E-CUBE 2004年01月

VOL.24 1月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




時代を飾るキウィ :イーキューブのブレーンやアドバイザーとなるNZのセレブやキーパーソン

<総集編 (2002年1月 ~ 10月) | メイン | テレビ番組プレゼンター:Maggie Barry さん>

総集編 (2003年1月 ~ 11月)

Edmund Hillary卿2003年1月号
静かなる鉄人
Sir Edmund Hillary(エドモンド・ヒラリー卿)
冒険家

 1919年オークランド生まれ。オークランド・グラマースクール卒業後、家業の養蜂を手伝うかたわら、ニュージーランドの山を登り始める。1953年にシェルパのテンジンと共に世界で初めてエベレスト登頂に成功。その後、1957年に南極点へ到達、1977年にガンジス川探検。その前後から、ネパールでの福祉、環境保全活動を始め、現在もその活動を続けている。今年5月にネパールのカトマンズで行われたエベレスト初登場50周年記念パーティーにも積極的に参加するなど、現在でも精力的に講演や募金活動に行っている。
 「ヒマラヤ基金は毎年、50万アメリカドルを捻出しなければなりません。今は世界遺産に登録されている『エベレスト国立公園』を制定した時もネパール政府はそれを維持する金がないばかりでなく、公園運営のノウハウすらありませんでした。そのために、毎年3?4回は海外に出かけ、財源確保を行ないます」

 

Ross Blackman さん2003年2月号
すべては2月15日の アメリカズ・カップのために

Ross Blackman(ロス・ブラックマン)
チーム・ニュージーランド・チーフ・エグゼクティブ
Tony Thomas(トニー・トーマス)
エグゼクティブ・ディレクター 
アメリカズ・カップ2003&チーム・ニュージーランド
Ross Munro(ロス・モンロ)
ガルフ・スター・プロダクツ(Line 7)社長

 2003年2月のアメリカズ・カップを前に、2002年で紹介した、アメリカズ・カップを保持するチーム・ニュージーランドのキーパーソン3人を再度取り上げ、意気込み、期待、裏話を紹介した。結局チーム・ニュージーランドは海のない国スイスのアリンギに一勝もできず5対0で破れ、アメリカズ・カップはスイスに持ち去られることになった。しかし、チーム・ニュージーランドは新体制で、2007年ヨーロッパの海で行われる予定のアメリカズ・カップに挑戦するため、スポンサー探しとチーム作りに全力投球中。
 「チーム・ニュージーランドはマネージング・ダイレクター(最高責任者)として世界一周レースで名高いグラント・ダルトンを指名し、全く新しい体制で再スタートを切ります。(ロス・ブラックマン)」

 

Sean Fitzpatrick さん2003年3月号
ラグビーのマネージャーは、ジャージの洗濯をするわけではありません。
Sean Fitzpatrick (ショーン・フィッツパトリック)
ラグビースーパー12オークランド・ブルーズ・マネジャー

 1963年オークランド生まれ。セイクリッド・ハート・カレッジ卒業。所属クラブはオークランド・ユニバーシティ。ポジションはフッカー。初代表の1986年以来、1997年の引退までに獲得したキャップ(代表チームでプレーした数)は92で、ニュージーランドで最多。オークランド・ブルーズのマネージャーの他、コカ・コーラのPR部門にも勤務。さらに、自らもPR会社を経営し、講演やCM出演などのタレント業も行なう。自叙伝「FRONTING UP」がある。ラグビーワールドカップでは勤務先であるコカ・コーラが大会スポンサーということもあり、親善大使として活躍。
 「日本ではラグビーのマネージャーと言うと、女子マネがやるようなジャージの洗濯、食事作りや雑用などを想像するかもしれませんが、ニュージーランドのマネージャー職は選手達が快適に練習ができるような環境作りをする事務職のプロなのです」

 

