どんな体型でもプレイでき、あらゆるスポーツの動作を使い、“One for All, All for One”という精神が大切とされるラグビー。その魅力に取り付かれた人々が一度は訪れたいと思う国、それはニュージーランドなのだろう。これまでの約10年間、日本でラグビーを愛し続けてきた西村さおりさんもその1人。オーペアとして、ラグビーが生活の一部であるキウィの家庭に溶け込んできた彼女に、この1年間この国で得たさまざまな経験と思い出を伺ってみた。
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【Profile】
1983年2月3日生まれ。滋賀県出身。県立石山高校卒業後、京都女子大学へ進学。在学中に京都大学ラグビー部にマネージャーとして4年間所属。その後、大津市立志賀小学校の教員として2年間働く。高校生の頃からずっと憧れ続けていたラグビー浸けの生活を求め、2007年ワーキングホリデーを利用してニュージーランドへ。語学学校卒業後、一般家庭でのラグビー事情を知るためオーペアを始める。これまでホームステイとオーペアを合わせ、キウィの4家庭で生活。残り少ないニュージーランド滞在は旅行で締めくくる予定。 |
“ラグビー”な日常を求めオーペアへ
私がニュージーランドに来ることになったのは、ラグビーが根源にあります。私をここまで導き、このようにいろんな人と出会い、いろんな経験を出来たのも、全てラグビーのおかげなのです。
高校に入学して間もない頃、たまたま見学に行った野球部の横で、泥だらけで体をぶつかり合わせている男の子たちがいました。もちろんこれは後から知ればタックルの練習だったのですが、彼らはみな無心のようで熱くひたすらその行為を続けていて「一体何のために?これは何なのだ?」と強い衝撃を受けたんです。これがラグビーとの初めての出会いでした。そしてすぐにマネージャーとしてラグビー部の扉を叩いたのです。
以降、高校と大学合わせて7年間マネージャーを続け、そして大学卒業後は小学校の教員となりました。教職についてからは、The Antsという、ちびっ子ラグビークラブのスタッフをしていましたが、それでもラグビーに触れる機会がめっきり減ってしまっていたためか、いつしか“ラグビー浸けの日々を送る”という夢が芽生えて始めていました。それとは別に、私は9才の頃から英語を習っていて、小学生の頃の文集には“大きくなったら英語の先生か、外国に別荘をもつ”という将来の夢を描いていたほど、海外への強い憧れもありました。
この頃には、経済的にも自立していたので、この夢は実現させなければと決意を固めました。そして、さっそくオーペアの斡旋を行っている『ピュアホリデー』の小沢康子さんに連絡を取ったのです。なぜオーペアかというと、一般家庭に住み込んで家事等のお手伝いをする分、自分の生活費はかかりませんし、何といってもニュージーランドの一般でのラグビー事情を知ることができると考えたからでした。
オーペアでニュージーランドの生活に密着
初めてのオーペア先のお父さんはカウンティーズの強豪チームの元選手で、さっそくこんな家庭に入れるなんて何とラッキーなのだろうと思いました。しかし実際のところ、滞在中6週間の間に家族の引っ越しが2回もあったことや、休む暇もなく毎日働き詰めだったこともあり、本当に疲れきっていました。それでも「ラグビーのため」と、いつも自分に言い聞かせ、どんなに辛くとも続けようと心身に無理強いをしていたのです。
結局その家からは出ることになり、今の家が決まるまでの1週間、康子さんのお宅に宿泊させてもらいました。そのある日の夜、屋外のスパに入っていたら突然大きな流れ星が現れました。それは、これまで疲労困ぱいしていた私にとっての希望の光に見えたのでした。
それから、幸運なことに私が希望していた以上の条件を出してくれる家庭が現れ始め、最終的にラグビーに触れられることを期待し男の子が2人いる家庭を選びました。私はニュージーランドに着いて以来、ホームステイを含め4つの家庭で生活してきたのですが、偶然にも全て男の子が2人いる家庭だったんです。やはり思っていた通り、キウィの男の子たちにとってラグビーは日常生活の一部であり、時には私も一緒にプレイしました。以前、この家の子ども達と一緒に、この家の近所にある康子さんのお宅に行き、ここでもやはりラグビーを楽しみました。康子さんの男の子2人と、うちの男の子2人と、私の5人で。本当に楽しかったです。日本では考えられない、私にとっては夢のような光景でした。
