フォトグラファー:神田 淳 さん

若さの象徴とは、限りない好奇心と無謀とも思える勢いなのかもしれない。ニュージーランドのHip Hop系音楽誌『Back 2 Basics』のカメラマンとして被写体を狙う神田淳さんの姿から感じたのは、正にそれだった。
神田 淳 Atsushi Kanda
1982年、神奈川県生まれ。NZで高校を卒業し、ユニテックでデザインの勉強をする。その後専門を写真に転向。現在、フリーカメラマンとして活躍。趣味で音響の勉強中。雑誌「Back 2 Basics」では、ヒップホップ系の新進アーティストを撮影。アメリカの黒人アーティストのDJ プレミア、メソッドマンなども撮影。
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学生
自らの意志で、NZの高校で高校時代を送るためにNZへ来たという淳さん。英語学校にも通い、高校の勉強についていくために努力をしたという。「高校で、キウイの友達のみと関係を持っている間に、いつの間にか、生意気なことも言えるようになりました。何も頭に入ってなかったからでしょうかね。」と笑う姿が、とてもナチュラルに映る。
高校卒業後、淳さんはユニテックでデザインの勉強を始めた。そこでは、プロダクトデザイン、インテリア、スペース、建築、イラスト、グラフィック、ガラス、陶器などの様々なデザインの入り口となる勉強をした。その後、お金を貯めて日本に一時帰国をし、日本で働いた後、2004年から写真の勉強をするために再びオークランドに戻ってきた。
写真
淳さんは、写真の勉強のために専門学校Edu-Colへ通った。「写真は、高校の写真のクラスでも勉強をしました。今は、プロダクション・フォトグラフィーという写真のコースで、スタジオで撮る写真、コマーシャルの写真、ドキュメンタリーなどを勉強しています。このコースは、初めは空き箱でカメラを作ることから始まりました。次に、基本的なカメラの使い方、フィルムの種類、どうしてフィルムに写真が写るのかなどを学びました。写真は実際に撮らないと理解することが難しいので、こういった理論の講義は少しだけで、その後はひたすら写真を撮ることが課題でした。」
「フィルムでの白黒写真は現像がメインです。光が当たるか当たらないかの違いでできるので、文字を現像の時に描くなど工夫もでき、現像によって自分の好きな作品に作ることができます。コマーシャルの写真は、光が重要です。メイキャップやモデルも重要ですが、光の当て方で違ってきます・・・。」独自の感性とアート感覚と理論が一体化していくように、写真が描写されていく。
勢い
淳さんは、NZで日本語放送のラジオ番組のボランティアをしていた時に、音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』の収録に参加した。その時に丁度居合せたプロモーション担当のポール氏と知り合った。ポール氏はその番組も含めて4つくらいの番組を手掛けている人物だった。「その時、彼が、出版社サテライトメディアが以前廃刊となった雑誌『バック2ベイシック』の権利を買い、再度立ち上げることを話していたので、以前出版した『バック2ベイシック』で私の写真が掲載されたことを話しました。『バック2ベイシック』で掲載された写真は、世界的なDJのチャンピオンシップのNZ大会の時のものでした。大会には個人で行き、チケットを購入し、カメラを隠し持って会場に入ったのですが、写真を撮っているとセキュリティに撮影を止められたので、会場で主催者の所へ直接行き、自ら写真の撮影許可を得て写真を撮っていました。たまたまそこに『バック2ベイシック』の編集者がいて、今日突然カメラマンが来れなくなったので、写真を代わりに撮って欲しいと頼まれました。」
ヒップホップ系音楽雑誌『バック2ベイシック』
その後、ポール氏が淳さんのポートフォリオ(作品集)を見たいと連絡を取って来た。ポートフォリオを渡した数日後、『バック2ベイシック』の編集者から連絡が入り、淳さんにカメラマンとして働いて欲しいと告げた。「雑誌『バック2ベイシック』の編集長であり、NZのヒップホップのパイオニアでもあるDJ Sir-Vereは、以前ビクトリア通りにあるレコード店で働いていました。私もDJをするので、そのレコード店でよくレコードを購入していたので、顔をお互いによく知っていて。それに、提出したポートフォリオの中にも、私が以前撮ったDJ Sir-Vereの写真も入ってましたしね。『他の写真家よりも、お前はヒップホップが分かっているから、お前を選んだんだよ。』とDJ Sir-Vereに言われました。」
チャンス
「人とのコネクションは大事だと思います。雑誌1つにしても、編集長と知り合っただけで、50人以上の業界の方と知り合いになれたし。雑誌の仕事以外にも他の仕事も頼まれますし。また、ヒップホップの写真を撮る時に、その業界の知識も大事です。今後、どの分野に進むかは模索中ですが、写真にはコマーシャルフォトグラフィーやドキュメンタリーなど色んな専門があり、色々試さないと気がすまない性格なので、何でもとりあえずやって、自分なりに理解すると、それが作品に表れると思っています。現時点では、ジャーナリズムに興味があるので、ドキュメンタリーに興味があります。現在、ポートフォリオを作っているので完成したら、色々な所にアプローチしていくつもりです。」全てを自分の目で見極めようとする強い眼差しが印象的だ。「写真は撮り続けることが全てだと思っています。撮っていかないと、その一瞬一瞬が過ぎて行ってしまうし、撮っていけば、その一瞬一瞬が後に残るだろうし。勿論、物によっては時間が経ってしまうとその写真の価値がなくなる場合もありますが、今後も撮り続けることが全てです。」
一本の電話が入った。レコード会社からだった。「CDのジャケットの仕事を頼まれたのですが、ニューヨークで写真が認められたからという知らせでした。」今、正に世界が広がり始めている。「イエーイ!」と両手を上げ、今、世界に飛び出そうとする青年がそこにいた。