E-CUBE 2003年07月

VOL.18 7月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




Career up in NZ : 専門職に就いてキャリアアップ中

<クリニカル・データ・アナリスト:新本 ゆか さん | メイン | ビザコンサルタント:岡上 恭子 さん>

語学学校日本人カウンセラー:高田 あつ子 さん

高田 あつ子 さん学校の先生にその場で質問することが英語上達の王道です。

 Worldwide School of Englishで日本人カウンセラーとして働く高田あつ子さん。その立場から見て積極的に語学学校の先生に質問をする日本人の生徒が少ないと言う。英語を習得する上で自身の勉強は欠かせない部分ではあるが、せっかく学校に通っているのであれば、正しい英語を教えてくれる先生をもっと利用すべきだと言う。

高田 あつ子
Atsuko Takada
Worldwide School of English
Japanese Counsellor

1974年東京生まれ。亜細亜大学経営学部卒業。学生時代にアメリカに留学したことがキッカケで世界に出て行きたいと思う。それに引っ張られるように英語の勉強を始める。留学から帰ってすぐに添乗員の仕事を始め、卒業後も旅行会社に勤務。旅行の添乗を通して世界各地を訪ね歩く。退社後にニュージーランドに語学研修で来るが、半年後に青年海外協力隊の一員としてエジプトに行く。エジプトでは早稲田大学の吉村作治教授の発掘現場を見学させてもらった経験も持つ。

英語とのかかわり

 父親が英語が好きだったので私には英語を勉強してもらいたかったようですが、中学や高校ではどちらかと言えば数学が好きでした。ただ、よく聞く音楽は海外のアーティストが多かったので、その歌詞を丸暗記していましたし、もしも、そのアーティストに本当に会うことができた時にはこういう質問をしようということを英語で考えたりしていました。高校卒業後の進学も留学制度のある学校を選びました。多くの学校は留学希望者を募り、選考して数人を海外に送るというシステムだったのですが、あまり労せずに留学したいと思っていた私は希望者全員を参加させてくれる学校を選びました。そういったことで、英語というよりも、海外の文化に興味があったのだと思います。

習得方法1

 大学での留学は半年間で、行き先はアメリカでした。大学から約80名が参加したその留学は全員が同じ教室で同じ講義を受けていましたし、寮も全員同じでした。アメリカへ行き、アメリカの大学で、アメリカの先生から講義を受けていたにも関わらず、日本人大学生のコミュニティーがいつも一緒でしたから、飛躍的に英語が伸びるわけはありません。 寮では現地の女の子と同室だったので、そこで必要に迫られた簡単な日常会話が交わされるくらいでした。
 それでもこの留学体験は私の気持に大きな変化をもたらしました。自分が今まで住んでいた日本の他にもいろいろな世界があるということを体感し、もし私が英語を喋れるようになれば、その広い世界に出ることが怖くなくなるのではないかと思い始めました。
 アメリカへ行き、英語に向かい合ってみようという気になり、その時から単語帳を作り始めました。メモ帳を買ってきてそれに単語を書いていきました。それには、講義や生活の中でわからなかった単語、よく聞くけどスペルがわからない単語、よく耳にし、自分も良く使うのだけれどはっきりと意味を理解していない単語などを書いていきました。 私の場合は単語だけではなく、同時に例文も書き込んで、その単語を今度は自分も使うことを心がけました。単語帳には縦15センチ横10センチくらいで、ちょうどニュージーランドで現像された写真と同じサイズのメモ帳を使いました。このサイズですと持ち歩くこともできますし、単語だけでなく例文も書き込むことができます。それで、アメリカでこのメモ帳を大量に買い込んだ記憶があります。

