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Vol.8 時代を飾るキウイ

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ジュディス・タブロン:Judith Tabron
ソウル・バー・アンド・ビストロ オーナー : Soul bar and bistro owner
レストラン業界の女王。

 オークランドのアメリカズ・カップヴィレッジで激しくしのぎを削り合うカフェやレストランの中で快進撃を続けているのが 「Soul 」だ。常にキウイや旅行者でにぎわっている事でその人気が証明されている。
小さい頃から料理が好きでレストラン業界に入って以来、ホテルでの見習い、海外での下積み修業、ヘッドシェフ、フードコンサルタントなど、この業界での数々の経験をこなした集大成が「Soul 」となって実を結んでいる。
80年代半ばでさえも世界のトレンドから大幅に遅れていると言われていたニュージーランドのレストラン業界に新しい料理のアイデアや女性のシェフの存在をアピールするなど新風を送り込んだ功績が大きい。
成功しているレストランオーナーは男性が大多数を占める中で、唯一と言っていい女性の成功例として、レストラン業界のみならず、あらゆる業界から注目されている。

  

ジュディス・タブロン:Judith Tabron
ソウル・バー・アンド・ビストロ オーナー : Soul bar and bistro owner

ウエリントン生まれ、オークランド育ち。5人兄弟姉妹の二女。小さい頃から学校の勉強をしない代わりに、家のキッチンに入り浸たり、ケーキを作っていたほどの料理好き。現在は店ではキッチンに入る事はほとんどないが、いざという時にはシェフとなり、ウエイトレスも務めるほど、客を満足させるためには全身全霊を傾ける。哲学は「お客様はいつでも正しい」

 

料理に注ぐエネルギー
何度も辞めようと思った辛い下積み修業や一人であまりに多くの事をこなさなければならない殺人的な忙しさを切り抜けられたのは料理への情熱があったから。

 私は16歳でオークランドのオネハンガ高校の5年生を終えて料理の業界に入りました。週2回は料理の専門学校へ、残りの3日は家の近くのローガン・パークホテルのレストランで見習いの修業をしました。その当時、女性で料理の見習い修業をする人はほとんどなく、まわりの男性スタッフから奇異の目で見られたことを思い出します。
料理業界に入ろうと思ったのは学校の勉強が好きではなく、手に職をつけたいと思っていたからです。もともと5人の兄弟姉妹の中で私だけがいつもキッチンで何かを作るほど料理好きでした。両親は私がホテルで3年の修業をする事を喜んでくれたのですが、当の本人は毎日のように辞めたいと言い続けていました。しかしながら、今ではその料理に関わる仕事で食べて行っているのです。その当時、両親からはやるからには最後まで3年間やり通さなければダメだと言われていました。もしあの時辞めていたら、今の私はなかったでしょう。
21歳の時、ハイ・ストリートとショートランド・ストリートにあるホテル・デ・ブレットのレストラン、デルモニコスで日曜日のブランチを作るアルバイトをしました。従来のサンデーブランチにハッシュブラウンや新しい卵料理などを導入し、モダンスタイルに変更したのです。アイデアがどんどん湧き出てきました。サンデーブランチだけは店の売り上げが良かったため、ホテルのオーナーから誘いを受けて、ホテルのヘッドシェフとして働くようになりました。
この仕事はとてもきついものでした。ホテルには5つのバー、3つのレストラン、24部屋のルームサービスをカバーする仕事でした。とても凄まじい毎日でした。数字、組織、人事、料理、マーケティングを一人でこなさなければならなかったのです。その時既に23歳になっていましたが、とても23歳の人間一人でできるものではありませんでした。が、私はタフなんですね。こういう時に学ぶものが多いのです。人の扱い方を学んだのもこの時だと思います。

