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Vol.53 時代を飾るキウイ ロシア出身のニュージーランド歌手ユリアさん

Yulia(ユリア)さん Yulia(ユリア)さん
歌手 / Singer

英語で困ることはもうありませんが、ライブでのインタビューではいつも緊張します。

ロシア出身でクライストチャーチに在住の歌手、ユリアが先月2枚目のアルバム「montage」(モンタージュ)を発表した。自らをポップスとオペラをミックスした”ポペラ歌手“と位置づけ、2004年10月に発売となったデビューアルバム「Into the West」は2005年のニュージーランド音楽大賞で最も売れたアルバムとして表彰され、同時に最優秀女性ソロ歌手にも選ばれ、その地位を確立した。

「montage」も発売直後にニュージーランドの売り上げナンバーワン・アルバムになるなど、その勢いは留まるところを知らない。ニュージーランドのメディアがユリアの事を「Sensational(センセーショナル)」と書き立てるのは地元クライストチャーチのローカルテレビ局で歌って見い出され、デビューするまでのスピードの早さのみならず、デビューしてから、一気に一躍トップ歌手の座に上り詰めてしまったその実力にある。さらに、我々日本人にとってもう一つの「センセーショナル」は、彼女の英語力だ。2002年9月にニュージーランドに移民してから、現在までわずか3年強でテレビ、ラジオで堂々と生インタビューに答えられる流暢な英語をマスターしてしまったのだ。今回のインタビューは歌手ユリアのすばらしさはもちろん、どのように英語をマスターし、ニュージーランド人よりも英語がうまいといわれるようになったかを取材した。英語の勉強で四苦八苦している人達へのヒントが見つかるかもしれない。

ロシア出身のニュージーランド歌手ユリアさん【Profile】
ロシア生まれ。20歳。母親がクライストチャーチ在住の男性と再婚のため、16歳でニュージーランドに移住。クライストチャーチのカシミア・ハイスクールに通う。海外での初のパフォーマンスはデビュー前に東京で行ったという、日本とも深い関係がある。髪の色を変えるのが好き。地毛はナチュラルブラウン。フルネームはユリア・タウンゼント。2005年8月にニュージーランドに帰化。

誰よりも勉強した

16歳で母親に連れられて2002年9月にニュージーランドに来ました。母親の再婚相手の男性(現在の父)は、私が英語をしゃべれないと後で苦労すると思って、ニュージーランド人が送るごく普通の生活をするように仕向けてくれました。それは、ニュージーランド人の友達を作り、一緒に勉強し、遊び、普通のニュージーランド人の高校生活を送ることでした。

しかしながら、当時の私の英語は全く通じませんでした。初めて地元のスーパーに行った時には、探していたものを身ぶり手ぶりで店の人に説明して、やっと理解してもらう程度でした。父は私にとにかく話しなさいと言い続け、私が英語で地元の人たちとコミュニケーションを取れないことで、悩んだり、一人になったりしないように、いつも私をケアしてくれました。欲しいものを買ってくれたり、親戚や友達を呼んでパーティーをしてくれたり、いつも楽しい時間を過ごせるようにしてくれたのです。実はロシアではあまりいい思い出がありませんでした。ロシアのすべてがグレーなイメージと違って、ニュージーランドは全てがグリーンで、リラックスできるイメージがあります。

父は本当に私に優しくしてくれましたが、勉強はしっかりやるようにときつく言い続けました。学校が朝9時から午後3時まで、家に帰ると早い夕食を済ませ、夜10時、11まで、時にはもっと遅くまで勉強しました。ロシアでは学校で勉強した英語しか身についていませんでした。英語の基礎をかじった程度です。おそらく日本人も同じだと思うのですが、読み、書きはできるのですが、話す、聞くができないのです。ですから、ニュージーランドに来てすぐ入学したカシミアハイスクールでは移民のための特別クラスに入って英語から勉強すると思っていたのですが、普通のクラスに入れられました。今思うと、父が特別扱いをしないようにと高校にお願いしていたからではないかと思います。

私が短期間で英語を身に付けられたのは、ロシア時代にドイツ語を話す祖母から、いつも外国語であるドイツ語を聞かされていて、聞き取ることに慣れていたことや祖母の外国語への興味が遺伝的に私に受け継がれているのかもしれませんが、ハッキリ言えることは、高校の時、学校中のどの生徒よりも勉強をしたからではないでしょうか?

