店の雰囲気はもちろんのこと、料理そのもののグレードアップが著しい。これは料理人のクオリティーが上がってきていることに他ならない。NSIA のTim Aspinallは、この業界の一角を担うシェフの卵たちが飛び立つまで、毎年多くの教え子たちを育成し、ホテルやレストランの厨房へ送り込んでいるという。
現在、ニュージーランドでも最大手の監査法人Staples Rodwayで、実務経験を積みながら公認会計士を目指している松堂英斗さん。Staples Rodwayでは、求人広告を掲載すると応募総数が600通にも上るといい、そんな中、英斗さんは2008年の新卒採用者9人のうちの一人となった。だが、ニュージーランドの公認会計士としての道のりは長く、さらに3年以上の経験と2回の試験合格が要される。英斗さんの目標は、まずこの一次試験を突破することだ。
自分の将来を見つめなおしたいと、2007年クイーンズアカデミー語学学校へ語学留学、現在は、API Educationでナショナルサティフィケートレベル4にあたる自動車整備士の勉強をしながら永住権取得を目指している。
名古屋市の映像関係の専門学校を卒業後、1999年ニュープリマス市のタナラキポリテック(現在のThe Western Institute of Technology at Taranaki・WITT) の英語コース、後にBachelor of Visual Art を卒業し、グラフィックデザイナーとして現地企業へ就職。
愛知県出身。現在、法政大学在学中で、すでに来年4月から民放放送局のキー局での就職内定が決まっている。生活が一段落し、大学の先輩の勧めもあって、 St. George で4週間の英語短期留学を体験。趣味は写真、高校から始めたハンドボール。ニュージーランドでの余暇は、ホストファミリーとスポーツ観戦をしたり、風景写真の撮影などして過ごした。帰国後は、卒論制作のため、また多忙な日々が待っている。
9年ぶりに労働党から国民党へ政権交代が行われたNZ。新たな内閣の顔ぶれにPansy Wong の名前が入っていた。96年にアジア人としては初めて国会議員になった彼女はアジア人議員の先鋒的存在とも言えるであろう。新しい政府の一員として行政に携わることのほかに、他の移民議員のリーダーとしての大切な役目があるとPansyは言う。
オレワカレッジに入学以来、ダンスグループと4つの音楽バンドに所属し、さらに最終学年の今年は日本での入試を控え受験勉強で大忙しの毎日を送っている川野瑶実ちゃん。ここに来 るまでには、いろんな出来事があり精神的に辛い時期を過ごしたことあったという。このNZ での学生生活とこれまでの経緯について伺った。
音楽に寛大なニュージーランドで音楽仲間に大いに刺激を受け、オークランド大学バチェラー・オブ・アートの音楽学科へ進学した義孝さん。ニュージーランドでの音楽を通じての学生生活について語っていただこう。
「何ができるかではなく、誰を知っているかが大事」と言われるニュージーランドの就職で、優れた能力 とニュージーランドで築いたネットワークを武器に、日本人がローカルへぐんぐん進出している。そんな成功者たちのように、ニュージーランドで仕事を獲得するには、やはり如何にニュージーランド を理解して就職活動をするかというのがポイント。そこで、「ニュージーランド式の就職活動って?」と疑問を持つ人たちに、たったの3回のコースでその疑問を解決してく れる就職サポートのワークショップ『イングリッシュ@ワーク』の修了生たちに、ニュージーランドでの仕事を獲得した経験談を語っていただこう。
現在、ハミルトンにあるワイカト大学で動物の行動についての研究に取り組んでいる震一さん。ニュージーランドに来るきっかけは、テレビで放送していたドキュメンタリー番組を見たから。現在では数羽しか生息が確認されていない、飛べないオウム「カカポ」やブルーペンギン達の生態に最後までテレビにくぎ付けになって見入ってしまい、大学をやめて、動物行動の研究をするために97年6月にニュージーランドに来てしまったと言う。最初は英語をみっちり勉強するため半年ほど英語学校に通っていたが98年2月に無事ワイカト大学に入学し、学生生活を送ることになった。
2月の行事と言えばバレンタインデーがある。しかし、今年に関する限り、2月14日をバレンタインデーで楽しんでいる暇はない。2月14日はアメリカズ・カップ開幕イヴ。アメリカズ・カップは2月15日に開幕し、チーム・ニュージーランドはブラックボートでスイスのアリンギを迎え撃つ!
エディンバラインスティチュートの幼児教育1年間(34週)のコースをスタートさせた。彼女たちの充実した学生生活ぶりがそのお話からうかがえる。
Takashi Kuroha 黒羽 崇さんプログラマープログラマーとしてPCの力で人々と世界を結び付けるとともに、自分の目指すライフスタイルの確立がニュージーランドなら実現できる。
大学時代の4年間、学生の社交ダンサーとして、さまざまな活動をしてきた樋口幸太郎さん。今年の4月より日本最大手の総合商社である伊藤忠商事への入社を控え、海外での経験をできるだけ積んでおこうとここニュージーランドへやってきた。留学先の語学学校「EUROCENTRES」では、授業以外に思いも寄らなかった社交ダンスの指導をすることに...。
ニュージーランド人の父と日本人の母を持ち、東京で生まれ、オークランドのティティランギで育った女性ヴォーカリストが、今日本のステージに立ち脚光を浴びている。彼女は親の母国語である英語と日本語をともにキープし続け、2つの国の言葉を巧みに合わせたメッセージを日本から世界に向けて発信している。
Amanda Betts (アマンダ・ベッツ)さんred eleven talent management目指すのは「見つけ出し、育てる」モデルエージェンシーです。
職業は心理セラピスト。心理学のプロとしての仕事、やりがい、目標、そしてこれまでの道のりについて
日本での中学校生活を途中で切り上げ、大好きなニュージーランドへ単身移住。ニュージーランドの学生生活で、自分の好きなことに集中して長所を伸ばし、ヘアメイクアーティストの道を選び、切り開いてきたという。そんな美鈴さんにこれまでの道のりと、今後の夢と目標について語っていただいた。
Doreen Ann Hardy ドリーン・ハーディーさんDirector of Studies GEOS Auckland Language Centre英語教授法を伝えていくことは私の誇りです
今ニュージーランドの美容業界の中で、30年以上に渡り常にオピニオンリーダーの役割を果たしてきたゲイル・トンプソン。 ヘア・ドレッサーを経て、美容総合学校を経営している彼女は、生徒に「経験」させることで、実践につながるスキルを身につけてもらうことが大切だと考えている。そんなcut above academyは現在、約400名の生徒たちが通う人気校として注目を集めている。
この数年間、日本の児童英語指導に関する動きはますます積極的になっている。ICL(International College of Linguistics)で念願の幼児教育を勉強している美由紀さんにとって、この先たくさんのチャンスが待ち構えているはずである。
ニュージーランドでもここ数年増えつつある「親子留学」。親子で勉強するも良し、子供は勉強・親は趣味に浸るも良し、その形態はさまざま。新しい環境に飛び込んで行く苦労は大人も子供も同じ。渡航を決意するまでの経緯や現地の生活に馴染んでいく秘訣、そしてこれから留学を考えている方へのアドバイスなどを、クライストチャーチで暮らす山崎さん親子に伺った。
Hozen High School 保善高等学校生Macleans Colleage マクレインズ・カレッジ 語学研修ニュージーランドの広々とした校舎、天真爛漫な学生たちと一緒に勉強しよう
Kei Sato 佐藤 圭 NZIST学生 ニュージーランド生活を充実させるのは自分次第
ニュージーランドに来るワーキングホリデーメーカーの中にはボランティアで様々なことを体験する人も多い。森山稔章さんもその一人で普段はボランティアで小学校の先生のアシスタントをし、週2日放課後に体育館で子どもたちと体操をして体を動かしていた。
ニュージーランド・ジャパン・ソサエティー・オークランド代表:今井 久美子 さん相手によって言葉を使い分けられることが本当の意味でのコミュニケーションになります。
透明なボトルの中に、バラやラベンダー、フルーツなどを封じ込めたボディオイル。日本でも人気のこの商品が、クライストチャーチで小学校教諭をしていた1人の主婦によって生み出されたことは、あまり知られていない。今では世界各国にネットワークを広げているLinden Leavesの創始者、ブリジット・ブレアさんにお話をうかがった。
海あり山ありの美しい街ニュープリマスで、地元客で賑わうカフェのスタッフとして働く広吏さんはニュージーランド生活7年目。近く、Duty Managerの肩書きを背負う予定で忙しい日々が予想されるも、やってみたいことは何でもチャレンジしニュージーランド生活全てを楽しみたいという広吏さんにお話を伺った。
世界でもっともホットなダンスとして注目を浴びるサルサダンス。ニュージーランドでも、いろんな国籍の男女が、さまざまな場所でサルサを陽気に踊る姿が見られる。
オークランドにある病院を中心としたコミュニティエリア「Selwyn Village」そのリタイアメントビレッジは病院と老人ホームが合わさり、小さな街ができた感じといえば想像しやすいかもしれない。活動しているボランティアスタッフは一週間で延べ150人。そこで秀紀さんは患者さんのリハビリテーションのボランティアとして働いている。