Bob Campbell さん2003年4月号
好きなワインを記憶する。 これがワインを知る第一歩です。
Bob Campbell(ボブ・キャンベル) ワイン評論家、マスター・オブ・ワイン


 1947年オークランド、ハーウィック生まれ。AIT(現在AUT=オークランド工科大学)で会計事務を修める。ワイン業界に入ったのはワインメーカーの経理としての入社がきっかけ。ニュージーランドのメジャーなワインメーカー数社で経験を積んだあと独立。1990年に「Master of Wine」を取得。ニュージーランドの料理雑誌「Cuisine」でのワイン評論をはじめ、読者からのワインに関する質問を受け付ける1ページ企画「ask Bob」も開始した。また、世界中のワイン雑誌での執筆もこなす。独自で開講したワイン・ディプロマコースは大人気。詳細はウェブサイトwww.bobcampbell.co.nzにて。
 「私はまず第一に、好きなワインを記憶するように勧めています。そして、別の機会に飲むワインが記憶したワインとどこが違うのかを見つけるのです。それができるようになれば、ワインへの理解が深まって来ますし、ワインがますます楽しくなります」

 

Michael Boulgaris さん2003年5月号
全物件の80%は上位20%のセールスパーソンが手掛けています。
Michael Boulgaris (マイケル・ボウルガリス)
バーフット・アンド・トンプソン 不動産セールス

 1966年カナダ生まれ。5歳の時両親とニュージーランドに移住。20歳の時に不動産業界に入り、物件管理を皮切りにセールスに移る。毎年年間売り上げ金額が数百万ドルにもなり、常に社内の売り上げランキングではトップ10をキープしている。サイドビジネスとして、モデル事務所にも所属し、スピーチをこなしたり、広告などにも登場する。値の張る豪華な家を売るためには、自分がその家を買う人のライフスタイルを知る必要があると考え、生活レベルと生活リズムに常に気を配る。テレビ番組「Location, Location, Location」の第5シリーズへの出演を要請されているが、辞退。今年マッセイ大学での経営学の学位習得。著書に「Location, Loca tion」がある。
 「売るためにはセールスパーソンとして興味を持ってもらい、信頼感を与えなければいけません。着ている服、靴、髪型、ライフスタイル、体型、趣味なども大切な要素だと思います」

 

Murray Downie さん2003年6月号
プロのフィッシング・ガイドとして、自然環境への配慮は不可欠です。
Murray Downie(マレー・ダウ二ー)
フィッシング・ガイド

 1956年ファカタネ生まれ。もの心がついたときにはムルパラで暮らす。5歳の頃から釣りに興味を持ち、毎日、川や湖へ通う。フライフィッシングを始めたのは14歳から。31歳でプロのフィッシング・ガイドとなる。ランギタイキ川でのラフティングボートを使っての釣りはマレーしか知らない絶好のポイントに数多く行ける。その他、湖での釣りやヘリコプターで山中深く入っていく釣りなど、様々なアレンジを提供している。また日本のつり雑誌で活躍するフライフィッシングの著名人ほとんどの人が彼の案内でムルパラでの釣りを楽しんでいる。
 「日本人のお客さんは20代から40代の人が多く、若くて体力があるために2、3時間歩かなければならない山の奥にも入っていくことができます。そのため案内できる範囲が広くなり、釣り場としてはあまり荒らされていません。ですから他と比べて、数を上げることや大きな鱒が出る確率が高くなります」

 

Claude Stratford さん2003年7月号
蜂がもたらす物質の有効性は自分の身体が証明してくれています。
Claude Stratford(クロード・ストラットフォード)
コンビタ・ニュージーランド・リミテッド 創業者