異国の地で新しい刺激を受ける
ニュージーランド人が若い時には誰もがするOE(オーバーシズ・エクスピアリエンス=海外での経験)で一転、ロンドンに旅立った。

 ホテル・デ・ブレットではいろいろな事を学びました。私がいかに料理について知らなかったかを知る事が出来たのです。メニューでさえ書く事ができなかったのですから。それほど料理の知識がなかったのです。
ロンドンに行けばもっと吸収する事があるのではないかと思いました。ロンドンではル・エスカルゴ・レストランで魚部門の担当になりました。全くゼロからの出発でした。私がニュージーランドにいた当時はどのレストランでも魚料理はメニューに一品あればいい方で、あってもフィッシュ・オブ・ザ・デイくらいのものでしたので、魚についてはあまり知識がありませんでした。うろこや内臓の取り方、さばき方を覚え、そして新鮮な魚という考え方がある事を知りました。
さらに、ヨーロッパでは女性がレストランでヘッドシェフとして働いている前例がありました。私もそうなりたいと思い、勉強して、将来は自分のレストランをオープンさせること一点だけに集中して、ロンドンでの日々を過ごしました。ロンドンのシェフは自分の知識や技術を隠して他人には決して教えませんでした。そこで私はキッチンあちこちにある紙切れに見た事、感じた事を書き込んで、すぐポケットにしまい込み、仕事が終わってから覚えるようにしていました。逆境の中でこそ、たくさんのことを覚える事ができるものだと思いました。
キッチンの中は戦争です。「ありがとう」や「どうぞ」なんて言葉ではやっていられない時があります。時には「バカやろう!」という言葉がその場を解決する最適の言葉になる事もあります。シェフはキッチンでいい人でいる必要はありません。おまけに勤務時間も長くなります。タフでなければ出来ません。

ロンドンでの経験をニュージーランドへ
オークランドに帰って来たのは1987年。ロンドンで身につけた自信がさっそく新しい仕事を呼び込んだ。

 ロンドンから帰ってきての初仕事はウエストヘブン・マリーナにあるセイルズ・レストランでのヘッドシェフでした。その後、オーナーがニューマーケットにあるラムゼスも買い取る事になり、ヘッドシェフとして店を変わりました。しばらくして、オーナーがラムゼスを手放す事になり、私が買い取りました。その時には父が経営全般に関するアドバイスをしてくれました。父のアドバイスがなかったら、ラムゼスを買い取る事はできなかったと思います。最後までやり通すという達成感を小さい頃から植え付けられていたからでしょうか、買い取ったらやり遂げるしかなかったのです。
私はあらゆる場面でベストを尽くしました。スタッフにもベストを要求しました。私の望むレベルに達しない料理は出しませんでした。2つのサラダが違うテーブルに運ばれる時に両方とも全く同じ中身でなければ、飛んで行って作り直させるなど、詳細にもこだわりました。時にはこんな事もありました。あるお客様がホワイトベイト(ニュージーランドの小さな白魚)をどうしても食べたいと言うのですが、もう店にはなくなってしまいました。私は近くのレストランに電話を入れ、在庫を確認してタクシーに乗って取りに行き、料理をして出した事もありました。「お客様がいつも正しい」が私の哲学です。お客様にノーと言わないプロに徹することが大事なのです。とにかく、安定している、いつでも同じ味、いつ来てもはずれがないようにすることでした。
90年代になるとメルボルンからシェフを呼び、イタリア料理を紹介するようになりました。メニューにパスタセクションを作ったのは私達がニュージーランドで最初だったのではないかと思います。その後、ニュージーランドでもイタリア料理がブームとなりました。
そのうちにラムゼスはだんだん軌道に乗り始めました。

