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Vol.13 時代を飾るキウイ ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー

サンプルイメージ   エドモンド・ヒラリー卿:Sir Edmund Hillary
登山家・冒険家 : エドモンド・ヒラリー卿
静かなる鉄人。
人類で初めてエベレストに登頂して50年を記念した「SIR EDMUND HILLARY・EVEREST AND BEYOND」(サー・エドモンド・ヒラリー展)がオークランド博物館で開催されている。登山家、冒険家として数々の成功をおさめ、その後、福祉活動、環境保全活動に生涯を注いでいるニュージーランドのアイコンは、若い頃から気力とねばりと体力があったと言い、それを証明するかのように、83歳の現在でも世界中を飛び回り、毎日精力的に仕事をこなしている。 現行のニュージーランド5ドル紙幣に印刷された顔は、エベレスト初登頂の50年前のものだが、継続的に精力を傾けている慈善活動への意欲に満ちた顔は今でもまったく色褪せる事がない。 日本の教科書にも登場する偉大なニュージーランド人には「静かなる鉄人」という形容がふさわしい。

登山家・冒険家:エドモンド・ヒラリー卿

エドモンド・ヒラリー卿:Sir Edmund Hillary
登山家・冒険家 : エドモンド・ヒラリー卿

1919年オークランド生まれ。南オークランドのトゥアカウ育ち。オークランド・グラマースクール卒業後、家業の養蜂を手伝うかたわら、ニュージーランドの山を登り始める。1951、52年とエベレスト登頂隊に参加するが果たせず、1953年にシェルパのテンジンと共に世界で初めてエベレスト登頂に成功。その後、1957年に南極点へ到達、1977年にガンジス川探検。その前後から、ネパールでの福祉、環境保全活動を始め、現在もその活動を続けている。1984年からインドの高等弁務官を勤める。最初の著書「High Adventure」以来、現在まで9冊を上梓。(編集部より:ヒラリー卿は2008年1月にご逝去されました。享年89歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。)

冒険への夢
10代の頃は長い時間をかけて歩くのが好きで、冒険小説を読み、冒険を夢見る友達の少ない少年だった。

育ったオークランドの南部トゥアカウから列車で片道1時間半をかけて、街中にあるオークランド・グラマースクールまで毎日通いました。当時は列車が本当にゆっくりと走り、何もかもがのんびりしていました。
私は16歳になるまで、雪を見た事がありませんでした。グラマースクールのクラスの旅行で北島中央にあるルアペフ山に行った時に見た雪が初めてでした。雪でおおわれた山を見た時には驚き、新しい体験をしたという印象が強く残っています。それ以来、スキーをしたり、山歩きをしたりして、雪と氷に親しんでいきました。体格は他の生徒と比べて小さく、17歳くらいからだんだんと大きくなり、今の身長に近づいて行きました。スポーツはスキー、トランピング、水泳、バスケットなどをやっていましたが、特に運動能力に優れていたわけではなく、普通よりちょっと上手といったくらいでした。勉強も特にできたというほどではありませんでした。
ただ、最後までやり遂げるねばり強さがありました。やりはじめた事を簡単にあきらめたりはしませんでした。山登りに関していうと、運動能力というよりも勇気とやる気があるかどうかだと思います。
グラマースクールを卒業すると、大学に通いましたが、家業の養蜂業に精を出し過ぎ、2年で辞めてしまいました。仕事のかたわら、本格的に山に登りはじめたのもこの頃です。南島のサザンアルプスにもどんどん登るようになり、ニュージーランドの最高峰マウントクック(3,764m)にも登り、海外でもオーストリアやスイスアルプスなど6,000メートル級の山に登っていました。この頃にはエベレストに登る準備が出来ていたのではないかと思います。