24時間営業のショップ、スーパーなどが急増し、ますます都市化が進むオークランド。長谷川裕昇さんは、そこでゴミ拾いのボランティアをしていた。 平日は、老人ホームでボランティア活動もしている。
毎年、多くのワーキングホリデーメーカーがこの国を周遊する。バス、車、飛行機などの移動手段がある中、小林恵理さんは自転車を選んだ。
昨年12月、Eden Terraceにある教会で賛美歌クリスマスコンサートが行われた。そこで美しい歌声を響かせる賛美歌隊オークランド・ユース・クワィヤーの中に、岡村佳通さんの姿があった。
オークランドで最も人通りの多いQueen St。その路上でさまざまな楽器を演奏しては歌うストリート・ミュージシャンとその回りに集まる人々の姿は、この街では見慣れた光景だ。その中でも一際大きくできた人垣の向こうに、ギターとハーモニカを軽快に操ってブルースを奏でるGeorge Kamikawaさんがいた。
馬と身近に接することができる環境にあるここニュージーランドで、体重500kgもある馬と一体になって、高さ最高135cmもある障害を軽々と飛び越えていく。豊村 鮎美さんにとって、馬は相棒であると同時に先生でもあるという。
オークランドの日本語ラジオ放送「E CUBE STATION」にはラジオの前のリスナーが声を聴くパーソナリティ以外にも放送の表舞台には立たずに番組を裏で支えている人たちがいる。現在、ディレクターとして番組に参加している潮総一郎さんもその中の一人。潮さんがニュージーランドに来るキッカケは携わっていたメディアの仕事環境の変遷にある。
オークランドで100年以上前からヨーロッパ人が好んで住み始め、今や観光名所としても年間多くの旅行客が訪れる街パーネル。その街にあるB&B「St. Georges Bay Lodge」で丸山佑子さんは働いていた。
オークランドの自宅でいろとりどりのビーズに囲まれてアクセサリー作りをしているマッギー千恵子さん。家事、育児の合間に趣味を持ち、ニュージーランド生活を楽しんでいた。
ワーキングホリデーで英語学校に通ったり、旅行、アルバイトなど、ニュージーランド生活を楽しんでいる長島明子さん。ひょんなことから、この国でウクレレに出会うことになった。
鳴子を手にした一団が、踊りに合わせて両手を大きく左右に振りながら足踏みをする。岡部多鶴さんは、ニュージーランドで活動しているダンスチーム「Haere舞」に参加していた。
オークランドで活動しているオーケストラ 「Aotea Youth Symphony」 に所属して、フルートを演奏している沼田可奈子さんがニュージーランドに来たのは02年7月であった。
「私ほどニュージーランドにこだわりを持たずに来た人はいないかもしれません。バンドのメンバーがこの国にいた。だからオークランドに来た。理由は単純明快です。」
先住民族マオリの伝統工芸ボーンカービングを自分で作ってみたくなり、そのために作業工具一式を買い揃えてしまった飯塚瑞穂さん。オークランドの各種イベントにも必ず参加しているというが本業は学生。現在、ツーリズムを学んでいる。彼女のニュージーランドの生活すべてを楽しもうとする旺盛な好奇心は留まるところをしらない。
「英語が大嫌いでした。つい最近まで現在形と過去形の違いも知らないほどで、Helloが言えれば上出来、学生のときに英語の勉強をしようと思ったことは一瞬たりともありませんでした。そんな私が海外に出ようとした理由は英語。喋れるようになりたいと思ったんです。それで思い切ってニュージーランドに来ました。」
オークランドのヘラルドシアターで行われた英語版ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター・アジアン・ヴァージョン」。公演前から日本食レストラン、英語学校などへのポスター、チラシによる宣伝や国内最大手のチケット販売会社Ticketekを通じた販売展開からマスコミをはじめとする多くの人から注目を集めていた。
Megan Alatiniさん シンガー・女優 / Singer, Actressダンス番組『Dancing with the Stars』に挑戦して、踊る喜びと奥深い魅力に目覚めました。
Fleur Savilleさん女優 / Actress「自分を信じて挑戦し続けること。それが女優への道を拓いてくれました。」
ますます盛り上がるニュージーランドの音楽シーンで、大きく注目されている新進アーティストが、シンガーソングライターのミリアム・クランシー。美しく、どこか切ないメロディと、パワフルで伸びやかな歌声が魅力の彼女は、さまざまなバンドで活躍した後、昨年8月にアルバム『Lucky One』でソロデビュー。同年、ニュージーランド・ヘラルド紙で「2006年のベスト・サウンド・オブ・ザ・イヤー」に選出された実力派だ。
自然が多いこと、他の国と比べて生活しやすい環境であることが理由でニュージーランドをワーキングホリデーの場所に選んだ。純子さんはオークランドの日本語ラジオ放送『はなきんダイナマイト!』で10月からメインパーソナリティを務めている。
ニュージーランドを一世風靡したTV番組『第2回ニュージーランドアイドル』で戦った彼等のように、ベンもここから全てが始まった。第1回ニュージーランドアイドルで優勝したベンは、確実にアイドルからアーティストとしてセクシーな男へと変化しつつある・・・。
Yulia(ユリア)さん歌手 / Singer英語で困るることはもうありませんが、ライブでのインタビューではいつも緊張します。
ニュージーランドで最も愛されている国民的歌手といえば、デイヴ・ドビンをおいてほかにいないだろう。1979年、同じ学校の友人たちと組んだロックバンド「Th'Dudes」でデビュー。ソロに転じてからもその勢いは止まらず、次々とヒット曲を連発。デビュー以来28年間、第一線で活躍し続けるデイヴに、お話を伺った。
クライストチャーチで生まれ育った純朴なキャラクターがアイデンティティーとも言える実力派シンガー、ヘイリー・ウェステンラ
国内外でニュージーランド・ミュージックに触れる機会が増えてくる中で、また新たに日本デビューを果たしたバンドがGoodshirtだ。アートスクールに通った、元々はアーティスト志望の4人が作ったバンドだけにビジュアルも重視し、ライブで着る舞台衣装に凝り、ミュージックビデオは他とは少し違った工夫を見せるアート指向でも注目されている。ロックでもない、ポップスでもない、どんなジャンルにも属していないバンドと自らを表現し、ニュージーランドでのメジャーデビューにも関わらず、自らのペースでオリジナルを作るために、自分達のレコード会社からCDをリリースしていきたいと強く自己主張するこだわりを見せる。
映画「Whale Rider」が世界で賞賛を浴び、ニュージーランド・マオリへの関心と理解が深まって行く中、オークランドでは舞台の「Whale Rider」の公演が行われている。この舞台で使われる曲を作詞、作曲し、自らステージに立つのがヒネウェヒ・モヒだ。
雅子さまのお気に入りアーティストであるヘイリー。ドラマ『白い巨塔』や映画『ローレライ』の主題歌を歌ったヘイリー。イギリスのクラシカルチャートで第1位に輝いたヘイリー。そんなヘイリーが、我々に素顔を見せてくれた。そんなヘイリーが、我々に素顔を見せてくれた。
テレビ、映画、コマーシャルなど、ニュージーランドには毎年、多くの撮影のグループが訪れる。そこでの通訳として汀さんは日本人のスタッフとキウイのスタッフの言葉をつないでいる。
Air New Zealand Fashion Weekのコミュニケーションズ・ダイレクターのキャシー・キャンベル。ファッションウィークの裏方として、全てのメディアの対応及び、メディア・センターの運営を任されている。
ニュージーランドで音楽シーンを語るときにあまり表に出ない、あまり人々の口からは語られないオークランドのノースショアで結成されたロックバンドがある。とは言っても、すでに世界のメジャーな都市でのデビューを果たし、評論家の間では70年代のニューヨークパンクの影響を受けた「キウィ・ガレージ・パンク・ロッカー」と評され、CDの売り上げも着実に伸び、ブレイク間近と言われている。
毎夜7時からTV3のCampbell Liveのアンカーをつとめるジョン・キャンベル。毎晩様々な話題やインタビューを取り上げる報道時事番組だ。その「顔」とも言えるジョンにTV業界について語ってもらった。
ニュージーランド国内のみならず世界各国を訪れ、その土地に暮らすキウイのライフスタイルや、文化・背景について詳しくリポートする番組『NZハウス&ガーデン』。プレゼンターの1人を務めるのが、女優のミリアマ・スミス。さまざまなキウイの暮らしを取材した彼女に、魅力溢れる住まいのエピソードをうかがった。
TV/ラジオ プレゼンター Mary Lambieさん充実していた日本暮らしの体験がリポーターの仕事にも活かされています。
CG(コンピューター・グラフィックス)を使ってテレビ、映画のアニメーションを制作しているHu Hu Studio。世界的に見てもCGだけのアニメーション制作会社の数が決して多くない中、そこでアニメーターとして活躍している日本人が畠田証さんである。ニュージーランドをはじめ世界26ヶ国で放送されているアニメ『Buzz and Poppy』の制作に携わり、現在は新しいプロジェクトに入っているという。
