Vol.52 Career up in NZ Kiwi Friend社設立者 |
「姉さん」の愛称で親しまれている野口さとこさん。姿が見えなくても何処にいるかが分かるようなストンと通る大阪弁とさっぱりとした性格の彼女にはピッタリの 愛称だ。そんなさとこさんが昨年、5年間勤めた大手留学エージェントを退職し、Kiwifriend社を設立した。そして3月18日に開催された「第一回 就職&学校紹介フェア」を見事に成功させ、さとこさんは今ニュージーランドで輝く女社長のひとりと言えるだろう。また「運だけでここまで来ました」と言うラッキーガー ルになるヒントが彼女の人生に隠れているのかもしれない。
イベントサークルが今に繋がる 「短大生だった時にイベントサークルに入ったことが私の人生を凄く大きく変えたのですが、企業がらみのベントサークルで、ツアーやダンスパーティなどを企画していました。初めはイベントに参加していた側なのですが、『ちょっと君、面白いね』ということで、スタッフとしてバイトすることになりました。その 時、ふじ丸という大型客船を貸し切って、関西圏の大学生1000人を対象に、有名企業や有名人のゲストスピーカーを迎え、就職フェアを行ったり、様々なイ ベントを開催していました。」また、さとこさんはイベントサークルが発行していたフリーペイパーで企画、ライター、モデルなどもしていた。そこで知り合っ た人達がユニークな人の集まりだったと語るさとこさん。彼女の起源はここだと言えるようだ。 初のワーホリでカナダへ 「短大卒業後は、広告代理店に就職をしたいと思っていたのですが、友人に『就職なんかいつでもできるから、それより英語がでけへんと今後生きていかれへんで』と言われて、アメリカに行く計画をしていました。当時は、まわりに渡航経験者もなく、情報を得るのが大変でしたが、色々調べていくうちにワーホリ制度があることを知りました。そして、アメリカに近いから、という理由でカナダへワーホリで行く事にしました。それが21歳の時です。カナダでは、2週間だけ 英語学校に通い、その後、カナダ人や中国人の友達ができて、怪しい英語を覚えました。そのせいでしょうか、今も英語が話せないのは。後は、グリコでポッ キーの販売をしていました。そして、最後に、雄大なカナディアンロッキーなどを旅行し、帰国しました。」先ずは、カナダでワーホリ生活の基礎知識を得たようだ。 2回目のワーホリでオーストラリアへ 「日本に戻って、イベント会社で知り合った人から企画会社を紹介されそこで働いてました。当時、ワーホリ経験がある人が少なく、色んな人からワーホリについて聞かれていたら、また、自分が行きたくなってきて、今度はオーストラリアへ行きました。あるギャラリーに好きな絵があり、毎日そこに行って絵を見ているうちに、ここで働きたいなぁと、思い、英語もできないくせに、いきなり、『アイワナワークヒア』とオーナーに言ったら、『なんだ、君の英語』と言われましたが、『日本人にだったら売る自信があるから、売れたら雇ってくれ!』と言ってみました。そしたら、オーナーは『面白いね、やってみな』、と言い乗ってきました。そしたら、先ず日本人の新婚さんに!また続いて来たお客さんに!と売り、それが数人続きました。オーナーは『本当に、日本人のお客さんが絵を 買っていった!凄い!』と言い、約束だからということで私を雇ってくれることになり、しかもかなり高い時給で雇ってくれることになりました。また当時、エ バ・ハナさんという画家の絵が好きだったので彼女のギャラリーで働きたいと言っていると、本当に働く機会があり、その時も絵をよく売ったので、褒美として エバ・ハナさんに会えることになりました。そして実際にエバ・ハナさんに会い、彼女の絵を手渡しで貰ったのですが、この時は今までにも増して、英語ができ れば良かったと痛烈に思いました!」また、空港にあるギャラリーでも働いた時も売上げ成績がピカイチだったさとこさん。