海外移住を計画して2年前に夫婦でニュージーランドへ来た山本亨さん。選んだのはニュージーランドで資格を取ってシェフになる道だった。専門学校での1年半の訓練の後、シドニーの有名シェフがオークランドに開店したレストラン District Diningにオープニング スタッフとして就職。人気レストランのキッチンで働くまでに、どんな苦労があったのかを聞いた。
【Profile】
山本亨 Toru Yamamoto District Dining Chef de Partie
山本亨 やまもと とおる 1981年6月4日生まれ。奈良県出身。筑波大学卒業。大学2年のとき、休学してワーホリでニュージーランドに。ニュージーランドが気に入りいつか移住したいと決意。東京で営業職に就く。5年後、会社を退職。2010年オークランドに移住。NSIAで学ぶ傍ら、日本食レストラン、カフェでアルバイトを経験。卒業後、District Diningに就職し永住権を取得。
District Dining Britomart
50 Customs Street East Ph:+649 3685 315
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仕事だから、スピードと質が求められる。体力勝負のキッチン仕事。 |
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母が家庭科の先生だったので子供の頃から家で料理をしていた。 |
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忙しい時期は、朝から晩まで休みなく料理をし続けることもあるんだとか。 |
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休日は、時間を気にせずゆっくり料理をするのが自分の時間。 |
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ヘッドシェフ、Warren Turnbull氏と。 |
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キッチンの雰囲気は、体育会系だけど家族のような雰囲気。 |
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お客さんに満足してもらいたいという想いはみんな変わらない。 |
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脱サラ、いざニュージーランドへ!
僕は、東京にあるIT関係の会社で営業をしていました。自分の時間は1時間も持てない。当時付き合っていた彼女も忙しい生活で、一緒に住んでいるのに顔を合わせるのは1日に30分という生活でした。28歳の誕生日を迎えた時、「このまま30歳、40歳と年を重ねるよりは、思い切って生活を変えよう!」と決意したんです。転職の選択肢もありましたが、海外生活にも憧れがあったので、学生時代にワーホリに来たニュージーランドに本格的に移住することを考え始めました。最終的には、料理が好きだったこともあり、シェフの道を選びました。ニュージーランド行きをきっかけに彼女と結婚し、2010年1月に2人でオークランドに来ました。まず調理師専門学校NSIAのDeploma in International culinary arts Level 5コースに入学。僕は1年のコースではなく1年半程の長いほうのコースを選びましたが、これもその間に様々な経験ができたことを考えると、長期間学校に行って正解だったと感じます。
あっという間の学生時代。
入学時には英語での授業に対する心配もありましたが、調理実習はもちろんのこと、教室での理論的な授業も、それほど特に問題は感じませんでした。周りの英語のレベルも同じようなものだったので、みんなでワイワイ言いながらとても楽しく過ごしました。
本当に大変だったのは、毎日の生活でした。最初の三日間は本当に日本に帰ろうかと考えました。その後も、慣れないフラット暮らしと減っていく貯金のストレスで最初の3カ月で営業時代の無駄な肉が落ちて、スッキリできた位です。そんな状況だったので、学校が始まって早々にアルバイトを探し始めました。当初は英語に自信はなかったので、日本食レストランで働きました。忙しい店でしたがとてもいい店で、1年以上そこでお世話になりました。基本的な包丁の扱い方や、忙しい中で料理を作っていくということを実地で学ぶことができました。ただ、ぼんやりと洋食の道へ進みたいと思っていたこともあり、ある程度英語にも自信がついたので、現地のレストランでの就職先を探し始めました。学校の就職サービスを使って、カフェでシェフとしての仕事を見つけ、そちらに転職しました。地元のお客様ばかりの小さなカフェで普段はキッチンには自分一人。週末もせいぜい二人のシェフがキッチンに入るという環境でした。
もっと料理の勉強をしたい。
学校卒業を目前にして、幸運にもCulinary Fareという料理コンテストへの出場権を手にすることができました。テーマに沿った料理を考案し、制限時間の中で料理を作るのです。学校の先生がトレーナーになって、学校の授業ではやらないような実践的なことも含めて訓練を受けることができました。学校の授業、カフェの仕事、トレーニングと朝から晩まで毎日キッチンにいる状況で肉体的にはきつかったです。ただ僕は、元々料理は好きですし、新しいものを食べるのも好きだったので、この訓練はとても勉強になりました。「いい料理を作りたい」「新しい料理を作りたい」と上を目指している仲間に出会えたことが、何よりも大きかった。結果的にはコンテストでは僅差で優勝できませんでしたが、これをきっかけに自分の中で、永住権を取るためだけの就職ではなく、「料理人として、もっと料理を勉強したい」「技術を身につけたい」という想いが大きくなりました。
働いていたカフェでは、オーナーから「ヘッドシェフとして店を切り盛りしないか?」という話もありましたが、「3年後に料理人としてどれだけ技術が身に付くだろう?」という疑問もあってお断りし、コンテストが終わった後、転職活動を始めました。
人気レストランで腕を磨く。
たまたまSeekという求人サイトでDistrict Dining(以下DD)の求人広告を見つけました。オーナーシェフWarren氏の経歴や、彼がシドニーで経営するレストランの料理をみて、ここは面白そうだと直感しました。新規開店だったので、みんな一斉スタートであんまり経験がなくても何とかなるんじゃないか、という期待もありました。日本食レストランでの経験、カフェでの経験が認められて、就職が決まった時は、嬉しかったです。
この時、就職活動先としては、他にもホテルやレストランなどを10ほど受けました。ジョブオファーはDDの他に二つもらいましたが、条件面や料理のレベルなどからDDを選びました。Warren氏の知名度もあってか、店はオープンからずっと忙しく、決して楽ではありません。ただ、新しい料理にも積極的に挑戦していくので、学ぶことはたくさんあって、充実しています。
ここからが本当のスタート。
昨年末に、目標にしていた永住権がとれました。妻も巻き込んでの移住だったので、肩の荷は下りましたが、正直生活には何の変化もありません。ようやく暮らしていけるかなという目途が立ったくらいです。永住権はゴールではなく、ここからが本当のスタートなんだろうなと感じています。将来は、オーベルージュと呼ばれるような、気持のいい部屋と、おいしいご飯を提供するレストランを合わせたような形の宿を開きたいんです。自分が好きなものを中心に、日本人だからこそ作れる洋食を形にしていきたい。でも、そのためには学ぶべきこと、やるべきことはまだまだ沢山あります。妻と二人で目標に向けて、少しずつ歩んで行こうと思っています。
この記事を読んで、シェフになって永住権につなげる留学をしたいとお考えの方は、下記のお問い合わせよりイーキューブのキャリアアップ留学センター「イースクエア」までご連絡ください。

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