ニュージーランドでは気候の良さとDIY気質から、ガーデニングへの関心は古くからあったが、多くの人々にガーデニングの楽しさを啓蒙し、業界関係者をレベルアップさせ、ニュージーランドが一大ガーデニング王国と言われるようになった事に大きな功績を残したのがチャンネルワンで放送されていたガーデニング番組「マギーズ・ガーデン・ショー」だ。番組のプレゼンターを務めたマギー・バリーはその専門的な経験と知識、ジャーナリストもこなすプレゼンターの手腕から、ニュージーランド・ガーデニングのアイコンとも言われている。
「3ニュース」でプレゼンターを務めるキャロル・ハーシフェルドはキャリア、ファッション、美容など、ニュージーランド女性が強い関心を持つテーマで良くメディアに取り上げられるが、一緒にプレゼンターを務めるジョン・キャンベルと同様「自ら歩いて取材する」という辣腕ジャーナリストとしての一面も見逃すことが出来ない。
TV3午後7時からの時事問題をシリアスに扱うニュージーランドのテレビ番組「キャンベル・ライブ」で、自分のパートを持って、コミカルに歌を歌い、エッチな言葉、きわどい言葉を連発してインタビューをする、まるでコメディアンが時事番組に出演していると思わせる、ジャッキー・ブラウン。
映画の制作会社でアシスタントを務めていた未紀さんのニュージーランドへ来た動機は夫についてきたと、極めて簡単であった。しかしそのおかげで映画という新しい世界に飛び込むことができたと言う。ニュージーランドに転がるチャンスは年齢や性別に関係なく、あらゆる方面に広がっている。
ますます活気付くニュージーランドの映画界で、若手の筆頭株といえるのがトア・フレイザー。初監督作『No・2』は今年のサンダンス映画祭で国際観客賞を受賞。現在、世界各地でプロモーション活動を続ける傍ら、新作の準備も進行中だ。ニュージーランド映画祭参加のために来日したトアは、日本の観客の反応に大きな手応えを感じたと言う。キウイ・エンターテインメントの未来を担うトアに、世界へ羽ばたくニュージーランド映画産業に対する見解をうかがった。
WORLD TV Limited カスタマーサービス:辻井 清江さん電話では顔を見ることができないので、言葉で気持ちを伝えられるように心がけています
日本での「忍風戦隊ハリケンジャー」が海外では「パワーレンジャー・ニンジャストーム」となってテレビに登場する。そのヒーロー達の撮影は現在、ニュージーランドで行われており、坂本浩一・素子夫妻は制作に携わっている。アクションスタントの世界に魅入られ、飛び込んだ二人である。
ニュージーランド代表するハチミツの一つが「マヌカハニー」。殺菌力が強い、胃の中のピロリ菌を退治してくれるなど、効果は多岐に渡っている。これらを科学的に実証し、「マヌカハニー」イコール「体にいい」という図式を磐石のものに仕立てたのがワイカト大学のモーラン教授である。しかし、マヌカハニーの成分はいまだ完全には解明されていない。この隠された謎を科学的な研究で解き明かしていく、モーラン教授はニュージーランドハニーのキーパーソンである。
注目を集める雑誌『Cuisine』の編集者の中で最も影響力の強い一人が、ロレイン・ジェイコブスだ。レストラン批評から始めた『Cuisine』の執筆は、現在では、食材、レシピ、ワイン、旅行にまで広がり、『Cuisine』ばかりではなく、食の評論家として、ニュージーランドをはじめ世界のレストラン、食品関連組織の要職も務めるようになった。
ジュリー・ダルゼル:Julie Dalzellキュイジーヌ・パブリケイションズ・リミテッド 雑誌「キュイジーヌ」発行人 : Cuisine Publications Limited「食べる、飲む、もてなす、暮らす、旅する」ための最新ガイド
人間の心理や感情の変化が身体に与える影響や、身体の変化が心理や感情に与える変化を研究するという精神神経免疫学。オークランド大学のHealth Psychology and Practitioner Development Unitに所属するりえさんは、同研究室はこの分野で世界のトップクラスのひとつに位置するという。
ニュージーランドで妊娠していると診断されるとLMC(Lead maternity Carer自分を担当してくれる助産婦)を決めなさいと言われる。日本であれば、産婦人科の医師にかかるというのが主流であるのに対して、この国では助産婦(ミッドワイフ)が主導でお産を進めていく。今年の2月からワイタケレ病院で助産婦として働き始めた美江さんは、このシステムの違いによって、ニュージーランドのお産に戸惑う日本人妊婦さんが少なくないと言う。
ニュージーランドの総合眼科EYE INSTITUTEのテクニシャンとして、マシンを使いこなしテキパキと働く、岸本京美さん。京美さんは、ニュージーランド中から多くの患者が日々訪れる総合眼科 EYE INSTITUTEで、自身が経験して今でもハッピーだという、視力回復手術『レーシック』を担当している。とくに『レーシック』では、目の手術で不安に 思う多くの患者たちと接する彼女。彼女の明るくて思いやりのある人柄に精神的に助けられた患者も多いだろう。そんな京美さんに、視力回復手術『レーシック』について説明をしていただいた。
日本のテレビで紹介され、爆発的に売れたと言われる抗菌性の高い蜂蜜「マヌカ・ハニー」。 人々の関心が高まる中、最も注目を集めるのが、コンビタ・ニュージーランド社だ。それはこの業界の第一人者かつアイコンが、自社製品を自ら使用して、その効果を証明しているからに他ならない。
ニュージーランド人は金歯や銀歯をあまり入れない。笑ったときに真っ白を好む。したがってこの国の歯科技工士に求められるのは陶製の白い歯を作る技術である。茂美さんはその技術を充分に生かした職を見つけ、その中で英語を身につけていった。そしてその英語は置かれている立場によって内容や表現を変えていったという。
クリニカル・データ・アナリスト:新本ゆかさん「好きな作者のペーパーバックを読みあさり、自然に英語に接するようにしました。」
オークランドのベッドタウンであるノースショア市でTherapeutic Massage 、Reiki Practitionerとして活躍するトモコさん。指圧、カイロプラクティック、サプリメント、薬草、気功、温熱など民間治療と呼ばれる近代西洋医学以外の代替医療の中の一つにトモコさんのセラピックマッサージ、レイキ治療がある。
クライストチャーチでセラピューティックマッサージという代替医療と、病院や診療所での医療通訳という二つの医療現場に携わっている裕美さん。共に患者さんの声をしっかりと聞くことが大切なことだという。ワーキングホリデーとしてこの国に来た裕美さんは、日本を出る前に聞いた「目的を持ってニュージーランドで過ごすべきだ」という政府観光局の人の言葉通りに、英語、通訳、マッサージと常に目標を持って仕事に打ち込んできた。
ニュージーランドで看護婦として働きたいと思っている人達に情報を提供していきたいと思っています
オークランドのAlbert Street Dental Careで歯科衛生士として勤務する藤本恵美子さん。ニュージーランドでも日本での経験を生かした仕事がしたいという意志が今の職場を見つけ出す強い動機となっていた。
ニュージーランド全土でただひとつの子供のための心臓外科を持つグリーンレーン病院。その中で笠原さんは小児心臓外科医としてメスを握っている。
患者が医者の説明を理解していなければ、医者は自分の義務を果たしたことにはならない。そのため、ニュージーランドの公立の病院では、英語に自信のない患者に通訳の手配を行っている。そこで政府公認の資格を持つ通訳としてドクターと患者の間に生ずる言葉の誤解をなくす役目を果たしている涼子さんは、英語に自信がある人でも医療通訳を要求した方がいいと言う。自分自身あるいは親族が病気の場合は普段の冷静さを欠くこともあり、病院での言葉のミスは後で大きな間違いにつながる可能性があるからだ。
ニュージーランド国内外にコアなファンを持ち、"G"の愛称で親しまれるガンダルフ。彼は、オークランドを発祥とする国際的スポーツクラブ「レスミルズ ワールド・オブ・フィットネス」(本誌の本年7月号に登場いただいたボディコンバット・プログラム・ディレクターのレイチェル・ニューシャムが所属している)と、ダンススクール「シティ・ダンス」でそれぞれクラスを受け持つダンス教師だ。
登山家・冒険家、エドモント・ヒラリー卿。エベレスト登頂隊に参加して3度目の正直となる1953年5月、ひとりのニュージーランドの養蜂家が歴史に残る英雄となった。
医療通訳 後で振り返った時に後悔しないように、患者さん、ドクターのためだけでなく自分自身のためにも責任をもっていい仕事をしていきたいと思っています。
今年はアテネオリンピックということもあり、ニュージーランド国内でも各競技の代表選考が行われている。柔道も例外ではなく日本との関わりも深い。そんなニュージーランドの道場で杉田菜奈子さんは柔道をしていた。
オークランド・クリケット協会CEOアンドリュー・イェードはクリケットの総本山、ロンドンのインターナショナル・クリケット・カウンシルで東南アジア、太平洋地域、および、全世界のクリケットの普及、強化委員を歴任した経験を持つ。したがって、日本のクリケット事情にも精通している。クリケットの奥深さ、おもしろさを伝授してもらうのにこれほどの適任者はいない。
先月、日本人に全く馴染みのないスポーツ「ネットボール」の地区対抗戦「National Bank Cup Series」が終わった。ネットボールは、イギリスで生まれた女性のボールスポーツだ。