 1910年、ネルソン生まれ。小さい頃から、虫や動物と親しみ、養蜂業、養鶏業などを経て、64歳でコンビタニュージーランド社を設立。一週間のうち6日半は働き蜂のように働くと言われ、その結果、創業以来約30年で毎月数百万ドルの売り上げのある企業に成長させる。1998年には養蜂業での社会貢献が認められ、QSM(Queen Services Medal)を授与される。
 「ロシアのある村では100歳以上の長寿の人がとても多く、アメリカの調査隊が調べてみるとそんな人たちはみな、養蜂業に関わっている人たちでした。巣箱の下に蜂が残していった真っ黒の物質を食べていたのですが、実はこれがビーポーレンとプロポリスの固まりだったのです。私がこの文献を読んだ当時、ニュージーランドではこの黒い固まりはBee Shit(蜂の糞)と言われ、誰も見向きもせず、捨てられていました」

 

The D42003年8月号
目標は最初からワールドワイド。その中でも日本は最初に体当たりした国。
The D4(ザ・ディーフォー)
ロック・グループ

 1997年オークランドのノースショアで結成される。1999年に4曲入りのEP「The D4 EP」でデビュー。2001年秋にリリースしたデビューアルバム「6TWENTY」はオーストラリア、イギリス、アメリカ、フランスでも発売され、日本では 今年4月にSony Music Entertainmentから日本盤がリリースされた。Jimmy Christmas (ヴォーカル、ギター)、 Dion Palmer (ヴォーカル、ギター)、 Vaughn Williams(ベース)、 Beaver Pooley(ドラム)の4人組。12月には再び東京、大阪でライブを敢行。
 「日本は初めての海外ツアーの地でした。とにかくお金がなかったので、宿泊はツアーを手配してくれた日本人の友達の家にスタッフも含めて6人でホームステイしました。朝起きたら、前日のライブで汗だくになっていた下着やシャツが洗濯され、おまけにきれいに畳まれて、枕元に並べてあったんです。みんなが驚きました」

 

Wayne Pivac さん2003年9月号
オークランドが強い年はオールブラックスも強いのです。
Wayne Pivac(ウェイン・ピバック)
ラグビー国内選手権NPC オークランド監督

 1962年オークランドのデボンポート生まれ。5歳よりタカプナ・ラグビークラブでプレーを始め、以来、オークランドBチーム、オークランド・コルツ(21歳以下代表)などに選ばれる。警察官、市役所職員、電気工事会社経営などの仕事のかたわら、監督としてタカプナ・クラブ、地区代表ノースランド監督を経験後、1999年よりプロとしてNPCオークランドの監督に就任し、5年目となる今年も昨年同様優勝し、さらにランフィリーシールドをカンタベリーから奪って、最高の形で有終の美を飾り、勇退。次は海外でのコーチングを考え、現在各クラブからのオファーを検討中。
 「ラグビーがプロになった96年から、選手と同じように監督もプロとして結果が求められるようになり、指導者として求められるは選手としての実績ではなく、管理能力なのです。今では「いい選手は必ずしもいい指導者ならず」という言葉は常識になって来ています」

 

Pieter Stewart さん2003年10月号
ニュージーランド・ファッションのキーワードは「ISOLATION(孤立)」です。
Pieter Stewart(ピエタ・スチュワート)
ニュージーランド・ファッション・ウィーク社 社長

 クライストチャーチ生まれ、マウントハット育ち。モデルを経験後、結婚、出産、4人の子供の母親として12年間家庭に入る。その後、仕事への意欲が湧き、クライストチャーチでモデル事務所とモデル学校を設立。雑誌、テレビなどのファッション・アドバイザーとしても活躍。2001年にニュージーランド・ファッション・ウィークの発起人となる。ファッション産業の輸出額の増加、国内の若い世代のファッション産業への関心を呼び起こさせるなど、ニュージーランド・ファッション産業の牽引車になっている。現在クライストチャーチ在住。
「ニュージーランド・ファッションの特徴は

  1. デザインが広範囲。ストリートファッションからエレガンスまでカバーされている。
  2. 独創的、発想がユニーク。
  3. どこかかわいらしさがある。
  4. 他の国のデザインを真似しない、オリジナル性に富んでいる

と言えます。」

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