"TOMO" 美甘知輝 TOMOAKI MIKAMO Unique New Zealand Japanese Marketing Manager 「信じた道を行くこと。そこには、次の自分が待っている」 ~ アツく、クサく、そして、強く ~
大好きだという言葉「アツく、クサく、そして、強く」をそのまま地でいっているTOMOさんこと美甘知輝さん。子供のころから曲がったことが大嫌い、自分がこうだと決めた道を熱く突き進んで自分を成長させてきた。ニュージーランドに来て11年。語学学校ユニークNZでたくさんの学生に慕われ尊敬されるスタッフとして活躍中の彼が自身のこと、この1年の被災地支援活動、について熱く語った。
【Profile】 美甘知輝 みかもともあき 1966年1月1日生。 大阪出身。日本で大学を卒業後、大手旅行会社に営業職として12年間勤務。教育旅行、経済団体海外視察、国際交流事業、法人団体などを担当。その後、イベント会社、スキーリゾートでのマネージャー職を経て、2001年よりユニークNZへ。日本では、SAJスキー指導員、検定員の資格を有しボランティアでパラリンピック・スキー県代表選手の強化コーチを務める。また、PADIダイビングインストラクターとしても数々の資格を有する。趣味はサーフィン。半年前から国立マッセイ大学でパートタイムで就学中。 ←サーフィンのメッカ、Muriwai ビーチで。サーフィンは5年ほど前に始めた趣味。
自分をリセット、ゼロからのスタート 実は私、幼いころ、両親が大嫌いでした。父は大阪の繁華街でカフェ、レストランなど10店舗以上運営する会社を経営していました。だからほとんど家にいませんでした。母も多忙でした。私が中1のとき両親が離婚し、しばらくは祖母の元で暮らしました。祖母は私の世界一のサポーターでした。大学時代は、ほとんど奨学金とバイト代で4年間暮らし、大学卒業後、営業職として大手旅行会社に入社しました。私は外交的で、何にでも熱く一生懸命のめりこむタイプなので、きっと営業が向いていたんですね、入社早々から販売実績トップの仲間入りをしました。入社3年目かはチームもまかされ部下を持ったりして、ちょっと自信過剰になっていました。 バブルがはじけて、会社は「10年後の会社を考えるプロジェクト」を立ち上げました。私もそこで、新しいアイデアなどを提案しました。ところが、会社は私たちが提案したアイデアに「現実的じゃない」とすべてが否定からはじまるのです。この会社を変えるのには、自分が役員になるしかなく、数十年はかかると痛感しました。それを機に退社しました。34才の時でした。 34才の時、とにかく、「海外で働いてみたい」と思っていました。縁あって、35歳の時、現在の仕事でニュージーランドにくることになりました。ニュージーランドで永住権も取得し、この国で結婚し子供も2人生まれました。最初は、ほとんど何も知らずに来たニュージーランドも、今では、大好きな国になりました。
3つのターニングポイント ニュージーランドでの10年の間に大きなターニングポイントが3つありました。6年前に心臓の手術をうけたこと。父が亡くなったこと。そしてニュージーランドと日本の大地震。父が亡くなったとき。あれだけ大嫌いだったはずなのに、ボロボロ涙があふれて止まりませんでした。今は、両親にとても感謝しています。 昨年、仕事で滞在中、大聖堂のすぐ近くでニュージーランド地震にあいました。そして日本の地震では、多くの友人が被災しました。学生のみんなと一緒に、「今、自分にできること」を深く考えました。それ以来、「真っ赤なでっかいハート」をキャッチフレーズに、「TEAM UNIQUE」として、自分たちなりに被災地支援活動をスタートしました。あれから、1年。当初は日本赤十字社を通しておこなっていた募金活動も各県の団体への直接支援、そして、個々への支援へとスタイルが変わりつつあります。私たちにできること。とにかく、いつまでも忘れないことだと思います。ニュージーランドにいる日本人留学生のみんなには、CHCが一日でもはやく復興できるように「ニュージーランドの南島のすばらしさ」を日本の人たちへ、そして「日本のすばらしさ」をニュージーランドで出会う世界中の人々へ伝えてもらいたいと思います。また、留学生のみんなにできることは、今は、ニュージーランドで目の前のことを精一杯がんばり、いろんな経験を積んで、たくさんの人と向きあうことだと思います。将来、日本へ帰国した際に、その経験を生かして、日本の復興の一役を担えるようになって欲しいと思います。
まっすぐに人と向き合うことの大切さ 日本での会社員時代とスキー講習、ダイビング講習で本当にたくさんのみなさんと出会う機会を与えていただきました。また、ユニークNZでの11年でこれまで出会った学生の方は3000名を超えます。特に留学生のみんなと向き合うことで、これまでたくさんのことを教わりました。自分がみんなの背中を押すときにかける言葉は、ホント、自分へのメッセージなんです。みんなの「真っ赤なでっかいハート」に触れていくうちに自分のハートもみんなにどんどん大きくしてもらえたように思います。
10年後の自分をイメージ。10年後の自分は世界を飛び回っている。 何事も、「アツく、クサく、そして、強く」。私は、ずっとそうやって生きていきたいと思います。とにかく、信じた道を前に前に突き進む。言い訳しないで、逃げ道作らないで。そして、最後までこだわり続ければ、必ず、ゴールには、まだ見たことのない素敵な景色が広がっていると、私は信じています。また、そこにはかならず手を差し伸べてくれる友人、先輩、家族、仲間が居るはずです。 35歳のとき「海外で働いていたい」と思い描いていたように、10年後の今、自分は海外で働いています。次の10年後の私は世界を飛び回り世界中の人々と笑いながら仕事やプライベートの時間を共有していたい。すべての物事にRESPECTの気持ちを忘れずに、常に、自分にしかできないことを実行していきたいと思います。 今、世界中で、「夢」や「情熱」をもてない若者が増えているといわれています。そんな時代だからこそ、次の世代の日本や世界を背負って立つ子供たちに伝えられることは何か? 次の10年は、私が世界のどこにいるとしても、若い人や子供たちのための重要な役割を担うキーパーソンになりたいと思います。自分と同じ親の世代の方々とも一緒に学びながら。
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