「ボディコンバット」というプログラムをご存知だろうか? これは1968年、オークランドに誕生し、今や国際的ブランドにまで成長したスポーツクラブ「レスミルズワールド・オブ・フィットネス」が発信するグループフィットネス・プログラムの一つ。キックボクシング、ムエタイ、空手、テコンドーといった格闘技の動きを取り入れ、音楽に合わせて体を動かす有酸素運動だ。
現在、オークランドで、学生として生活しながら、クライミングを楽しんでいる大竹美和子さん。同僚から得た情報がキッカケとなり、ニュージーランドに来ることを決めたと言う。
今年3月にニュージーランドで初めてイン・ドアのスキー場「SNOWPLANET」(スノープラネット)がオークランドの北、シルバーデール地区にオープンした。
幼い頃は日本舞踊をたしなんでいたという後藤麻衣さん。もともと日本の伝統文化には興味を持っていたが、武道的なマナーは日本よりも良いといわれるここニュージーランドで始めた合気道の稽古を通して、日本において忘れられつつある「和の心」を学んだ。
釣りが趣味になった人たちが、もう少し数を多く、もう少し大きい魚や少し珍しい魚を釣ろうと、釣りに少しだけエネルギーを注ぎ込むようになった時、お世話になるのがニュージーランド・フィッシングの第一人者ジェフ・トーマスだ。雑誌、書籍、新聞では様々な自称フィッシング・エキスパートが登場するが、ジェフは雑誌、書籍、新聞はもちろんのこと、ビデオ、さらにはラジオ、テレビにまで登場し、独自のインターネット・サイトまで運営している。
マレー・ダウニーはフィッシングガイド業だけで生計を立てている数少ない一人である。彼はニュージーランド北島の観光地ロトルアから南東に約50キロのところにあるムルパラをフィールドにしている。日本からも多くのつり人が彼を訪れており、日本のフライフィッシング界の著名人達も彼の案内で釣りを楽しんでいる。
エアロビクスのインストラクターをする上原陽子。彼女のステージは英語というハンディを感じさせることなくキウイの会員からの人気を着実に上げてきた。そこには経験と知識に裏づけされた自信と、言葉以外でも伝えようとする強い意志があった。
ニュージーランドで日本人女性の活躍が増えている中、ついに女性アウトドアガイドが現われた。世界中から自然を求めて人が集まるこの国では、単に野外活動の技術だけではなく、英語も必須となってくる。それらをクリアーしオークランドのキャニオニング会社で働く神保智子。渓谷をロープを使って下り、水の中や小川を歩いたり、深い水溜りにジャンプして飛び込んだりするキャニオニングは日本ではまだ馴染みが薄い言葉であるが、これから広めていきたいという。
現在、Auckland University of Technologyのスポーツゴルフコーチングディプロマコースに通っているみおこさん。小学校からずっと体育が好きな活発な女性として育ち、「好きな事を仕事にしたい」ということから体育の先生になるために大学の体育学部に入学。
ダイビングの本場、オーストラリアのケアンズを拠点とするダイブセンター『3Dアドベンチャーズ(3DA)』。ケアンズ本店では『パプアニューギニアが誇る 豪華ダイビングクルーズ船PARADISE SPORTのラストトリップを3DAチャーターで飾ろう!』という大胆プランを打ち出すなど、ダイナミックなスケールでダイバーの夢を実現する。そんな 『3DA』が、ケアンズ店とゴールドコースト店に加えて昨年末にニュージーランド店をスタートさせた。ニュージーランドでもダイバーたちのこれまでの限界を超えた壮大なドリームの 実現に挑戦する。そこで『3DA』のニュージーランド店を総括するヒロさんに『ニュージーランド進出とニュージーランドのダイビングの魅力』について語っていただいた。
和代さんがスキューバダイビングをするきっかけは2002年2月ご主人の仕事の都合で家族一緒にニュージーランドに移り住んできたことだった。
『海の活動』を日本で行ってきた植木弥生さん。ニュージーランド発祥の海の活動『Waterwise(ウォーターワイズ)』やダイビングなどを通して、積極的 に海の楽しさを自らも体験する彼女。そんな弥生さんにニュージーランドで経験した新たな『海の活動』の体験や発見について語っていただいた。
ニュージーランドの海の中は地上と同様にとても壮大です。深く澄んだ青い海と、尖塔や切り立った崖や谷、洞窟 など豪快な地形がニュージーランドの海の特徴です。そして魚たちも、キウイのようにフレンドリーです。またハンティングも楽しめ、様々な楽しみ方ができることが、ニュージーランドの海の魅力です。
ニュージーランドに住んでいる人ならば「LINE7」(ライン7)と言えば何のことかわからない人はいないはず。いたるところで目にし、また、あらゆる人が着ている、ニュージーランドで生まれた、あのヨットとカジュアルウェアのブランドだ。
10月1日に火ぶたが切って落とされたルイ・ヴィトン カップ。6ヶ国から9つのシンジケート(チーム)が参加して行われる5ヶ月以上にも渡るヨットの大イベントだ。来年2月に行われるアメリカズ・カップでカップを保持するチーム・ニュージーランドに挑戦する1シンジケートを決めるための挑戦艇選抜シリーズとなる。
ニュージーランドの海でのスキューバダイビングは、イセエビ取りなどのハンティングをできることが魅力のひとつである。由季絵さんは、プールなどの施設の充実度や無事故無違反のコース開催実績が この国でも高いことで知られているダイブショップ Dive Centre Ltd.でインストラクターとして仕事をしている。
ニュージーランドのスポーツ界で2003年最大の関心事が二つある。一つはラグビーのワールドカップでオールブラックスが優勝できるかどうか、そして二つ目はチーム・ニュージーランドがアメリカズ・カップを再び防衛できるどうかだ。カップ再防衛への国民の期待が高まる中、総勢80人のチームニュージーランドを率いるのがC.E.O.(最高責任者)ロス・ブラックマンだ。
「ニュージーランドで最も影響力のある50人」にひときわ異彩を放っている人がいた。おどけてみせる独特なキャラクターで自らを売り出し、学歴もなく、労働者階級のヒーローと言われ、その親しみやすさから最も人気のオークランダーと言われている。それは41位にランクした、マッド・ブッチャーことピーター・レイチだ。
海が好きで、セーリングが大好きな、私のための仕事です。
船大工とも言うべきボートビルダーになることを目指してニュージーランドに来た弘太朗さん。多くの会社に何度もアタックして、入社後は人の何倍も努力してそのポジションを得た。そして、現在はニュージーランドのボート製造会社への発注は、国内だけでなくオーストラリアやアメリカを中心に年々増加傾向にあるため、休日返上で作業を行うことも多いと弘太朗さんは言う。
今年のラグビー界のニュースと言えば、新しい試みとなった、西サモア、トンガ、フィジーの3か国の混成チーム「パシフィック・アイランダーズ」だ。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカに伍する力があることが証明され、来年も試合が組まれることになれば、新たなラグビー勢力として注目を集めるに違いない。 そんな「パシフィック・アイランダーズ」を一歩引いた立場から熱い視線を浴びせていたのがブライアン・ウィリアムスだ。西サモアに祖先を持ち、オールブラックスとして活躍し、引退後のコーチ、監督としても優れた手腕を発揮している。「パシフィック・アイランダーズ」が発足した今年のラグビーシーズンを総括するのに最もふさわしいのはこの人に違いない。
スポーツエージェント Lou Thompson さん誰もが「私はエージェントだ」と言える時代は終わりました。
アメリカズ・カップ2003をスポンサー探しや資金集め、2大会の運営、広報活動、開会・閉会式の実施などさまざまな面から統括しているニュージーランド人がいる。前回のアメリカズ・カップ2000でも同じポジションを切り盛りした実績を買われ、前回以上に今大会を盛り上げるため、スポーツマーケティングのノウハウとビジネス界で得た経験をフル活用している。
今年も激戦が繰り広げられたスーパー12もまもなくファイナルを迎える。例年プレイオフに進出する強豪チームオークランド・ブルースでコーチの補助とも言えるビデオアナリストに従事する浜村 裕之さんは、静かなまなざしでゲームを見守っていた。
先月にはNPCが開幕し、早くも盛り上がりを見せ始めているニュージーランド。そのラグビー大国でレフリーになるためにニュージーランドに来た谷欣也さんの夢は、2011年に日本で開催されるかもしれないワールドカップでレフリーを努めること。
ラグビー国内選手権NPCオークランド監督オークランドが強い年はオールブラックスも強いのです。
必勝を期して望んだ昨年末のラグビーワールドカップでは、大会開催期間前から計約二ヶ月半の間、オールブラックスに付きっきりで、キープレーヤーの病気やけがの治療に専念し、ワールドカップを最後に16年間務めたオールブラックスの医師から退くことになったのがジョン・メイヒューだ。ラグビーがアマチュアからプロになる過渡期にも医師としてオールブラックスに関わり、責任の重さと精神的な負担、費やす時間が止めどなく増えたことや二度のラグビーワールドカップ準決勝でのまさかの敗退による絶望感は今だから言えることと、多忙だった16年間の過去を振り返ってくれた。
