Vol.129 自家製ビールを気軽に作れるマシン |
家を売った資金を全てつぎ込んで自家製ビール醸造機を企画開発。6年たった今、ようやく彼のビジネスは軌道に乗った。その将来性を世界中から有望視され、注目を集めるKiwiのイノベーション・カンパニー、Williams Warn Personal Brewing。それを生み出した張本人、Ian Williams氏に話を聞く。
Tuiで醸造者見習い、からスタート
私はマッセイ大学で食品科学を学びました。私はもともと科学が好きで、理工系に進みたいと思っていましたから、ある日、私が通っていた高校、St. Kenterganにマッセイ大学の食品科学の教授が来てFood Technologyを紹介したとき、これだ、と決めました。人間、食べる、ということは必須、絶対になくならないことじゃないですか、だから、その学科は将来有望だと思ったのです。
1990年に卒業。パーマストンノースの近くにあるビール会社Tuiでビール醸造者見習いとして働き始めました。就職を探しているとき、私が短期間留守にしていた間に、母が私に代わって勝手に応募してくれていた会社でした。幸い、私は在学中に働いていたワインの会社と、Tuiとの両方からジョブオファーをもらい、どちらかを選択することになりました。ビール会社を選んだのは、ビールのアルコール度がワインに比べて低い、ということが大きな理由です。だってワインの利き酒を職業としている人って、赤ら顔で、なんだかアル中っぽいイメージじゃないですか? それから、その仕事が魅力だったのは、醸造者という肩書きで世界中のビール醸造メーカーを見学しに行けることでした。
Tuiで5年間を過ごし、同時に、イギリスの国際認定資格を取る勉強をして「マスター・ブルーアー」という資格も取りました。書類上では、私がニュージーランドで初の、それも27歳という世界で最年少での「マスター・ブルーアー」ということになります。
その後、シンガポールのTiger Beerで働き、系列で新しく創った中国の醸造所で働きました。Tiger Beerはハイネケンと同一会社です。そして、1998年の国際ビールコンテストに出品した私のTiger Beerは、ラガー部門で188ものエントリーの中から一等賞に輝きました。新しい工場でビールを作り始めてからたったの12ヶ月で成し遂げた快挙です。その時受けたトロフィーは、今でもTiger Beerのボトルのラベルにデザインされています。 そして、デンマークにある、カールスバーグ・ビール醸造所のコンサルタントとなり、チェコ、ロシア、カザクスタン、エチオピア、アメリカ、韓国、などなどたくさんのビール工場を視察して回りました。その時に旅先で経験したこと、学んだものは今の私にとってかけがえのない宝物です。
さて、あるとき、ホリデーでNZに帰ってくると、おじさんが「自家製のビールってどうしてまずいんだろう?」と私に聞きました。その素朴な疑問が、私の人生を変えるアイディアを生みました。
「美味しいビールを手軽に作ることができる自家製のビール製造機があったら素晴らしい」と。リサーチしてみると、世界中のどこにもそんなものは無く、しかも充分に需要はありそうだ、ということが分かりました。私はプロのビールメーカーとして、ビールの作り方を良く知っているし、経験もある。だから、ビールを自分で作るときの問題点も良く分かる。調べてみると、その問題は12点あることが分かりました。
デンマークで住んでいた家を売り、家族でNZへ戻ってきたのが2006年のこと。家を売却した資金で、2年半、フルタイムで自家製ビール醸造機の開発に打ち込みました。ビールを新鮮に保つにはどうしたらいいか、ビールを空気に触れさせないようにするには、イーストが醗酵するときに出すガスの一部を保つには、ビールが出来上がるまでの時間を短縮するには、などの問題点をひとつひとつ解決、改良に改良を重ねて、最初のプロトタイプが出来上がったのが、2009年でした。知り合いを集め、家のガレージで有名ブランドのビールをたくさん取り混ぜた目隠しビール試飲会を行い、私の自家製ビールが、2位、4位、5位となったのを機に、NZでの特許を取得。世界32カ国でも現在特許申請中です。そして、出資者を募りました。デンマークの大金持ちがまず名乗りを上げてくれ、工業デザイナーによる新しいデザインの新しい試作機ができ、それからさらに新しい出資者と、更なる改良がなされ、2011年4月、晴れてWilliams Warn Personal Brewingの発売となりました。
最初の月には、たった1台しか売れませんでした。何しろ6500ドルもする機械ですからね、そう簡単にはいきません。本当は、私は500ドルぐらいで売れる機械が作りたいのです。でも、私がやろうとしている条件をすべて満たすにはどうしても高くついてしまうのです。ほら、14、5年前にフラット スクリーンのテレビが新発売されたとき、2万ドルほどもしていましたよね。それが、今では技術の進歩と普及、需要の高さによって、値段が10分の1以下になった。私はこの自家製ビール醸造機にもそんな経緯をたどってもらいたい。いや、必ずや、そうなると信じています。
この記事を読んで、Ianさんのようにマッセイ大学みたいという方は下記のお問い合わせよりイーキューブのキャリアアップ留学センター「イースクエア」までご連絡ください。 |