習得方法2

 帰国後は海外に出ることへの興味が深まったので、添乗員のアルバイトを始めました。4年生の時には卒業の単位もほとんど取れていたため、特にアルバイトに専念していましたし、一般旅行業務取扱主任者の国家資格も取得しました。卒業時に、就職もそのままフリーランスの添乗員でいこうと思ったのですが、それでは仕事が安定しないだろうという親からのプレッシャーもあり、旅行会社に入りました。
 そこで一年目は国内の担当で、企画や手配などが中心の業務に就いていました。しかしどうしても外に出たかったので添乗員だけができるセクションに移動させてくれるように上司にお願いしました。するとその希望が通り、私は旅行の添乗をしたり、また他の添乗員の教育をする部署に配属されました。こうして私は再び海外に出る機会を得ました。そこで今度は英語の必要性を痛感したのです。
 仕事として添乗をする際に、お客様の前でスラスラ英語が話せるようになりたいと思いました。旅行中に万が一トラブルが発生したときに英語が喋れないと大変なことになります。何よりスラスラ英語が喋れることはお客様に安心感を与えることになりますし、それによって自分自身も胸を張って仕事ができるようになると考えたからです。
 なんでもない簡単なことですがよくある例として、私がホテルでチェックインをしているときにお客様が受付まで来て、トイレの場所を聞くということがあります。そのときに自分の目の前にいるホテルのスタッフに英語で聞かなければなりません。そこでスラスラなのか、そうでないのかではお客様からの印象が変わります。また初めて訪れる国もありました。そういった場合でもお客様には初めてとは言い難く、2回目ですと答えます。もし本当に2回目ならば10回目ですと答えるくらいの勢いでした。そういった状況で「~のレストランへ行きたい」とか「~が買いたいからお店はどこ」という質問をよく受けました。そう言うときにドライバーに情報を聞かなくてはいけません。そこではお客様から隠れてこっそりと聞くのですから、もたもたしていられません。
 こういった小さなことの積み重ねが添乗員への評価につながっていきますので、英語は当然不可欠になってきます。               そういった中で実践的な英語を身につけるために私はNHKの英語講座を利用していました。ミニ英会話の番組、ドラマを見ながら英語を勉強する番組、ビジネス会話の番組など、ほとんどをビデオに録画していました。その当時は1ヶ月のうちの20日くらいは添乗に出ていました。その間に録画をして、帰ってくると何時間も繰り返しビデオを見入っていました。そしてここでも使える単語は次回の添乗で使おうと、例文と共に単語帳に記入していました。

習得方法3

 そうして3年間そこでお世話になり、その後にニュージーランドに来たのです。目的は英語の勉強でした。語学学校に入り最初はUpper Intermediateのクラスでした。ところが初日からまったく授業が理解できなかったのです。それであわててクラスを変えてもらうように頼みましたが、すぐに慣れるから大丈夫と言われ受け入れられませんでした。 クラスの周りはみんな理解しているのに自分だけが取り残されている感じがして焦りました。しかし、2、
3週間もするとその焦燥感は消え、授業に集中できるようになりました。この頃の勉強内容の中心は授業の復習でした。プリントの裏などに授業で出てきた単語を殴り書きして家に帰ってからスペルや意味の確認をします。そして、最も頻繁に行ったのは、わからないことをその場で先生に聞くようにしたことです。先生が言った意味がわからないときは、隣にいる友達に聞くのではなく、先生に聞けばいいのです。そのための先生だと思って授業中でもよく質問をしていました。 学校へ通っている中では、先生と仲良くすることは英語上達には有効な手段だと思います。第一に正確な英語を教えてもらうことができます。そして先生と仲良くなれば、例えわからないことがあっても、すぐに教えてもらうことができるので、精神的にも安心感が得られ、気軽に質問ができます。そうすれば知らないことがどんどん解決していくのです。
 そうやって半年ほどニュージーランドにいて、その後にエジプトに行くことになったのです。これはニュージーランドに来る以前に申請していた青年海外協力隊から連絡を受け、エジプト人の日本語ツアーガイドに日本人に対する接客マナーを教えるという役目で行くことになったのです。エジプトでも英語の勉強を続けるために、空いた時間に語学学校に通いました。授業はニュージーランドにいた頃と同じように先生に多く質問をしていました。一番の違いは家での勉強でした。家での勉強と言うよりは家の大きさが違っていました。とにかく広く、リビングとベッドルームで合わせて20畳くらい、キッチンだけでも10畳くらいはありました。そのキッチンに単語と例文を書いた紙をペタペタ張り付けていたのです。食事を家で作る機会が多かったのでその時間はどこを見ても英単語が目に入るようにして、野菜を切りながらブツブツ、肉を焼きながらブツブツと練習していました。
 また、添乗員の時から始めたのですが、寝る前にその日一日のことを英語で考えるということをしていました。日記を書くのは面倒だったので頭の中だけです。今の自分の気持や、こんな場面だったら、こんな風に言ってみようと色々と想像しては英語がスムーズに出てくるようにしていました。大したことではありませんが、続けることでどんなときでもすぐに英語の頭に切り替えられる訓練になりました。