チャーリーズというブランドのオレンジジュースを飲んだことがあるだろうか?オレンジをしぼり、何の手も加えていない果汁をそのまま商品化した、ニュージーランドでは後発のジュースブランドのことだ。値段は他のジュースと比べて高いにもかかわらず、このところ、スーパーマーケットの棚では陳列スペースを拡大し、多くのファンを獲得し続けている。「チャーリーズ」の創業者の一人であるマーク・エリスは二つのテレビ番組でプレゼンターを務め、実業家とタレントの両方の顔を持つ。さらに、オールブラックスとキウイズ(ラグビーリーグのニュージーランド代表チーム)という二つのラグビーでニュージーランド代表となるスポーツ選手としての経歴も見逃せない。
2月に「スーパー12」が開幕し、今年もラグビーシーズンが到来したニュージーランド。稲葉潤さんは、そのラグビー王国の地域のクラブチームでラグビーをプレーしていた。
現在、為替専門会社KVB Kunlun NZ Ltdで、ジャパニーズ・ディビジョン・マネジャーおよび社内のカスタマーサービスのトレーナーとして活躍する井上京さん。つねに美しい輝きを放つ彼女は、可愛らしさと強さを持ち、人としてもとても魅力的な女性である。そんな京さんに、現在に至った道のりと、彼女に魅力を与え続けたKVBについてお話を伺った。
オークランド・ブルーズにはオールブラックスのプレーヤーとして、そしてキャプテンとして歴史に残る名勝負を戦ったニュージーランド・ラグビーのアイコンが、日の目を見ない裏方のポジションであるチーム・マネージャーとして手腕をふるっている。日本のラグビークラブのマネージャーとは仕事の内容が全く違う、想像を絶するほど忙しいマネージャー職をこなすプロの素顔を紹介しよう。
日本人の間で人気のニュージーランドのラグビープレーヤーとなると、昨年までオールブラックスのキャプテンを務めた、タナ・ウマガ、昨シーズンの世界最優秀選手に選ばれた、ダニエル・カーター、次期オールブラックスのキャプテンと目されるリッチー・マッカウなどがいるが、イーキューブのイチオシは何と言ってもこの、ダグ・ハウレットだ。日本人女性の中で最も人気と言っても過言ではないだろう。 「Rugby for girls」のテーマでインタビューを依頼したら、照れながら「本当に光栄だ」と答えた謙虚さも、その人気の一つに違いない。
ラグビーの本場ニュージーランド。夏の夕方、多くのタッチラグビーの試合が行われるグレイリーンパーク。試合終了後、ほてった顔で対戦相手のキウイのチームの選手たちと握手をする日本人女性。試合前の姿からは想像もしていなかった充実感いっぱいの梶野叔美さんの姿がそこにあった。全ては、この瞬間を得るため。そんな言葉が聞こえてくるような気がした。
オールブラックスの女性版、つまり、女子ラグビーのニュージーランド代表チームはブラック・ファーンズと呼ばれる。その中でひときわ目を引くプレーヤーがいた。
オークランドシティの目抜き通りQueen Stのダウンタウン側の入り口に門のように両側に店を構えるラグビー専門店Champions of the World。ラグビー王国ニュージーランドの象徴とも言えるだろう。その店が昔、ラグビー専門店Canterburyだった頃からターナー三千枝さんは働き続け、今年で16年目となる。
『将来は日本から出て、外の世界が見たい』と大学2回生の時に考えて以来、常に海外との繋がりを意識し、向上心を持ちながら過ごしてきた高田あつ子さん。そして、地道な努力の末、昨年11月にニュージーランド最大の企業『フォンテラ』に転職し、大企業への就職という大きな目的を果たした彼女。そんなあつ子さんに、ニュージーランドで ローカルの大手企業へ就職する秘訣を教えていただこう。
ヘラルド新聞社のオフィスで、とても流暢な英語で対応をする久美さんは、アカウントクラークとして働く。久美さんのサクセスストーリーの中には、いつも人の支えがある。みんなに愛されて、支えられて、着実に人生を切り開く久美さん。親しみ易い人柄。これが彼女のサクセスストーリーの鍵なのかもしれない。
ノースショアシティ・カウンシルの交通課でトランスポート・プロジェクト・エバリュエーターをしている坂井香奈さん。シティカウンシルは、ニュージーランドでキャリアスタートにはベストな場所だという彼女。
Queen St.のナショナルバンク・オークランド支店に入るとすぐ目の前にあるカウンターの向こうに、いつもにこやかな笑顔で訪れる客を迎える新家愛子さんの姿がある。同銀行でのカスタマーサービスオフィサーとして勤務する傍ら、夜間はAUTの会計学修士課程に通いながら、家事や育児をもこなす彼女の超多忙な生活を上手く切り回すコツは、今日できることを決して明日には回さないことだという。
これまでの『日本食品は高い!』という意識から、『リーズナブルな価格で日本食品が買える』という意識へと、ニュージーランドのみんなの意識を大きく塗り替えてしまったキッコーマン・グループのJFCニュージーランド。2004年にJFCが良心的な価格の日本食品を持ってニュージーランドに進出してきて以来、日本食品の市場の価格が一気に低下。JFCは世界のネットワークを活用し、ニュージーランドのご家庭に良心的な価格で日本食品を届けてくれる、食の女神的存在だ。
オークランドの街の中心クイーンストリートにあるASB BANK オークランド支店でカスタマーサービスオフィサーとして働くひとみさん。彼女は日本では接客業をはじめ英語教師、OLなどさまざまな職業に携わってきた。それは自分の可能性を模索し、伸ばすためであり、今後もそれは変わらないと言う。現在の仕事に就いたのもキウイの社会で働く第一歩として最適な職場であると考えたからである。
ワーキングホリデーでこの国に来て以来、この国に魅せられ、住んでしまったあゆみさん。今までいくつかの仕事に携わっていたが、英語上達のために日本人コミュニティから離れ、現在はオークランドのテアタツにあるNZ Ethnic Social Services Trustで日本人に限らず、困っている人のためのサポートをしている。
ニュージーランドにいる以上は、何事にも英語はついて回る。しかし英語がネイティブでない者にとってはできれば英語でなく母国語でコミュニケーションを取れればと感じる事柄もある。法律、疾病に並んで、会計もその一つではないだろうか。オークランドの監査法人に勤務する亜紀さんはニュージーランドの公認会計士を目指して日々、数字と格闘している。
Shizuka Watanabe 渡辺 静香 さん 不動産会社Ray White New Lynn 支店レセプショニスト 家の売り手を見つけることは、買い手を見つけるのと同じくらい大切です。
ニュージーランドの大手保険会社グループMike Henry Groupの一社であるGlobal Healthcare Limitedで保険金請求の審査をするヒロミさん。医療用語や保険用語が飛び交う職場では現在も勉強の毎日だという。
新開 由美さん ジュエリー会社 クオリティ・コントロール・オペレーター ニュージーランドのジュエリーはどれも個性的です
日本で200店舗以上のバイク販売店を持つレッドバロングループのオークランド店でサービス・レセプショニストとして働く塩島知世。日本からニュージーランドにツーリングに来るライダー達にバイクのレンタルをするという業務のほかに、彼女にはバイクの整備や修理をするワークショップの受付という仕事もあり、毎日が充実しているという。
英語の最初の壁を破るための我慢。どこまで我慢をするかによって一歩踏み出すことができるかどうかが決ってくる。高校では英語は苦手科目、音楽と体育が得意だった大輔さんはニュージーランドの仕事という環境のなかで英語を習得していったと語る。
26 歳と言う若さでダウンタウンのDFS GALLERIAのファッションデパートメントでチームリーダーを務める渡辺真代さんは、ニュージーランドに来たときにはまったく英語を話すことができなかった。彼女は語学留学を決めたとき、一年という限られた期間で英語を習得しようと考え、渡航に当たって勉強に徹する覚悟を決めたという。そして一年後、英語を学ぶことを終え、今度は英語を使って何かを学びたいと思うまでになっていた。
Noel Leeming マヌカウ店勤務:小俣 文彦 さん諦めることなく度胸を決めて英語の中に飛び込んでいきました。
North Shore City Visitor Information Centre:かをりシニアーさんインフォメーションセンターの仕事の始まりはボランティアからでした。
ニュージーランド・ワインが、ニュージーランドの大きな魅力のひとつと語る、ファイソン幸さん。現在、シティのニュージーランド・ワインメーカーズ・センターという旅行者向けのワインショップで働いている。ワインが大好きな彼女の、日々、前向きにニュージーランド・ワインを勉強する姿勢が印象的だ。そんな幸さんに、プレゼント用のニュージーランド・ワインとニュージーランド・ワインの楽しみ方について語っていただいた。
ニュージーランドのワインと言えば白、赤ワインと言えばオーストラリアと言うのはもう時代遅れ!「プロヴィダンス」というワインをご存じだろうか?れっきとしたニュージーランドの赤ワインだが、恐らくほとんどの読者が見たことも聞いたこともないと言うに違いない。一部のワインファンの間では「ニュージーランドのシンデレラワイン」とまで言われる。それは突然にして出現したすごいワインという事だ。値段は高いが、手が出ないと言うなかれ。すばらしいワインとはこんなワインのことを言うのだ!
