自転車旅行:小林 恵理 さん
風を感じながら自転車で旅行をしました
毎年、多くのワーキングホリデーメーカーがこの国を周遊する。バス、車、飛行機などの移動手段がある中、小林恵理さんは自転車を選んだ。
Eri Kobayashi
小林 恵理(こばやし えり)
1973年生まれ。長野県出身。鶴見大学女子短期大学部歯科衛生士科卒。歯科医院で衛生士として働いた後、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。そこで自転車で旅行をしている人たちと会ったことから、ニュージーランドでチャレンジすることになった。そして、自転車にて約半年かけ、走行距離1000kmの北島旅行をする。旅行中、好きな海に行けないことからスケートボードをサーフボードやボディーボードの代わりにして滞在先で遊んでいた。
私は大学を卒業後、歯科医院で衛生士として働いていました。仕事は国家資格を取得してやっていたこともあって大変やりがいを感じていました。
4、5年経った頃、ボディーボードを始めたこともあり、休みのたびに海に出かけて友人といろいろな話をして過ごすことが多くありました。ほとんどが海やサーフィンなどの話題。海好きが集まり、旅行で海外へサーフィンなどに行ってきたときの様子も聞かされました。普段、海といえば千葉、湘南、茨城に通っていた私にとって、海外の海は聞いているだけで行ってみたくなる魅力を備えていました。大きく、青く澄んでいて、ましてや波のコンディションもいい。
行ってみたいけど、時間を作ることができない、という状況がしばらく続きました。というのも、職場は先生と私の2人だけ。長期の休みを取ることが大変難しかったのです。
しばらく悩んだ末、自由なことができる時間を作るため、楽しいことをしながら生活できる分だけ働こうと思ったのです。そして、職場を辞める決心をしました。
退職後、旅行など自分のための時間を作った
再度、歯科衛生士として個人で経営している病院に就職するとなかなか辞めるわけにもいきませんし、時間が作れなくなってしまいます。そのため、アルバイトとして仕事を見つけました。アルバイトを繰り返し、その間小笠原に1年間住んだり、バリに5回ほど旅行に行ったりすることができました。そうしているうちに友人を通してワーキングホリデー制度について知ることになりました。すぐに興味を持った私は、海、サーフィン=ゴールドコーストという発想が浮かび、オーストラリアに行きたいと思っていました。ゴールドコーストはサーファーが集まるリゾート地として有名で、テレビ番組などでも見る機会が多かったことから、そのような印象が強かったのだと思います。しかし、ワーキングホリデー制度は国によって年齢制限があります。当時、オーストラリアの年齢制限は、25才。そのことから出発時期と私の年齢を考え、候補地にニュージーランドへと行くことも考えていました。ですが、タイミング良く、オーストラリアのワーキングホリデー制度の25才までという年齢制限が30才までに変更されたのです。
そんなことから、オーストラリアのゴールドコーストを目指し、1年間のワーキングホリデー生活を開始しました。語学学校に通ったり、ホームステイ体験もしました。すべてが初めてのことで新鮮でした。
その後、バックパックを背負い、オーストラリア大陸1周の旅行にでました。その旅の間のことです。バックパッカーで自転車で旅行している人と一緒に話す機会を持ったのです。オーストラリアは内陸に行くと砂漠地帯があって、誰しもがカンガルーの死体などを見ることができます。ですが、カンガルーから漂うにおいは、バスや電車では感じることのできないということを知りました。考えてもいなかった世界でした。頭を何かで叩かれたような大きな衝撃がありました。また、自転車から見ることができる景色の流れる速さは、バスなどに比べてゆっくりと過ぎていくということなど、多くのことを彼らから聞きました。こういった旅行の形もあるのだと思いました。自転車で旅行をするという魅力にとりつかれていきました。また、ニュージーランドの情報も旅行中に得ていたことから日本に帰国して再度、ニュージーランドにワーキングホリデーで行こうと決意しました。そして、必ず、自転車で旅行にチャレンジしようと思いました。