1953年5月29日午前11時30分
エベレスト登頂隊に参加して3度目の正直となる1953年5月、ひとりのニュージーランドの養蜂家が歴史に残る英雄となった。

エベレストは1856年にインドの観測隊によって発見されてから、何度も登頂隊の挑戦を受けて来ました。1921年以来ヨーロッパの登頂隊が幾度となく挑戦していますが、多くの命を失い、失敗に終わっています。私は1951年、1952年に登頂隊に参加しましたが、いずれも成功しませんでした。しかし、この2回の経験が翌年に役立ちました。
1953年にイギリスの登頂隊に参加を要請されました。この時は14人のクライマー、 22人のシェルパ、約350人のポーターが酸素呼吸器、登山用具や食べ物、飲み物を運ぶために参加した大掛かりなものでした。大勢で十分な量を運ぶ事が成功に繋がると考えたからです。
3月にベースキャンプを張り、5月に頂上から約1000メートルのところに最終キャンプを設営して、まず、二人のクライマーが頂上を目指しましたが、疲れにまいり、登頂を断念しました。その数日後、私とシェルパのテンジンが頂上を目指しました。テンジンはすでに5度目のトライでした。5月28日に8,500メートルにテントを張り、翌日29日、快晴の中、午前11時30分に頂上に到達しました。7週間にわたるこの挑戦では命を落とす人はおろか、けが人ひとりすら出ませんでした。
標高の高いところは空気が薄いので十分な酸素を、食べ物は消化のいいものを、脱水症状にならないように水分を持参する事が大切でした。そのために私のバックパックは30キロにもなり、最も重い荷物を背負っていました。頂上を極め、再び最終キャンプに戻った時は18キロに減っていました。頂上に近づくに従って荷物を軽くしていかなければなりませんでした。そんな状況の中で、最も重宝したのはクライストチャーチのアウトドア製品メーカー、アーサー・エリスが作った羽毛の二重層の寝袋でした。軽くて、丈夫で当時では世界で最も優れた寝袋でした。
また、ロレックスが腕時計を供給してくれました。今では人気のモデルとなっている「エクスプローラー」です。ロレックスとはそれ以来のつきあいで、いまでも愛用しています。広告にも2度登場しました。一度目は酸素ボンベなしでエベレストに初めて登頂したイタリアの登山家、ラインホルト・メスナーと、二度目は世界で初めて女性でエベレストに登頂した田部井淳子さんと一緒でした。

さらに続く冒険
エベレストの人類初登頂でエリザベス女王から爵位を受けたあとも、冒険心はおさまらなかった。そして、その冒険心はネパールの福祉・環境保全活動へと変貌を遂げる。

エベレストの初登頂はエリザベス女王の戴冠式の前日に英国国民に伝えられました。偶然にも、英国主導のこの登頂隊は若い女王の時代の始まりと重なり、戦争の辛さや戦後のもの不足で、長い間疲弊していたイギリスに自信を蘇らせる事になり、私は爵位を授与されました。
1955年から1958年まではイギリスの調査隊に参加して、農業用トラクターを使って南極点に到達し、大陸を走破しました。また、1978年にニュージーランドで発明されたハミルトンジェットという、ポンプで水を吐き出して前進する、当時では最高のボートエンジンを使ってヒマラヤの奥地に源流を持つガンジス川をさかのぼりました。
1960年あたりから、ネパールの人々への福祉、環境保全活動を始めました。「ヒマラヤ基金」を立ち上げ、滑走路、橋、学校、病院、診療所などを作りました。さらに、ネパールの自然環境の大切さを啓蒙して来ました。エベレストの周辺は観光客やトレッカーの残すゴミで荒らされるようになり、また、燃料を供給するために木が大量に伐採されていました。私はネパールの政府に訴え、エベレスト周辺の森を守る法律の制定を働かけました。