仕事の中での英語

 エジプト人ガイドに講義をするときには基本的に日本語を使っていました。中にはガイドが各所で説明する文章を丸暗記しているだけの人もいて、そう言う人には英語を使って説明をしていました。
 内容としては、例えばエジプトではよくあることですが、砂漠の真ん中で観光バスが故障してしまったときに、お客様に心配をさせないためにガイドとドライバーの2人だけで話をして問題を解決しようとする傾向が強いのですが、日本人を相手にするときは、まず状況をちゃんと説明した方がいいということや、些細なことでは、常にトイレの位置を説明することなどでした。
 その時は自分のクラスで使う教材として、考古学に関する英語の文献をよく読みました。そこで、ツタンカーメン王は実は歩行障害があったのではないかという説があることを知りました。また、私の興味を引いた話としては、ピラミッドは当時の国王が奴隷を使って建造されたという説よりも有力な説があることを知ったことです。それは、ピラミッドは農作物が育たない時期の失業対策だという説で、これは現在ではかなり有力な説とされています。砂漠を馬が歩いているときに偶然つまずいて見つかった遺跡がピラミッドを作る職人達の村であり、そこに残されていた文字には「王様バンザイ、今日もビールがおいしい」という内容が記されていたことが発端でこの説が生まれました。
 私はニュージーランドにはいずれ戻りたいと思っていました。ワーキングホリディを半年で切り上げてエジプトに来たため、まだ未練のようなものがあったからです。そんなこともあってニュージーランドでできた友人とはE-mailの交換を続けていました。そしていよいよエジプトでの任期が終わる頃にニュージーランドに戻ってくるなら仕事があるよという話が現在勤めている学校から持ち上がりました。私はすぐさまその話に乗り、この国に戻ってきたのです。最初はアカウントのセクションに配属され、生徒からの出入金などを管理していました。そしてその後、日本人カウンセラーになったのです。
 私はニュージーランドが好きなのでこれからも長く住みたいと思っています。そうして10年、20年住んだときには、それなりの英語力になっていたいという希望があります。 そのために今も英語の勉強は続けています。この国に再び入ってきてからは英語のペーパーバックを読むようになりました。これは仕事や普段の生活からだけでなく、今までスペルや使い方がわからなかった単語の再確認には非常に適していると思います。
 それと同時に今はカウンセラーとして多くの書類を目にします。その書類でいいなと思った文章はファイルして次回自分が使うようにしています。すると今度は英語だけでなくキウイの考え方も見えてきます。例えば語学学校でよくある国籍比率の説明。E-mailなどで国籍比率を聞かれることがあるのですが、最初私は普通に日本は何%、中国は何%と答えていたのですが、こちらではそうではなくOur school is famous for its mixture of students. Students from different countries we have only XX% from China or Japan.というように、私達日本人には少しオーバーに聞こえるように回答すると言うことも知りました。これからも英語勉強していきたいと思っていますし、習得する上でこういった視点の違いもどんどん学んでいく必要があると考えています。

高田さんの英語上達ポイント

  1. 英語学校に通っていてわからないことがあったときには、友達に聞かずに先生に聞く。
  2. メモ長サイズの単語帳に英単語と例文を書き込み、使い方も覚える
  3. 寝る前に必ず、その日の出来事を英語で考える。
  4. ペーパーバックを読むと、英単語の再認識ができる。
語学学校日本人カウンセラー:高田 あつ子 さんと連絡を取りたい、勉強したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。

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