オーストラリアから帰国後、半年ほど経ってニュージーランドへ
04年2月自転車を持ち込んでオークランド空港に着きました。自転車屋から購入後、パッケージそのままの状態で箱に入った自転車は手荷物受け取りのコンベアーに乗って出てきました。早速、空港を出発してオークランドの街に向かおうと思いました。
ですが、今までママチャリしか乗ったことがないのにマウンテンバイクを持参。なおかつ、パッケージを開けてもいませんから、自転車はコンパクトな形にまとまっており、組み立てる必要がありました。説明書を広げて、あーでもない、こーでもないとパーツを合わせ、なんとか自転車が完成しました。当然ですが、すでに周りには誰もいなく、さびしくなった空港をあとにし、気を取り直し、オークランドの街の中心目指してサドルを軽快にこぎ始めました。まったく初めての国。地図もなく、方向感覚はありませんから頼りはオークランドの街の中心を示す矢印の標識しかありません。しかし、10分も走ったところでまた、問題が発生しました。行く先は、モーターウェイなのです。自転車での移動を甘く考え、この国で自転車に乗るための知識や準備もしていなかった私は、どうしてよいかわからなくなり、その日に市内に行くことをあきらめました。空港近くにあったモーテルに一泊することにしました。そして、そこで地図を手に入れ、次の日にオークランド市内にたどり着くことができたのです。
オークランドに数週間滞在し、南に向かった
オークランドから約半年の時間をかけ、ハミルトン、ワイトモ、ニュープリマス、ワンガヌイ、パーマストンノース、ウェリントン、マスタートン、ネーピア、タウランガ、オークランドと旅行をしてきました。オークランドを出る前、ルートをどうしようかと考えました。オークランドから南に向かおうと思ってはいたのですが、左回りか右回りか決めかねていました。ですが、鍾乳洞の中にいる土蛍が見られるワイトモケーブに行ってみたかったことからルートは左回りになりました。
次に自分なりに旅行のルールを作っていました。走る時間帯は、だいたい、午前中に出発して、自転車で走るのは、夕方の4時か5時ぐらいまでと決めていました。というのは、旅行中、冬でしたから夕方になると暗くなって危険になるからです。なおかつ、この国では、自転車は車と同じように車道を走るのですが自動車はこちらのことにまったく気を使う様子はありません。自動車が横を通り過ぎるだけで風圧を感じました。ですから交通事故にならないように、自分の身を守るよう注意する必要がありました。
旅行では、いろいろな経験ができました。車などでは決して知ることのないことをです。オークランドの空港から街に向かうまでにすでに感じていたことですが思っていたよりこの国はアップダウンが多いと思いました。ですが、辛い坂を上ると次は下り坂。後ろから自動車などが来ないことを確認してブレーキをかけずに一気に下ると辛かったことが吹き飛ぶくらい気持ちが良かったです。また、草やファームの動物たちのにおいを感じたり、羊や牛たちと一緒に走ったりもしました。
トラブルもありました。ホリデーパークでテントの中から物を盗まれたり、街までたどり着けずに野宿もしました。ですが、その度にその土地に住む人が自分の家に泊めてくれたり、食料を分けてくれるなど助けてくれました。いろいろな人たちと出会って彼らの暖かさに触れることができました。また、旅行中はだいたいホリデーパークにテントをたて宿泊していたのですが、次はどこまで行ったらホリデーパークがあるか分かる地図を入手して、野宿することのないように余裕を持って計画を立てるようにしました。この国のホリデーパークは7.5ドルから15ドルくらい。小さな街にもありますし、世界中の旅慣れた人が利用しているのでマナーが良く、とてもきれいだと思いました。
今はオークランドでアルバイトをして次に何をしようか考えているところです。南島にも行ってみたいし、ファームステイやフルーツピッキングなどもやってみたいと思っています。自転車で旅行して辛いこともありましたがとても楽しかったです。ニュージーランドを肌で感じられた気がします。機会があればまたチャレンジしたいと思っています。