洗いざらしたポロシャツにジーンズ、鮮やかなグリーンのスニーカーというカジュアルな姿。笑顔で気安くジョークを交えながらの話は、まるで旧友と雑談しているよう。彼がシドニーで栄誉ある賞をいくつも受賞した有名シェフだということをつい忘れてしまう。「ボク自身ドレスアップするのは大嫌い!」というWarren Turnbull 氏はシドニーで名を馳せたシェフ。彼のニュージーランドでの第―号レストラン、District Diningに訪ねた。
【Profile】
Warren Turnbull ウォレン ターンブル
1972年12月14日、オークランド生まれ育ち。父は大型車両の運転手、母は工場で働いていた。4人兄弟。両親は今もオークランド在住。来年、16年間住んだシドニーからオークランドに拠点を移すつもりでいる。1年ほど前にニュージーランド人と結婚し、ニュージーランドで子供を育てたい、というのがその大きな理由。「リトル ウォレンが欲しい!」と楽しい夢がふくらむ。
District Dining Britomart
50 Customs Street East Ph:+649 3685 315
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オークランドのレストラン業界はこれからどんどん良くなるでしょう。 |
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シドニーで大流行中のメキシコ料理店を出す計画もあります。 |
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自分の店を開店してからビジネスコーチを雇い、6ヶ月間しっかりビジネスを勉強した。 |
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料理の本をよく買う。現在コレクションは2000冊ほど |
シェフはロックスター?
ロンドンに修業に来て3件目に勤めたのがボクの憧れのスターシェフのレストランでした。ある日、ボクが調理場で一生懸命なにか野菜をみじん切りにしているときボクの真正面に立ったんです。顔を上げると、それは紛れもなく、Marco Pierre Whiteその人でした。トレードマークのダークなカーリーヘア、意外と大きな人なので、そそり立つ、という威圧感でした。「お前、誰だ?」「ウォレンです」みたいなやりとりをしたかなあ、緊張しました。(笑)
そもそも、New MarketのAuckland Hotel & Chefs Training Schoolに入学した初日に、学校でMarco Pierre Whiteのビデオを見せられたのがキッカケでした。Marcoは本当にカッコ良くて、ロックスターみたいに女の子に騒がれて、「ああ、ボクもMarcoみたいな有名なシェフになりたい」と強く思ったんです。
ボクは17歳のときにMt. Albert Grammer Schoolを親に内緒で中退しました。3ヶ月ぐらいの間、朝起きて学校の制服を着、学校に行くフリをしながら、実際は家でTVを見たりしてブラブラしていました。自分がやりたいことが全くわからなかったし、学校は全然面白くなかった。それがオフクロに見つかって、「働きなさい!家を出て行きなさい!」という状況になりました。ありがたいことに、政府機関のTEC(Tertiary Education Commission)が教育レベルの低い若者に職業に直結した訓練をタダでさせてくれる、というシステムがあり、その中にAuckland Hotel & Chefs Training Schoolがありました。うちの家族は特に食べ物に興味があったわけでなく、普通のキウイの食生活でした。父が台所に立って料理をしているのを見たことがなかったので、ボクは料理は女の人の仕事だと思っていました。でも母が「料理はどう?」と言ったので、まあ、それなら自分にもできるかな、と思った程度で申し込んだんです。
それがいきなりMarcoでしょう? 学校はとても楽しくて、もっと勉強したくて、たちまちクラスで1番になりました。ボクが行ったコースは6ヶ月間、フルタイムでプラクティカルなシェフのスキルを学ぶもので、NZQAのNational Certificate in Cookerly level 2が取れます。
辛かったロンドンでの3年間で多くを学んだ。