新たな転機でさらにステップアップ
98年から2000年までの3年間に3つの大きな転機を迎えた。一つ一つが成功へのステップアップとなっていった。

 ラムゼスを経営して9年経った頃に建物の契約更新を迎えました。ちょうど10年目に入る時でした。ちょうど店も改装をしなければいけませんでしたし、新たなチャンスを探していましたので、売る事に決めました。
その後、4ヶ月間ヨーロッパ、アジア、アメリカを旅行しました。世界には経済活動を連想させるほどの成功している大きなレストランがある事に驚かされました。
オークランドに帰ってきてしばらく経った1999年、スカイシティーにある5軒のレストランのメニューにアドバイスをするフードコンサルタントの仕事に就きました。これはまた、違った意味で大変な仕事でした。一つのメニューを決めるのにマーケティング、経理、シェフなど計65人もの人の了解を得なければいけないのです。自分の店を経営する方がよっぽど楽だと思うほど複雑な仕事でした。
2000年になって、いいタイミングで新しい事がやって来たのです。メカニックス・ベイにあるレストラン、ミカノからジェネラルマネージャー(支配人)として採用したいとのオファーがありました。さっそく、スカイシティを離れ、ミカノで新たなスタートを切りました。私がミカノにやってきた時、店はひどい状態でした。会計の際にお客さんに背を向けてレジを売ったり、定時よりも30分早く店を閉めたり、とにかくお客さんのことを考えて店をやっているとは思えませんでした。私はまずそこから変えていきました。私のやり方に対する衝突も当然ありました。辞めていったスタッフもいました。最初の2、3ヶ月はとても辛い時期でしたが、間違っていたとは思いません。
スタッフのトレーニングも専門学校に通わせて任せっきりにするレストランが多い中で、私がすべてをやりました。フロアスタッフは足が速くなければ採用しませんし、フロアに立つ前に必ずキッチンで料理の味を覚えます。お客様から呼ばれて、料理について聞かれた時にテーブルに飛んで行って答えられないといけないからです。また、ワインテイスティングにはスタッフ全員を参加させます。どの生産業者のビーフを店の皿に乗せるべきなのかをスタッフに決めてもらいたいのです。それが、将来のニュージーランド料理を発展させる事にも繋がります。
結局ミカノに入って一年も経たないうちに、雑誌「Metro」のベストレストラン賞を取る事が出来ました。スタッフ全員がいつも新しいもの、いいものを探す前向きの姿勢に変わったのです。ミカノは手堅く、変わらない質を提供できるレストランとして生まれ変わりました。

自分の集大成を具現化したのが 「Soul」
ミカノを蘇らせたとしても満足はしていなかった。いい物件が売りに出るのをいつも待ち、自分の店を持つ事を考えていた。自分の店を持ちたいという気持ちは相変わらずくすぶり続けていた。

 2001年11月にアメリカズ・カップ・ヴィレッジの中にオープンした「Soul」はビストロ的なカジュアル感覚のシーフードレストランです。牡蠣はブラフやパシフィックを、サーモンはアカロアから、スキャンピーは南太平洋のチャタムアイランド近辺で捕れた大きなサイズを使うなどいい素材を選びます。また、シーフードレストランとは言っても肉料理に手を抜いてはいません。ビーフやポークは南島の寒くなる地方のものをウズラはオークランド南部のプケコヘから、ダックは南島カンタベリー地方から取り寄せています。肉料理はステーキハウスで食べればいいと言うものではなくなってきているのです。さらにバーでは牡蠣やホタテを使ったシーフードのスナックも出しています。
誰もがだいたい5、6軒の良く食べに行く店のバリエーションを持っているものです。「Soul」はその中の一軒になれればと思っています。私はお客様誰もが歓迎されているという感覚で食事ができるような、まるで私の家で食事をしているような気分にさせたいのです。ですから、お客様によく声をかけます。お客様には私に会いに来てもらいたいのです。
このアメリカズ・カップ・ヴィレッジは、すぐそこを歩いている人にも店の中から声をかけられるほど、街の人の近くにいられる場所なのです。そんな場所は今までオークランドにはありませんでした。
もし、私が休みでいない時でもスタッフがお客様をしっかりケアしますので、ご安心を。

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