彼女は、その店に貢献することが仕 事で、職場を英語の勉強に利用するのは失礼だという考えを持つ一方で「当時は売れることが楽しかったので英語は2の次でしたが、でも今思うと英語はきちん と勉強するべきでした。」と語る。何かある度に、英語ができたら、と言うさとこさんだが、彼女の人並み外れた日本語能力とセンスを持って、英語無しで海外 で生きる術を開花させたのが、オーストラリア生活だったようだ。 仕事は一杯、でも就職活動知らず オーストラリアの後、一旦日本に戻り、その後ヨーロッパ旅行に行き、再度帰国。25歳になった。「イベント会社で働いていた頃の仲間がオーガニックの会社で働いていて、そこで商品開発の仕事をすることになりました。ハーブ園に行ったり、京都のある町の町おこしで、湯葉や豆腐など、町全体で無農薬に取り組んでいて、町長と話をし、オーガニック会社の会員さんをそこに連れて田植えを体験させてあげたりとかしていました。他にも、友人が持って来た仕事で、ローカルのラジオ番組のDJをしていたのですが、このオーガニック会社がスポンサーとなるということで彼等の番組も制作していました。また他にもイベント会社で 働いていた頃の知り合いと一緒に、某ビール会社の限定商品を宣伝する広告代理店のような仕事もしていました。その仕事では、ポスター撮りのため京都の鴨川 で、浴衣を着てウナジを写されるモデルまでしました。他、イベント会社の時の繋がりで旅行会社の女社長のところで国内の添乗員をしたり、車雑誌のコピーラ イターをしたりと、1週間に色んなことをして働いていました。」 初めての就職活動 「添乗員をしていた頃、ある就職情報誌の添乗員として働く女性を紹介するコーナーに私が載ったので、その雑誌をペラペラ捲っていました。これまでイベント会社で知り合った人達が仕事をくれていたので、27歳まで就職活動をしたことがなかったのですが、ある日、履歴書を出すという就職活動をしてみようと思い、子どもに英語を教える会社の英語科のスタッフに応募しました。面接会場には50人くらいが集まり、英語のスピーキングテストがありました。他の人は完璧な英語を話している中、私だけ変てこな英語だったのですが、次の日本語面接で勢いよく喋り始めると、『英語ができなくても君にできる仕事がある』と言わ れて採用になりました。その会社には、外国人講師も多く、その時も英語ができたらなぁ、つくづく思いました。」結局、仕事内容も直属の上司や同僚にも恵ま れたが、組織という体制が息苦しくて2年でその会社をあとにしたさとこさん。 ワーホリ3カ国制覇!ニュージーランドへ
「イベント会社の時の友人が、10年経った時にカメラマンとして大出世しており、そのアシスタントとして働き始めました。そんな時、カナダとオーストラリアに一緒に行った友人にニュージーランドへワーホリに行こうと誘われ、ワーホリ3カ国を制覇したいという動機で1999年12月にニュージーランドへ来ました。はじめは、新しくはじめたアシスタントの仕事のこともあり、3ヶ月だけニュージーランドに滞在しようと思っていたのですが、それが現在に至ってしまいました。」 Kiwi friend設立、女社長に
昨年、イベント&留学エージェントKiwi friendを設立して独立。親子留学、シニア留学、高校留学、学校紹介などの手配はもちろんながら、「就職&学校紹介フェア」というこれまでにニュージーランドに無 かったフェアを企画・実行した。思い立ってから、開催されるまでの期間がなんと2ヶ月という行動力の持ち主だ。イベント企画、フェア会場探し、数々の企業 や学校に自ら足を運び参加企業及び参加校を集い、ニュージーランドの人気ウェブサイトや海外就職の支援を行う日本の企業そして本誌イーキューブなどで広告し、最後は自らビラ配りまでして一般の参加者を集めた。それを超短期間で行い、そして「フェア、良かったよ!」と参加したみんなに言わせてしまう、超人的なパワーの持 ち主のさとこさん。 ニュージーランド留学したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。 |