コースを終えて、オークランドシティーのレストランCin Cinで働き始めました。1990年か1991年だったかな。Cin Cinが特に名高くて、とても人気があった時期でした。忙しいキッチンで一番下っ端からのスタート。毎日、毎日、サラダの野菜を洗うだけ、が数ヶ月間も続いたり、単調な繰り返しを手を抜くことなくきちんとこなすのはたいへんでした。でも、その頃にはもうしっかりと「Marcoのようなシェフになる」という夢がありましたから、一生懸命働きました。Cin Cinには3年ほどいました。
それから、Cin Cinで会った友人Josh Emett(Master Chef NZ審査員)と一緒にヨーロッパへ行きました。ロンドンでは最初にKensington Placeにあるレストランに勤め、それから St. Jamesにあるレストランを経て、Marco Pierre Whiteのレストラン、Criteriaで働きました。ロンドンのキッチンはどこも活気があって、刺激がたくさんあって、とても楽しかったです。でもロンドンの生活そのものはひどかった。重労働、長時間働いても賃金は低くて、フラットの家賃や物価は高くて。夜12時まで働いてへとへとになって、髪の毛が凍りつくような寒さの中を暗くて狭い部屋に帰って、シャワーを浴びようにも思うようにお湯が出ない、なのに、次の日はまた朝早くから仕事に行かなければならない、そんな毎日。何度も泣きたくなりました。辛かった。でも、その経験は今になって思うと一番良かった。ロンドンにいた3年間で学んだことはとても多かったのです。
自分のレストランを開店、ビジネスに乗り出す。
ロンドンを離れ次はシドニーへ。その当時にシドニーで一番だったレストラン、Bancのヘッドシェフとしてそのレストラン業界に入ったのです。1998年です。
その後、自分の店、AssietteをSurry Hillsに開店。7年前のことです。Assietteは、モダンなフランス料理のファインダイニング・レストランで、賞をいくつももらいました。
そして去年、ボクの料理をもっと多くの人に手軽に楽しんでもらおう、というコンセプトでカジュアルレストラン、District DiningをAssietteの近くに開店。それが開店以来、もう、それはそれはクレージー。大繁盛してます。
オークランドのDistrict Diningはニュージーランドのビジネスパートナーが話を持ってきました。ボクは年に4~5回、ニュージーランドに帰ってきていましたし、これからニュージーランドのレストラン業界は伸びる、と思っていた矢先だったのでちょうどいい機会でした。
今、「自然の良い素材を生かす」というのがトレンドになっています。だからDistrict Diningでもメニューはシンプル。たとえばファーマーズ・マーケットでいいラム肉を見つけたら、それをきちんと正しくローストして、美味しいポテトと一緒に供す。ほかには何もいらない。そんな料理がボクは食べたい。そして、多くの人がそうだと思います。
その上、そんな料理のスタイルはビジネスとしても効率が良い。手がかかるフランス料理のAssietteでは40人のお客さんに供するのに6人の腕利きシェフが必要ですが、District Diningなら6人で160人がまかなえる。だからこそ、お客さんに手軽な値段で料理を出すことができるし、たくさんの人に美味しい料理を楽しんでもらえます。
いろんな料理を食べて味の経験をして欲しい
シェフになるのはたいへんなことです。専門学校に行って、知識やテクニックを学び、資格を取ることはまず必要でしょう。それから、実際にいろいろな調理場で働いて、自分のスキルを磨き、経験を身につけていって欲しいです。何事にも柔軟で、何でも試してみる姿勢が大切だと思います。それから、いろんなレストランで実際に料理を食べて味の経験を積んで欲しいです。ボクは見習いだった頃からずっと、給料をもらったら、家賃など必要経費を払った後の残りのお金で、レストランに食事に行くようにしてきました。料理の世界は果てしなく、シェフになって20年以上たった今でも、新しい素材や料理に出会ってワクワクすることが多いです。
この記事を読んで、シェフになりたい方、シェフになるための留学をしたい方は下記のお問い合わせよりイーキューブのキャリアアップ留学センター「イースクエア」までご連絡ください。

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