マスター・オブ・ワイン : Wine Critic好きなワインを記憶する。これがワインを知る第一歩です。
女性起業家:ワイン/Island Wineワイヘキ島の一流ワイナリー、Stonyridgeのボルドースタイルワインのように、年と共に深みを増す人生。それが、私の憧れです。
レストラン・ケータリング会社経営 David & Harbans Williams夫妻心に残るひと時を体験していただく為の時間と労力は惜しみません。
シェフ Geoff Scott さんニュージーランドらしい素材の発見。手近にある素材でも違った試みを施す。この二つが私の哲学。
木下 尚浩 さん & ウ・キョンファ夫妻Passage Rock Wine勤務 一番の感動はブドウを収穫する瞬間です。
ジュディス・タブロン:Judith Tabron ソウル・バー・アンド・ビストロ オーナー : Soul bar and bistro owner
「ニュージーランドにはもともといい食材はあったが、いい料理人がいなかった」と言う決まり文句はもう過去のもの。今ではニュージーランドで食べる料理のレベルは世界のどの都市と比べても引けを取ることがなくなった。ニュージーランドの料理人のレベルを上げ、それを食べるニュージーランド人の食への関心を高めるのに大きな功績を残しているのが、料理と旅行に関する著作を7冊出版し、テレビ番組「Taste New Zealand」でプレゼンターも務めるペタ・マセイアスだ。
TV3で放送されている「Gone Fishin」。その中のコーナーで手早く、美味しそうな魚料理を披露してくれるデレク・ロバートソン。彼はニュージーランドで最高の設備を誇る料理・ホスピタリティ専門学校North Shore International Academyで講師を務める。
人生の半分を一緒に過ごしてきたキウイ・ハズバンドのDarylさん(以下、デロさん)と昨年5月に、コロンバス・カフェのハイストリート店の経営をスター トした麻里さん。オーナーとして絶えず夢を膨らませ、その実現に向かう彼女に、フランチャイズ店であるコロンバス・カフェの経営について教えていただこ う。
日本のパティシエは、ニュージーランドでは高いレベルのパティシエになることができ、自分自身のお店を持ちたい日本人のパティシエにとっても、ニュージーランドは夢を実現することのできる場所です。
3年前のオープン以来、ニュージーランドの日本料理界に新風を吹き込み続けるsoto。今や、国内外の有名人たちが必ず足を運ぶ日本食レストランと言えばsotoというほどに。そして今年、ニュージーランドを代表する料理雑誌『Cuisine』のCuisine Restaurant of the Year 2007のエスニック部門で最優秀賞をsotoが手にしたことで、名実共に不動の地位を築き上げた。今回は、そんなsotoのGeneral Manager & Executive Chefとしてsotoの立ち上げから活躍する徳山真人さんにインタビューをお願いした。
7年前ご両親とともにヨットで日本を離れ 、ニュージーランドへ上陸した鈴木一哉さん。シェフの道を歩むきっかけとなったのは、ボート生活で得た経験、人との出会いが非常に大きかったと言う。現在、One Tree Grillでセカンドシェフとして活躍されている一哉さんに、これまでの道のりとシェフの仕事、そして将来の夢について語っていただいた。
現在、オークランドにあるカフェで働いている富田真紀さん。毎日、朝早くから出勤して地元キウィで混む、忙しい職場でお客さんと接している彼女が、海外に出る初めてのキッカケはオーストラリアにワーキングホリデーで行ったことだった。
バーテンダー 菅谷 陽子 さん安らぎを求めてさ迷い続ける人々。
カフェのシェフ 森田 良子 さん料理をしながら、自分自身の夢が明確になりました。
和食店のシェフである工藤さんは英語そのものを仕事の武器にしているわけではない。しかし、彼の自宅に電話をかけたキウイは皆一様に、工藤さんの英語をネイティブスピーカーのそれと間違えるほど、綺麗で正しい、英語を話すという。
ビストロ・ユーロ・アジア オーナーシェフ 西 謙介 さん日本の洋食の味を気に入ってくれて、うちのファンになってくれる キウイが増えてきました。
ベーカリー勤務 林 敬太 さんパンの魅力をニュージーランドに来て再認識しました
シェフ 金 浩二 さん西欧料理の中に日本料理の繊細さを加え、独自の世界を表現していきたい。
第一回 就職&学校紹介フェア」を見事に成功させ、さとこさんは今ニュージーランドで輝く女社長のひとりと言えるだろう。また「運だけでここまで来ました」と言うラッキーガールになるヒントが彼女の人生に隠れているのかもしれない。
スリルのニュージーランドと言われる最右翼が、南半球一高い建物として知られる、328メートルのスカイタワーからジャンプする「スカイ・ジャンプ」。この「スカイ・ジャンプ」の創業者がスティーブ・ウェイドマンだ。
これまでにはないユニークな商品展開に、すでにニュージーランド国内でも話題を呼び、海外からの販売オファーもきているという。一躍、新進ベンチャー起業家の仲間入りを果たしたアンジェラ。大きな夢に向かって走り出した彼女に話を伺った。
Annah Strettonさん ファッションデザイナー&起業家「目標とする人は要らない」自分自身で自分を育てる。キウィ女性起業家からすべての女性へのメッセージ
ラワカ・マオリ・ヴィレッジ代表 Suzanne Paul さん「これでやっと、オークランドでマオリショーが観られるようになります。」
ニュージーランドの民宿とも言えるB&B(Bed&Breakfast)をオークランドで経営している北村葉子さん。シティの南東に位置するニューマーケットの住宅街にあるB&B「Newmarket Cottage」では、毎日たった一組の宿泊しか受け付けていない。だからこそ、一人一人のお客様に合わせたきめの細かいサービスが提供できると葉子さんは言う。
今年、初の日本人経営バックパッカーズ『サーフンスノー』が、スカイタワーの目の前にオープンした。ワーホリ時代、バッパー生活が大好きだったというワーホリ生活を満喫したオーナーの由紀さんは、現在は「目指せ!NZのオアシス」を合言葉に、バッパーのオーナーとして日本人ワーホリ、旅行者、留学生たちに活気を与える存在だ。
翻訳部門のオペレーター坂名由希子さん。デザイン会社で翻訳部門のオペレーターとして活躍。仕事でもプライベートでもワーキングホリディ生活を満喫している。
生活のすべてを演出する「ライフコーディネイター」 それは多くの人を、そして自分自身を楽しませる エンターテイメント精神から始まる。
Interpreter / Translator:育子 ブート さん書き手と読み手の気持ちをつなぐ翻訳を心がけています。
鳥の権威として知られるDr. Westeraの助手として、動物病院でボランティアをしている及川悦子さん。日本では獣医師としての勤務経験も持つが、ニュージーランドと日本の動物愛護や診療方針 に対する考え方の違いにとまどうことも多いという。しかし、こうした様々な経験を通して国際的視野を身につけ、将来は一回りも二回りも成長した獣医師とし て活躍するに違いない。
動物愛護団体SPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals)は、125年前イングランドで動物愛護の法律が作られて以来、SPCAは世界中に規模を広げ、多くの動物の命を救ってきた。現在NZでは48の独立団体が設けられている。その中心オークランド施設で、動物への思いやりを決して忘れず誠意を持ち動物と接する模範スタッフ、それがSPCAの最高責任者Bob Kerridgeだ。動物保護以外にも、動物を通しての"命の大切さ"教育活動にも専念し、その他、動物の持つ癒しの力をセラピーとして導入し施設訪問するなど、扇情的に活動を広げている。
手間をかけて手入れをすればその分だけ庭は必ず応えてくれ、人の心を癒すことさえできるものです。そんな庭いじりの楽しさを出来るだけ多くの人に知ってもらいたいです。
オークランドにあるUNITECのAnimal management canine behaviour & trainingで動物のトレーニング方法などを勉強している加藤直子さん。その勉強をするキッカケは大学のゼミ研修でニュージーランドに来たことだった。
「100% Pure New Zealand Garden」はオークランド近郊のカレカレ・ビーチからインスピレーションを得て、この国の類まれなる自然環境とアートやカルチャーを組み合わせて表現したものだという。意欲的にデザインに取り組み、ニュージーランドのガーデニング産業をリードするゼンシィに、今年のフラワーショーと彼女が手懸けるガーデンについてお話をうかがった。
ニュージーランドではグルーマーが不足しているので活躍のチャンスが多いにあります。
オークランドで犬のグルーミングを勉強しているさおりさん。幼い頃から海外勤務だった父の姿を見て育ったため、英語に対するあこがれや海外で生活してみたいという思いが普通の人に比べて強かった。彼女が犬の仕事に興味を持つことになったのは就職してからだった。
「ニュージーランドの素材を活かすランドスケープデザインで日本を演出したい」ランドスケープ・デザイナー 山本 祐輔 さん
「ガーデンシティ(庭の街)」と呼ばれる南島のクライストチャーチ。この溢れんばかりの緑に包まれた美しい街並を見渡せる丘に住む安井静香さん。その住まいは、静香さんたちご夫婦によって自由に思いのまま設計デザインされている。日本の建築士の彼女が、ニュージーランドを活躍の場とし、ミクスト・カルチャーを交えた満足ある空間を提供している。
日本人のインテリアデザイナーとして活躍する有加子さん。同時に主婦と学生という顔も持っている。2000年にデザイン会社を設立して以来、オークランドの空前の建築ブームと共にレストラン、バー、ネイルサロンなど様々な店舗のデザインを行ってきた。相手のイメージを実際の形にするデザイナーにとって一番大切なことはコミュニケーションであり、仕事で最も大切にしてきたことであると有加子さんは言う。
毎年2月になるとフラワーフェスティバルが開かれ、国内外から多くの観光客が訪れる南島の都市クライストチャーチ。普段でもガーデニングが盛んな街として有名で別名ガーデンシティ(庭園の街)と呼ばれている。この街で横井靖子さんは、ボランティアでガーデニングにふれていた。
AUT空間デザイン専攻 / AUT Bachelor of Spatial Design Student 鎌田 塁さん「空間デザインで大切なのは、空間にゼロから何かを創りだす力です。」
