E-CUBE 2003年12月

VOL.23 12月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




時代を飾るキウィ :イーキューブのブレーンやアドバイザーとなるNZのセレブやキーパーソン

<ニュージーランド・ファッション・ウィーク社社長:Pieter Stewart さん | メイン | 総集編 (2003年1月 ~ 11月)>

総集編 (2002年1月 ~ 10月)

Ross Blackman さん2002年1月創刊号
ヨットの世界で活かすビジネスセンス
Ross Blackman(ロス・ブラックマン)
チーム・ニュージーランド 
チーフ・エグゼクティブ

 1953年ダニーデン生まれ。オタゴ大学を経て、1971年よりセールメーカー、プロセーラーとして世界中を航海。ヨットの経験のみならず、ビジネスの世界の経験も豊富。ニュージーランドが最初にアメリカズ・カップに挑戦した1988年からのオリジナルメンバー。2000年6月にチーフ・エグゼクティブに指名され、2003年アメリカズ・カップの再防衛に挑むが失敗。次回2007年アメリカズ・カップでのカップ奪回に向けてのスポンサー獲得のため、世界中を飛び回っている。
 「前回大会ではカリスマ的存在の故サー・ピーター・ブレイクでさえもプレッシャーを感じたというポジションでしたので本当に悩みました。そのポジションを私が引き継ぐことになったのです。私ができることは、ビジネスの世界での勘と経験を生かすことだと思っています」

 

James Vuletic さん2002年2月号
ニュージーランドで生まれた幻の赤ワイン
James Vuletic(ジェームズ・ヴレテッチ)
プロヴィダンス・ヴィンヤード
オーナー・ワインメーカー

 1944年北島パパロア生まれ。クロアチア出身の両親からワインづくりを学ぶも、オークランド大学で法律を専攻。本職は弁護士。現在オークランドで法律事務所を構える。趣味で始めたワインづくりだが、クオリティーの高さから世界中からオーダーが絶えない。将来は弁護士の仕事を縮小して、ワインづくりに没頭したいと考えていたが、徐々にそれを実行中。今では日本にも多くのファンを抱えるようになり、高級ワインショップではプロヴィダンスを見かけることも増えた。妻ジェーンとの間に二女。
 「効率的にものを作ると、どこかを妥協しなければいけません。私はそうしたくありません。ベストのものを作るためにこだわりたいのです。毎年新樽を使うのもそのためです。」

 

Jane Dent さん2002年3月号
ニュージーランドは感動を与えてくれる国です。
Jane Dent(ジェーン・デント)
ニュージーランド観光局 
インターナショナル・メディア・マネージャー

 北島西部、サーフィンで有名なラグラン生まれ。AUCKLAND TECHNICAL INSTITUTE(現AUCKLAND UNIVERSITY OF TECHNOLOGY :オークランド工科大学)のジャーナリズムコース終了後、NZBC(テレビ&ラジオニュース)の研修生としてメディア業界での仕事を始める。その後、テレビジョン・ニュージーランドのレポーター、ラグビーのオールブラックスのメディア統括を経て現在に至る。アメリカズ・カップ、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のプレミア上映、ロレアル・ニュージーランド・ファッション・ウィークなど世界的なイベントが目白押しで、息をつく暇もない。
 「私の仕事の最終目的は観光客数を増やす事ではなく、ニュージーランドが他の国にはない独自の特色を持っている国、感動を与えてくれる国、訪れるのにふさわしい国という質の面を理解してくれる人を増やす事です。」

 

Ross Munro さん2002年4月号
セーリング超大国、ニュージーランドで生まれ、育った「LINE7」
Ross Munro(ロス・モンロ)
ガルフ・スター・プロダクツ(Line 7)社長

 1957年ロトルア生まれ。ワイカト大学を卒業し、BMS(Bachelor of Management Study)を取得。仕事がらヨットに造詣が深いと思いきや、ヨットには乗らず、むしろ魚釣り派。本業の他にチーム・ニュージーランドおよび2003年アメリカズ・カップのマーケティング委員も兼務している。2003年のラグビーワールドカップでは公式ウエアも製造し、ヨーロッパマーケットへ向けて参入を開始した。週末は必ず家族サービスに時間を割く典型的キウイ・ハズバンド。妻マリリンと二男、一女。
 「ニュージーランドは最上級のヨットウェアを作るのにふさわしい国だと思います。それは、海岸線が長く海に近い生活をしている事、そのうえセーリングが生活の中で大きな位置を占めており、余暇をどう過ごすか、収入をどう使うかという事に海が大きく関わってきているからです。」

 

Peri Drysdale さん2002年5月号
自然のエネルギーにあふれたライフスタイルブランド
Peri Drysdale MBE(ペリ・ドライスデール)
スノーウィー・ピーク・リミテッド社長

 クライストチャーチの西、スノーウィー・ピーク生まれ。会社の名前は出身地から取って名づけた。クライストチャーチ病院で正看護婦として働いていた経験もある。毎日の睡眠時間は3?4時間。毎日深夜まで仕事をこなし、朝は4時に起きて仕事を始める。現在ニューヨークに自らのブランド「アンタッチワールド」の出店を計画中。ニューヨークのあとは日本への出店も考えている。1993年に製造および輸出貢献に対してMBE(Member of the British Empire)をエリザベス女王より贈られる。
 「99年9月の先進国首脳会議 ( APEC)でのクリントン前大統領はジャケットを脱いで肩にかけ、我々のブランド、アンタッチドワールドのポロシャツをあらわにして、世界中のテレビカメラが構えている前を歩いて博物館に入って行ってくれました。」

