Vol.111 時代を飾るキーパーソン ニュージーランドのスーパーカー |
できるはず、と可能性を信じてニュージーランドのスーパーカーメーカーを創業。ニュージーランド唯一のF1世界チャンピオンドライバー、Denny Hulmeの名をブランドにして ニュージーランド=スーパーカーのイメージを作り上げようとしているキウイJock Freemantle氏。彼個人の夢が、彼が巻き込んだ多くの仲間の夢となって、あと少しで実現のところまで来た。全てを熱く語る彼に話を伺った。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 世界一周の末に選んだニュージーランド 子供の頃から車は好きでした。15歳でロールスロイスに見習い工として就職。1人前の技術者になるまで6年間修業しました。のち、2年ほど働いてお金を貯め、23歳の時にランブレッタ(イタリア製のスクーター)を買い、それで世界一周の旅に出ました。私には技術がありましたから、アフリカや中近東など行く先々で簡単に仕事を得ることができました。またテントに寝、地元の人たちと一緒に食事する、というチープな旅のスタイルでしたから、自由気ままでした。 1965年にオーストラリアのメルボルンで妻ウエンディと出会い、翌年結婚しましたが、私の世界一周の旅はまだ半分でしたから、2人で一緒にアメリカへ渡りました。68年にはメキシコへ行く予定を、子供ができたために変更し、カナダのバンクーバーへ移りました。娘がカナダ生まれてそこで落ち着くことも可能だったのですが、その頃のアメリカで盛り上がってきたドラッグの風潮がイヤで、ニュージーランドへ移住することを決めました。私はスキーが好きでしたのでクイーンズタウンを選び、モーテルを始めました。Aラインモーテル、がそれです。69年にオープンしてから17年間、クイーンズタウンにいました。モーテル経営のかたわら地元の技術開発プロジェクトに参加したり、航空クラブやスカッシュクラブの会長などを勤めたので、私はクイーンズタウンでは知られた存在となりました。オークランドに引っ越したのは、娘がオークランド大学に進学したからです。86年末のこと。モーテルを売却してオークランドへ来ました。
ニュージーランドのCan Do精神で可能性を信じて 2002年のこと、友人がマッセイ大学の乗り物デザインのコースを担当することになりました。当初私たちは「ニュージーランドで乗り物デザインを学ぶ学生はヨットを造りたいのだな」と思っていたのですが、実際に聞いてみるとなんと75%の学生が車をデザインしたい、と思っていることがわかりました。それがキッカケです。ニュージーランドのスーパーカーを造ろう、と思いたったのは。 ニュージーランドは既に世界でトップレベルのヨットを生産している、だから世界トップレベルの車の生産もできるのではないのかと。考えているうち、リサーチするうち、それはとても可能なことだと思うようになりました。そしてさらにそれを信じるようになり、かくして私のスーパーカーの夢が生まれました。スーパーカーというのは、時速200マイル(350キロ)走行が可能で、2人乗りのスポ-ツカーのことを指します。人によってはポルシェやフェラーリがスーパーカーだと言う人もいますが、私はそうだとは思いません。ポルシェやフェラーリは年間数千台を生産しています。私にとってスーパーカーとは、世界中でもほんの数えるほどしかない、限定製造された高級メカのみを指すのです。 私の夢が仲間全員の夢にとふくらんだ ニュージーランドでスーパーカーを造ろう、というので、まず自然と行き着いたのはニュージーランド人唯一のF1チャンピオンドライバー、Denny Hulmeでした。早速、彼の名前をブランド名にしました。Hulmeという名が使えるのは大きなプラスです。瞬く間にして、世界中のF1関係者の注目を集めることができましたから。次にニュージーランドのトップ工業デザイナー、Tony Parker氏や、アメリカの有名な車デザイナー、Chuck Perry氏など業界の実力者に話を持って行きました。幸いなことに、彼らはHulmeの将来を買ってくれ、仲間になってくれました。今のところほとんど無償で力を貸してくれています。私の夢が、皆の夢にもなったということです。そして、丸1年かかって夢の1台目が完成。15案ほどのデザインの中から1つを選び、細かいところまでも吟味して、手作業でていねいに作り上げました。2004年のことです。作り始める段階で多額のお金が必要でしたが、5人もの友人が、私との信頼関係のみで出資してくれました。ありがたいことですよね。そんな友人の信頼を踏みにじってはいけませんから、この事業は絶対に成功させなければいけません。 ニュージーランドのスーパーカーが世界に認められる日は近い
この私のスーパーカービジネスは、現実に近いとはいえ、まだ夢の段階ですから、これだけで生活していくわけにはいきません。たくさんの自費もつぎ込んできました。従って70歳になった今も私は未だにフルタイムで仕事をしています。現在勤務している会社には11年いますが、社長は私の夢の賛同者で、休みなどを柔軟に許してくれます。1日は24時間ありますからね、たとえフルタイムで働いていても、ちゃんと時間は作れるものなんですよ。4月にネルソンで講演をして新たな出資者を募り、その資金で車をより高級に改良します。7月に行われる業界トップのイベント、イギリスでのモーターショーに出品する予定です。Hulmeのスーパーカーは高級、ユニーク、そして高品質の3要素を備えたものである、と世界のコレクターにアピールするのです。既に、雑誌やテレビなどのメディアで紹介されていますから、あともう一歩だと思っています。45万英ポンドという価格(約100万ニュージーランドドル)ですが、スーパーカーのコレクターはあまり値段を気にするような人種ではありませんから、とにかく彼らにアピールする車を提供することが大切です。 1987年にアメリカズ・カップでニュージーランドのヨットが注目を浴びてから、ニュージーランド=ヨット、というイメージが定着しました。ニュージーランドのスーパーカーメーカーHulmeが、車の高級ブティックとして世界に認められるのもすぐ近い将来であるはずだ、と自負しています。
この記事を読んで、スーパーカー興味のある人、または車のエンジニアになりたいと思っている方は下記のお問い合わせよりイーキューブのキャリアアップ留学センター「イースクエア」までご連絡ください。 ![]() ![]() |