90年に旅行ではじめて来たニュージーランド。そのときに見た花に魅了されてガーデニング留学をする。その後、ランドスケープデザイナー(造園設計士)としてオークランドで働くことになる。オークランド・ドメインの桜、ワイタケレ市の日本庭園などのビッグプロジェクトを手がける。
Jun Arita 有田 潤さんIllustratorニュージーランドでのイラスト制作は、キャンバスを超えた素晴らしい出会いがあります。
ケイティ・ハースト=サックストンさん バレリーナ 感性豊かにのびのびと踊る。それがロイヤルニュージーランドバレエ団のスタイルです。
2005年のコメディ・フェスティバルで最優秀新人賞に輝いたHiroshiさん。自らの芸について語るニュージーランド・コメディ界の新人の頂点に立ったHiroshiさんの素顔をご紹介しよう。
若さの象徴とは、限りない好奇心と無謀とも思える勢いなのかもしれない。ニュージーランドのHip Hop系音楽誌『Back 2 Basics』のカメラマンとして被写体を狙う神田淳さんの姿から感じたのは、正にそれだった。
Hitoshi Chida 千田 等さん配管工/水道工事士日本の技をニュージーランドへ
ニュージーランドのガラス器ブランドが世界から注目されている事は日本ではまだまだ知る人は少ない。そのガラス器を作るのはもともとスウェーデンからの移民夫婦で、スウェーデンの伝統的ガラス製作技術とニュージーランドに息づく自然のイメージを融合させたところが世界中の他のガラス器と違うところだ。
ニュージーランド観光局は首都ウエリントンに本部を構え、ニュージーランドを観光地として世界中にプロモーションする政府機関だ。観光業が酪農業と並ぶニュージーランドの主要産業であるだけに、政府の力の入れ方も日本の比ではない。ジェーンさんが所属するインターナショナル・メディア・センターは、観光局本部があるウエリントンから離れて、様々なメディアが集中するオークランドにオフィスがある。仕事の内容は世界中のメディアにニュージーランドをプロモーションする事。現職に就くまでニュージーランドの主要なメディアに関わっていた経験を生かして、世界中の人達の注目をニュージーランドに集めるためにエネルギーを注いでいる。
フライトアテンダントを目指して、本格的な勉強を始めた零奈さん。夢に向かって一歩一歩着実に近付いていっている彼女に、フライトアテンダントに憧れたきっかけ、ニュージーランドでの留学生活と今後の予定そして理想のフライトアテンダント像について語っていただいた
ニュージーランド国内に28、シドニーに1軒のホテルを有するホテルチェーン「Millennium Copthorne Quality Hotels and Resorts (MCQ)」。それら29ホテルの予約を受けている部門のセントラル・リザベーション・オフィスに勤務している大内恵子さん。予約や問い合わせの件数は電話だけで一日に500件前後になる。
スタンフォードの建物が、延べ4ヶ月間に及ぶ改装工事を終 えて、遂に新しく生まれ変わった。足を踏み入れると別世界のようなゴージャスなロビー、個性溢れる3つのレストラン、より洗練されたお部屋、それに加え て、10月は特別企画『オープニングスペシャル』と豪華絢爛。そして、ホスピタリティ溢れるスタッフたちの温かいおもてなし。実はこれがスタンフォードの 最大の魅力なのではないだろうか。では、そんなスタンフォードプラザ・オークランドでリザベーション・レベニュー・マネジャーとして働く有香さんに、新し くなった建物の中を案内していただこう。
ニュージーランドのヘリコプターパイロットは、ヘリスキー、雪崩の監視管理、ヘリフィッシング、ヘリハンティング、家畜の管理、各種観光ツアー、航空写真撮影など幅広い活動を支えている。クライストチャーチ国際空港に隣接しているChristchurch Helicoptersで誠さんは、インストラクターとして未来のパイロット達を育てている。
ハンティング・ガイド・コーディネーター 結城 将輝 さん ハンティングはスポーツです。
英語や専門分野の勉強、ニュージーランドならではの体験、就職のための資格を取るなど、読者のみなさんの夢の実現を応援するイーキューブが今回ご紹介するのは、ニュージーランド留学を経て現在JTBで働く加藤祐介さんと林桃子さん。ニュージーランドのメイン産業でもある、花形の旅行業界で海外就職という、多くの人が抱く夢を実現させた2人にその成功の秘訣を聞いてみた。そして、みんなの憧れのJTBのオフィスを少し覗いてみよう。
ニュージーランドの大手旅行会社United Travel Remueraでコンサルタントとして働くジョンソン智美さん。ローカルの旅行会社ならではの豊富な旅の情報を日々お客様に提供し、個々に合った最高の旅 づくりに全力を尽くす彼女。そんな智美さんにキウイが愛するクルーズの楽しさとUnited Travel Remueraが世界に発信する耳寄りな旅行情報について教えていただこう。
GEOS 英語講師養成講座留学生 いつか自分の子供ができたら、世界で通用するジオスのTESOLとTECSOL資格を活かして、近所の子供を集めて英語を教えたいです。
クライストチャーチには、大手旅行会社を含め数多くの旅行関連会社が存在している。スローン令子さんは、自らが体験した経験を生かして南島を中心としたオリジナルツアー、ウエディング、留学手配などをひとりひとりのニーズに合わせて手配している。
ツアーガイドは天職であると言う葉子コーフォードさんは20年以上もこの仕事を続けているベテラン中のベテランである。ニュージーランドにまだツアーガイドという分野の仕事がはっきりと確立されていない時期に始め、ご令孫がいる今でもバスに乗り込み、マイクを握るのはお客さんの笑顔を見ることが何よりの楽しみだからだと言う。ツアーガイドは葉子さんにとってそれほどまでにやりがいのある仕事である。
「ニュージーランドの教育現場で学んだことを生かして、4月からは日本で教員になります」小学校教員 小林加奈子さん
オークランド大学 教育心理学講師/ 勇気を与えてくれたニュージーランドに教育の専門家として貢献すること。それが、私の今後の役目だと思っています。
オークランドシティにある幼稚園キンダーケア・ラーニング・センターで、子供たちに溶け込んで遊ぶ高島美智子さん。現在、児童英語教師TESOLコースを 修了し、ニュージーランドの幼稚園キンダーケアの先生としてワークビザを取得して働いている。慣れた手つきで子供たちのモーニングティーやランチを作り、オムツを変え、ニュージーランド人の先生や子供たちとしっかり英語でコミュニケーションをとり、子供たちに囲まれて戯れる美智子さんは、ごくごく普通のニュージーランド人の幼稚園の先生のようだった。
英語好きの母親の影響で、小さい頃から英語環境にいたという大庭玲於奈さん。ニュージーランドの高校に留学、そして卒業後、まだまだ勉強を続けたいという思いに駆られ、今年3月からWhitireiaポリテクニックの幼児教育準学士コースに進学した。学究肌で、勉強中心の日々を送っている玲於奈さんに、ニュージーランドでの学生生活について伺った。
オークランドにあるAuckland College of EducationのBA of Primaryでニュージーランドの小学校の先生になる勉強をしている恒吉友紀さんは、幼い頃から海外に興味があったという。日本語教師や小学校の先生になるための勉強から、ニュージーランドの教育制度のすばらしさを感じました。
日本語 スペイン語 教師:稲葉 悦子 さん患者さんの名前を正確に発音するように心がけています。
公立幼稚園教諭:ユキコ ペンフォルド さん0歳から3歳までの言葉を覚える年齢の子供が理解できるように、丁寧な英語をゆっくりと話すようにしています。
子供の世話や家事をする代わりにベッドと食事を提供されるオーペアとして、ニュージーランドの一般家庭リチャードソンファミリーと生活を共にしている比嘉新子さん。当初 の目的は英語を習得することだったが、英語以外に、彼らの夫婦間、親子間のコミュニケーションを目にしたことで、英語でのコミュニケーション以前の、人としてのコミュニケーション法を学んだ。
オペア斡旋会社「ピュアホリデイ」の社長・小沢康子さんは、オペアの頼れるお姉さま的存在。現地の人に囲まれ、「これがニュージーランドだ!」という生活にどっぷり漬かるオペア生活だから大きな喜びの反面、不安も。ご自身もオペアの経験をもつ康子さんは、そんなオペアたちの話を聞き、喜びを分け合ったり悩みを聞いたりしてお世話をしているうちに、いつしかそれが仕事となり生き甲斐になったという。
現在、幼児教育を学ぶためにAuckland University of Technologyに通っている彩さん。ニュージーランドに来た目的はベビーシッターの経験を積み、子供についての勉強をすることであった。高校3年の夏、現在までにいたる転機が彩さんに訪れる。
これまでの約10年間、日本でラグビーを愛し続けてきた西村さおりさん。オーペアとして、ラグビーが生活の一部であるキウィの家庭に溶け込んできた彼女に、この1年間この国で得たさまざまな経験と思い出を伺ってみた。
LET'S J-Shine学生 児童英語教師になるには子供が好きなだけでなく責任感と力強さ、厳しさのバランスが大切。それをレッツが教えてくれました。
ニュージーランドの大手不動産会社のセールスを担当し、常に売り上げランキングトップ10に名を連ねている凄腕のセールスパーソンMichael Boulgarisさん
ニュージーランドで日本人のビザコンサルティングの第一人者である松本さん。英語が上手というのは相手に如何に自分の意思が伝えられるかが判断材料になるという。彼自身が行っている英語の習得方法は地道であるが、しかし、確実でもあると語ってくれた。
早期退職後の海外移住を計画を温めつつ大手IT企業のマネージメントとして活躍してきたご夫婦。お二人が移住を決められた最大の要因は、お子様の誕生と子育てだったという。子育てを生活の中心に据えてこられたご夫婦にニュージーランドとの日本での生活についてと、将来への展望についてお話を伺った。
クライストチャーチで不動産セールスコンサルタントとして活躍する西田涼子さん。ニュージーランド大手不動産会社Harcoursに属し、それ以外にもクライストチャーチの情報Webサイト「シンプルリッチ生活」を運営。日本からの問合せも受け付け、不動産購入まで全てにおいてサポートを行っている。