 

Julie Dalzell さん2002年6月号
「食べる、飲む、もてなす、暮らす、旅する」ための最新ガイド
Julie Dalzell(ジュリー・ダルゼル)
雑誌「Cuisine」発行人

 クライストチャーチ生まれ。カンタベリー大学で英米文学を専攻。その後、新聞社、デザイン雑誌、子供雑誌の編集部員を経て、1987年に『キュイジーヌ』を創刊。以来、世界の料理メディアコンテストで上位に選ばれる。創刊当時には、保守的だったニュージーランド人に突飛で異様なレシピが掲載されていると言われ、ぶどう品種の発音から説明しなければならなかったが、今ではニュージーランドで発行される雑誌の中で最も好調と言われ、次々と読者を増やしている。現在は大手出版社に売却し、顧問として発行に関わる。
 「『キュイジーヌ』のコンセプトはfood, wine & good livingで今も昔も変わりありません。食べる、飲む、もてなす、暮らす、旅するという生活のいろいろな場面で役立つ情報を一歩先で掴んでいたことがニュージーランドでの成功となり、世界での評価を高めたのではないかと思います。」

 

Hayley Westenra さん2002年7月号
世界デビューを果たすクライストチャーチのライジング・スター
Hayley Westenra(ヘイリー・ウエステンラ)
歌手

 1987年4月クライストチャーチ生まれ。現在クライストチャーチのバーンサイド高校6年生。宝石商を営む父ジェラルド、マネージャーを務める母ジル、妹のソフィーはヘイリーのアルバムでバックヴォーカルを担当、弟のアイザックはテレビコマーシャルの子役として出演する経験も持つ。最新アルバム「Pure」を7月に発売し、世界デビュー。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドで1位を獲得。フジテレビの開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」の主題歌「アメイジング・グレイス」を歌うことになった。
 「クライストチャーチにいながら、どうしてあのデッカ・レコードと契約できたのかと驚いてしまいます。それほどクライストチャーチは華やかな世界から遠いところにあるんです。しかし、当分の間はクライストチャーチを離れるつもりはありません。家族の絆を意味するからです。」

 

Judith Tabron さん2002年8月号
レストラン業界の女王
Judith Tabron(ジュディス・タブロン)
ソウル・バー・アンド・ビストロ オーナー

 ウエリントン生まれ、オークランド育ち。5人兄弟姉妹の二女。小さい頃から学校の勉強の代わりに、家のキッチンに入り浸たり、ケーキを作っていたほどの料理好き。現在は店ではキッチンに入る事はほとんどないが、いざという時にはシェフとなり、ウエイトレスも務めるほど、客を満足させるためには全身全霊を傾ける。哲学は「お客様はいつでも正しい」。アメリカズ・カップ・ヴィレッジ内の「SOUL」はニュージーランドのエグゼクティブで連日超満員。
 「お客様にノーと言わないプロに徹することが大事なのです。とにかく、安定している、いつでも同じ味、いつ来てもはずれがないようにすることでした。」

 

Melodie Robinson さん2002年9月号
ラグビーとモデルとジャーナリズム
Melodie Robinson(メロディ・ロビンソン)
ラグビー・コメンテーター

 1973年5月25日、ニュープリマス生まれ、クライストチャーチ育ち。15歳よりモデルを始め、18歳でミス・カンタベリーに選ばれる。オタゴ大学で体育学を専攻するかたわら、ラグビーを始める。1996年のカナダ戦で初代表。昨年のワールドカップを最後に引退。スカイテレビのスカイ・スポーツ・ワンでスーパー12と国内選手権のNPCでコメンテーター、スポーツニュース「Sports365」のキャスターを勤める。
 「おそらく私は世界で初めての女性ラグビー・コメンテーターではないかと思います。男のスポーツであるラグビーに対して女に何がわかると言う批判があるのは知っています。しかし、アメリカではNFLやNBAでも女性のコメンテーターが活躍しているのですから、女性である事で男性のスポーツにコメントが出来ないという理由にはならないと思います。」

 

Maria Ryan さん2002年10月号
アメリカズ・カップのトロフィー用キャリング・ケースはルイ・ヴィトン製です。
Maria Ryan(マリア・ライアン)
ルイ・ヴィトン メディアセンター

 クライストチャーチ生まれ、育ち。高校卒業後、法律を勉強していたパースでヨットイベントと出会い、それ以来ルイ・ヴィトン カップ、世界一周レースのホイットブレッドなどメジャーなヨットイベントの広報やマーケティングに従事する。前回1999年、そして今回2002年とルイ・ヴィトン カップメディアセンターに関わり、メディアセンターで働く女性達「ルイ・ヴィトン・ガール」を統括する。自ら「もともとはヨット乗りではなく、ファーマーの娘」と笑う。
 「今までニュージーランドが世界の頂点に立てたといえば、ラグビーのオールブラックスくらいだったのではないかと思いますが、アメリカズ・カップでニュージーランドのテクノロジーも世界のトップレベルにある事が証明されたのです。」

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