精力的に仕事をこなす毎日
現在83歳。とは言っても「ヒマラヤ基金」の募金活動を続け、オークランドをベースにしながら、今でも世界中を飛び回っている。

「ヒマラヤ基金」は毎年、50万アメリカドルを捻出しなければなりません。今は世界遺産に登録されている「エベレスト国立公園」を制定した時もネパール政府はそれを維持する金がないばかりでなく、公園運営のノウハウすらありませんでした。今でも、国立公園の維持にはお金がかかりますし、ネパールの人たちへの教育、医療にかかるお金も増えて来ています。そのために、毎年3~4回は海外に出かけ、財源確保を行ないます。アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、そしてもちろんのこと、ネパールには毎年足を運びます。現在オークランド博物館で開かれている「SIR EDMUND HILLARY・EVEREST AND BEYOND」展はアメリカ、イギリス、日本で開催される事になっています。
現在、海外に出かける事は昔に比べずっと楽になりました。ニュージーランドは地図上では遠く離れている島国ですが、どんどん世界が小さくなって来ているのを感じています。ですから、ニュージーランドにいても不都合は何も感じません。ニュージーランドは平和な国で、協力的なスタッフが私の仕事をサポートしてくれますので、このライフスタイルを維持していくつもりです。プライベートや仕事でつながりのある世界各国の人たちとのコミュニケーションはますます頻度を増して来ています。インターネットやイーメールは妻が担当してくれますし、私はもっぱら手紙とファックスを利用しています。昨年のクリスマスはシドニーに行き、ボクシング・デー(12月26日)に有名なシドニー・ホバートのヨットレースのスタートガンを打ち上げました。 朝は7時半に起き、軽い朝食を取って、書斎に入り、手紙の返事を書いたり、ファックスを送っています。最近は自然・環境関連の書籍や写真集の巻頭文を書く依頼が多くなって来ています。

ニュージーランドのアイコン
現行の5ドル札に顔が印刷されている事は誰もが知っている。国民に愛され続けるのはその人柄と忠誠心からだ。

1990年にリザーブ・バンクが5種類あるお札のデザインを全面的に改定する事になりました。その際、ニュージーランドらしい、ニュージーランドを現わすデザインは何がいいか、広く国民に調査を行ないました。リザーブ・バンクが私を5ドル札に印刷したいと言って来た時には、正直言って面食らいました。私は70歳を過ぎていましたが、お札に印刷される人は、基本的に王室を除いては亡くなった人です。まだ、死んでいないのにお札に顔が印刷されるなど、思ってもいませんでした。しかし、大変名誉な事です。快く承諾しました。私の顔が印刷され、紙幣が出回りはじめた頃は、奇妙な感じでしたが、もう慣れました。5ドル札にある私の顔はエベレスト初登頂直後、1953年-54年頃の顔です。
私が5ドル札に印刷されたのはニュージーランド人は愛国心が強いという事と関係があると思います。ニュージーランドが好きで、ニュージーランドに誇りを持っているからです。
数カ月前、アメリカズ・カップの防衛を狙うチーム・ニュージーランドのテレビコマーシャルの撮影に参加しました。国民が南島の最南端の海岸から一列に並び、オークランドにあるチーム・ニュージーランドのベースキャンプまで人の列が繋がるCMです。あの列の中に私とその隣に妻のジューンがいるのを知っていますか?今回のアメリカズ・カップは経済大国と世界の大金持ちがチーム・ニュージーランドに挑んでくる戦いなのです。ニュージーランドは貧乏な国ではありませんが、お金に余裕のある国でもありません。経済の規模も比べものにならないほど小さいのです。ですから、チーム・ニュージーランドに必要な事は、われわれ国民ひとり一人がチーム・ニュージーランドを応援する事なのです。CMではみんな左胸に手を当てて、ニュージーランドへの愛国心を表わすポーズをとっていますが、私たちは普段あんな事はしません。でも、チーム・ニュージーランドのためならば、やってあげようと思うのです。
ヨットレースもクライミングも最後までやり遂げるねばり強さがあれば必ず、夢がかなうと思います。
 
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