今でも緊張するライブのインタビュー

4月3日に発売になった2枚目のアルバム「montage」の発売のため、ニュージーランド全国でプロモーションを行いました。発売直後にTV ONEの番組「CLOSE UP」のスタジオでライブインタビューがあり、アルバムからシングルカットした「We're all alone」を歌いました。普段インタビューを受けるのは大好きで、気軽に臨むのですが、国営放送のライブ番組でしたし、アルバム発売後初めて人前で歌ったので、すごく緊張しました。歌は3回リハーサルを行い、ミスのないように気をつけました。インタビューはパーソナリティーと一対一でした。脚本はありませんでした。ライブのインタビューですから、質問が分からないといって聞き返すことはできません。時々、他のインタビューで聞かれた、同じ質問を違った言葉や抑揚、発音で聞かれることがあります。返答は同じ内容を言わなければいけないわけですから、以前のインタビューと同じ内容を言えるかどうかに気をつけました。

今では、インタビューにはだいぶ慣れてきました。デビュー当時は英語が聞き取れるか、言いたいことが表現できるか、困ったこともありましたが、結局は自分のことを聞かれているわけですし、みなさん聞きたいことはだいたい同じわけですから、一度自分で整理して頭に入れておけば、あとは必要に応じて出し入れすればいいだけです。

(マネージャーのニック・クラインのコメント:我々はユリアとの英語のコミュニケーションで何も不便を感じることがありません。英語の文法書などを読んでいるところを見かけたこともありませんし、彼女は私よりも英語の単語やことわざを知っています。ニュージーランドに来てからデビューするまで、2年弱。英語の上達は本当に目覚ましいものがあったと思います。それを可能にしたのは、彼女が学校で本当に真剣に、誰よりも勉強したことなのではないでしょうか?)

ラッキーガール

私はロシアで生まれ育ち、13歳でギターを習い、自分で曲を作りはじめました。母がニュージーランドに行くと言う直前まで、モスクワで大学に行き、音楽に関わるつもりでした。デビューのきっかけは2004年1月に地元のテレビ局に出演予定だった学校のバンドが急きょ出演できなくなったので、音楽の先生から代わりに出て欲しいと言われて、ロシア民謡を歌ったことでした。私の歌を気に入ってくれた番組のプロデューサーが私が番組内で歌ったテープをオークランドの音楽事務所に持っていき、即、契約となりました。(編集部注:番組プロデューサーによると、ユリアの声にスタジオ中が注目し、鳥肌を立て、目に涙を浮かべる者もいた。歌い終わったあと、スタジオ中がしばらく静まり返ったとのこと。)その後、とんとん拍子に2か月後の3月に、クライストチャーチでロシアの歌手アイバン・レブロフと、4月には東京で東京フィルハーモニー交響楽団をバックにイギリスのボーカリスト、ラッセル・ワトソンと2回の共演が決まりました。これらは、まだ、ファーストアルバムを出す前でした。7月には再び日本へ行き、9月にファーストアルバム「Into the West」をリリースし、そのプロモーションでもう一度日本に行きました。その時の日本では記憶に残る出来事がありました。レコード会社の女性が私のメイクを見て、突然、全て取るように言って来たのです。「Into the West」のアルバムジャケットのような真っ赤なリップをつけ、しっかりとメイクをしていたのにです。リップはもっと唇に近い色に、ファンデーションももっと明るくしなければいけないと言われました。どうしてなのか、分からないままに言われた通りにしました。しかし、日本滞在中に雑誌やポスターを見て分かったのです。日本ではナチュラル系のメイクが好まれていたからです。日本中の写真のどれを見ても女性は派手過ぎないメイクをしていました。それはニュージーランドと大きな違いでした。ニュージーランドでは雑誌やポスターでは明るく、しっかりメイクを好む傾向にあるようです。

よりプロ意識を込めた「montage」

ニューアルバム「montage」はデビューアルバムの「Into the West」よりもよりアップビートに仕上がっています。ポップスとクラッシック、新しい曲と古い曲、オリジナルとスタンダードのコンビネーションアルバムと言っていいでしょう。私自身がより深く関わるようになり、レコーディングにより時間をかけ、何度も録り直しをし、満足いくものを作りました。完成度の高さを目指し、とことんこだわり抜いた作品だと思っています。タイトルはスタッフみんなで悩みに悩んだ後、何気なくこれはどう?という感じで挙がってきた「montage」で即決されました。

4曲目に収録されている「You are here」は私が作詞したオリジナルです。また、シングルカットされた「We're all alone」は、ボズ・スキャッグスのカバーですが、最初に聞いた時に気に入り、ぜひアルバムにも入れたいと思った曲でした。「Into the West」は私がニュージーランドで始めた新しい人生を意味していましたが、「montage」はポップスとクラッシックに加え、ロシア民謡もカバーした私が、ニュージーランドで新しい人生を送っていると言う、いくつかの異なった要素が合わさって、新しいものを作り上げたことを意味しています。

今年の末には海外でリリースされる予定ですが、それまでは私にとって大切なニュージーランドでのプロモーションに集中していきたいと思っています。

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