ニュージーランド・ライフコーディネーターとして10年以上の経験を持ち、現在はキウイの旦那様と二人三脚で、不動産業界で活躍する通称ペコちゃんこと、一色良子さん。ニュージーランド渡航前からニュージーランドでのマイホームや投資物件の購入に至るまで、夢のニュージーランド・ ライフを実現するために大切なことをお伺いした。
現在まで十数年に及ぶニュージーランドの最大手不動産会社での在籍期間中、売り上げ金額で2位以下に下がった事がないというスーパー・セールス・ウーマン、Leila MacDonaldさん
求人の多いホスピタリティ・ビジネスは、気配り上手な日本人に最適な業界。調理師, ホスピタリティー,専門学校「NSIA」はNZで活躍する夢を叶えます。
ビザコンサルタント:岡上 恭子 さんインターネットで情報が入手できる時代でも新聞を読むことは英語上達の近道です。
ニュージーランドの象徴とも言えるホスピタリティ精神は、一夜にしてできたものではない ことは言うまでもない。その裏側には、数々の優秀な人材を送り出すホスピタリティの専門学校の存在もある。中でも、トップレベルの学校なのがNZMAだ。 これまでに、NZMAはNew Zealand Culinary Fare、Winner Training Excellence Awardに3年連続で輝き、多くの生徒たちもまた数々のメダルを獲得している。そんな世界に通ずるホスピタリティ教育をリードするNZMAの教育現場を 覗いてみよう。
スタンフォード・プラザ・オークランドホテルの鉄板焼きレストラン『歌舞伎』およびバーのスーパーバイザーとして活躍するミーク万梨さん。彼女のハツラツとした笑顔と愛らしさに加え、ハーフ・オーストラリアンの彼女らしく、日本と西洋の良さをミックスしたサービスは、お客様の心を捉え続けている。
日本では、大学を卒業後そして結婚後もお子さんが生まれてからも、朝から晩までほとんど毎日休みなく働いていたという光春さん。30代を迎えた今年、 ニュージーランドでノースショア料理・ホスピタリティー専門学校の学生としての生活をスタートさせた彼に、今までや現在の暮らし、そして将来への思いを語っていただいた。
Takeru Oikawa 及川 尊さん学生:フィティレイア ポリテクニックカジュアル、そして温かい キウィのホスピタリティーをポリテクで
Tim Cullinaneさんホスピタリティー学校、英語学校、リクルートエージェント経営優秀な人材が集まるキーワードは 「ハイクオリティ・スタンダード」です
吉垣内 美香 さんNew Zealand Hospitality Management Academy 学生海の近くでカフェを開くのが夢です。
ニュージーランド在住の日本人の3分の1が滞在すると言われ、多くの日本人の一番の思い出の地でもある。そんなAuckland Loverたちは、愛するオークランドでウエディングを希望する。そしてAuckland Loverたちの人生で最も大切な日であるウエディングを影でいつもにこやかに支えているのがウエディングコーディネーターの荒川千明さんなのである。
ニュージーランドでは長年、ウエディングのヘアーメイクとして働く彼女。ナチュラルな服装とメイクなのにどこかお洒落な雰囲気が漂っている陽子さんは、いつも華やかな世界に身を置きながら、心のお洒落を大切に思える素敵な女性でもある。
お花が生活に自然と溶け込むニュージーランドで、フローリストの仕事を通してキウイ文化と大いに触れ合っています
現在、国内外のセレブも大注目する有名ファッションブランド『トレリス・クーパー』で働いている宗像さん。もちろん仕事は100%英語。毎日のように多忙で緊迫した現場は一寸の聞き逃しも許されない。ずっと自身の英語を磨き続け下地を作る努力をし、この素晴しい環境を賜物として授かった奈々さんにこれまでの経緯を伺った。
ニュージーランドでワーホリをしていた育子さん。英語学校終了が近づいていたが、その後の予定が決まっていなかった。そんなある日、フラワーアレンジメントコースの募集広告が彼女の目にとまり、勉強スタート。フラワーショップでのインターン研修も経験することになる。
映画館やレストランが集まっているエンターテイメントスポットのIMAX。その1階にあるフラワーショップMOOA FLOWRISTでマネージャーを務める大竹美佳さん。この国に来た当初も、そして今も英語が苦手だという。しかし日本で得たフラワーデザイナーの経験や技術で苦手な英語をカバーして、花ざんまいの生活を楽しんでいる。
娘たちの成長に合わせて、ネイルサロンのお店で働いたり、将来はネイルサロンを経営するのが夢です。
エステティックサロン、ビューティー・スパなどがどんどん新設される状況を見ると「美意識」という点でレベルアップが起きているのであろう。この国のビューティーセラピーを支え、全体のレベルアップを推進しているのがJudy Westである。
ほんの数年前までは、ニュージーランドで生活しているのだから少しくらいボサボサの髪でもいいや、という意見が正論のように言われていた。しかし今、日本人ヘアスタイリストはニュージーランドで生活する中で欠かせない存在になってきている。
一宮 麻紀さんネイリストコース受講。 世界的ネイルブランド『O・P・I』のネイリスト基礎コースが夢を実現する勇気を私に与えてくれました。
自然が豊富なニュージーランドだから、アロマ留学をし、アロマセラピストになりました!
カレン・ウォ-カ-:KAREN WALKER ファッション・デザイナー : Fashion designer ニュージーランドのライフスタイルがデザインの源泉です。
ファッションデザイナー / Fashion Designer女性を幸せにするファッションを生み出すこと。それが「トレリス・クーパー」の哲学です。
個性的で世界が注目するファッションデザインが出来上がるのはニュージーランドというお国柄に負うところが大きいと言い、輸出額の増加、国内の若い世代のファッション産業への関心を呼び起こさせるなど、ニュージーランド・ファッション産業の牽引車になり、ニュージーランドのファッション大使として世界中を飛び回っているのがピエタ・スチュワートだ。ニュージーランド・ファッションがおもしろくなる時代はこれからだと確信し、すでに来年、再来年もこのイベントを実施すると宣言している。
国際的にも注目を浴びるファッションウイークに、ショーモデルとして4年連続で参加しているのが、ナフイア・ウィリアムズ。強い目力とエキゾチックな顔立ちが魅力的な彼女は、ニュージーランドで今、最もホットなモデルの一人だ。国内有数のファッション・レーベル「Max」のモデルも務めており、左手に携帯電話を持ち、右手で子豚を抱えて街を闊歩するという同ブランドのユニークな広告も話題となった。ファッション産業の盛り上がりとともに活気を見せつつあるこの国のモデル業界で、頂点に立つナフイア。その成功の秘訣とトップモデルのライフスタイルについて話をうかがった。
土産店Aotea New Zealand Souvenirs専属ファッションデザイナー、Merinosilk, Pacific Lambskin, NATUREZONE NZの3ブランド開発責任者。ニュージーランドを誇れるアイテムを世界に伝えていきたい。
Takaaki Sakaguchi 坂口 隆章 さん Fashion Designer ニュージーランドのファッション業界は自分が頑張れば何か獲得できる世界です。
「アンタッチド・ワールド(Untouched World)」が私の在任期間中に手にした最もかっこいい服だった」とコメントを残したのはクリントン前米大統領。南島クライストチャーチで始まった手編みのセーターメーカーだったスノーウィー・ピーク社は今ではニュージーランドを代表するアパレルメーカーにまで発展した。スノーウィー・ピーク社のブランドの一つであるアンタッチド・ワールドはニュージーランドの自然を感じさせながらも洗練されたデザインを取り入れ、機能の面からも優れている事が人気の秘密と言える。ニュージーランドが世界からどう見られているのか、世界はニュージーランドから何を欲しているのかなど、ニュージーランドのアイデンティティにとことんこだわった経営手法はニュージーランドでビジネスに関わる人達に一つの指針を与えてくれる。
フランスのミシュランが最高峰と認めた三ツ星レストランでシェフドラン&ソムリエとして活躍していた堀内茂一郎さん。現在はニュージーランドのオークランド市内、パーネルにある高級レストラン『TriBeCa』でその一流のサービスでお客様をもてなしている。
ファッションデザイナー 笠原 麻衣さん。子ども時代、学生時代から絵を描くこと、服を仕立てることが大好きな趣味であったという。そんな麻衣さんにニュージーランドでの生活と、そしてご自分のファッションデザイナーとしての夢について語っていただいた。
ブランドショップマネジャー 松田 法子 さんこのお仕事が長続きしている理由は、トレリスの哲学が好きだからです。
ファッションデザイン科学生 秦 由華 さん枠のないニュージーランドだから諦めていたファッションの勉強を始めることができました。
のんびりとした時間の中で、新たなスタイルを生み出しているデザイナーがいるニュージーランドで、ファッション関係の仕事に就きたいと思っています。
ニュージーランドの美容はまだまだ発展途上。自分がこの分野を広めていきたい。Elite International school of Beauty and Spa Therapies
『海外ウエディングのヘアメイク』をする夢が実現できたのは、語学学校NZLAが家族のように援してくれたからだと心から感謝しています。
ニュージーランドで留学生を受け付けられるフライトスクールはNZQAという国から認可されたところでないとできません。そこでいくつかあるフライトスクールの中からオークランドにあるということからArdmore Flying Schoolを選びました。
英語のスキルをアップさせるためには、語学学校へ通うことが一般的。ニュージーランドには数多くの語学学校があり、そうした学校の協会「English New Zealand」も存在する。この協会で会長を務めているアンジェラに、ニュージーランドへの留学事情についてお話を伺った。
イングリッシュ・ボヤージ・アカデミー(以下、エバ)のフィティアンガ本校を設立して6年経った今年4月に、2校目のテームズ校を開校させたマクリーンえり 子さん。自らの母子留学の経験をもとに、留学生たちの教育に正面から向き合い続けるバイタリティ溢れる彼女。そんなえり子さんに、1989年10月から教 育に力を注ぎ続けたニュージーランド生活についてお話していただいた。