平日は、毎朝7時前には起きて、前日のディナーの食器の片付けや朝食の準備を行います。その後、子供たちを学校に車で送っていきます。それからは家事等を済ませ、午後3時前には子供たちを学校に迎えに行くので、それまでにアフタヌーンティーの準備をします。そして、子供たちと一緒におやつを食べながら学校の話を聞いたりします。それが終わると夕食の準備がはじまり、食事の後の片付け等すべて終えて一日の仕事が終わります。
この現在のMcCullough(以下、マカラック)家は、私をオーペアとして一線を引かず、本当に家族の一員として受け入れてくれ、家族の行事などにも一緒に連れて行ってくれるんです。ここでは生活がとても楽しくて、仕事を苦に感じたことはほとんどありません。この家族の人柄に触れていると、大変な事でもたいした事ではないように感じるのです。私はお父さんを「Daddy」、お母さんを「Mum」と呼び、おじいちゃん、おばあちゃんのことも、それぞれNana、Popと呼んでいます。子供たちは私を兄弟だと思ってくれています。だから、彼らとは時々ケンカもしますが、すぐに仲直りします。今までは、子どもに何か言われても言い返せないことにストレスを感じていたのですが、今はそういったことはありません。家族として、言い合って、すっきりして、お互いストレスためないようにしています。
愛情深い家族との心の交わり
この家に来るまでは週末は必ず友達に会いに外出をしていましたが、今は家族と過ごす時間が増え、それによって互いの絆が深まりました。英語も知らないうちに上達しました。
こんな素敵な家族に出会え、私は今とても幸せです。7ヶ月間暮らしたこのマカラック家では、家族の時間がどれだけ大切かということ、お父さんとお母さん2人で子どもを育てるということ、たくさんあって挙げたらキリがありませんが、いろいろなことを学びました。
お母さんのKaren(カレン)は、家族全員がHappyでいられるようにといつも考えているんです。全員に幸せがなければ、自分に幸せはない、と。このことはとても勉強になりました。Mumと私は、母と娘。しかし、だんだん別れの日が近づくにつれ、ベストメイトになっていきました。趣味も味覚も好みも合い、服を買った時などはいつも二人でファッションショーになります。今までずっとラグビーばかりの泥臭い環境に居ましたし、そういった場所の方が楽だと思っていたのですが、この家に来て女性としての身だしなみに対する意識が上がりました。パドックに入って牛や馬の糞を踏むこともあれば、きちんとした格好をしてお出掛けすることもあります。家族皆、子供たちも含め、オンとオフの切り替えがとても上手です。2月3日は私の誕生日で、先日家族はパーティーを開いてくれました。
この日、家族での外食はいつも5人乗りの車で出かけるのに、なぜか7人乗りの4WDの車を使ったので不思議に思ったのですが、レストランに到着後お父さんが「ワイン買ってくる」と言って、また席を立ちました。数十分後、お父さんが戻ってきたら、なんとお父さんと一緒に私の親友2人が立っていたのです。お父さんは、彼女たちを待ち合わせ場所から連れてきたのでした。実はお母さんが私に内緒で、事前に康子さんに連絡し、さおりの誕生日パーティーにさおりのお友達を呼びたいって言ってくれていたのだそうです。予想も出来ないサプライズパーティー。そして、そのサプライズは終わりではなく、その後には、なんとオールブラックスの軽く暖かいオフィシャルジャケットのプレゼント。サイズもぴったりでした。
「さおりといえばラグビーでしょ。さおりは荷物が多いから、軽いものを選んだのよ。南国から寒い日本に帰るのだから、風邪をひかないでね」と。家族や友達の暖かさに包まれ、涙に暮れた週末でした。
次の夢を叶えるために
この国で「ラグビーが大好き!」と言うと、多くの人がハグしてくれたり、「Good girl!」と言って歓迎してくれます。夢にまで見たラグビー浸けの生活は、今まさに終わろうとしています。日本で今と同じような生活を送るのは難しいでしょう。ラグビーは知名度がまだ低いですし、充分な設備(グランド、芝生など)が整った場所もそうありません。このような現状の中、少しでも私が日本ラグビーの力になれないかなと思っているのです。
日本に帰ったらまた教壇に戻り、私がニュージーランドで体験してきた事全てを、私の帰りを待ってくれている子供たちに伝えます。将来、その子たちの中からラグビー選手が輩出されたり、オーペアとして海外で生活する子がでてきたりしたら、こんな嬉しいことはないでしょう。
次の近い将来の夢は、ちびっ子ラグビークラブ The Antsの子供たちをニュージーランドへ連れてきて、そして私が現地コーディネーターをすること。
ラグビーボールはまっすぐには転びません。イレギュラーだからおもしろい。自分の人生もまっすぐじゃつまらないし、ラグビーボールのようにいろんなところに転がりながら、いろんな人と出会い、いろんな経験を重ねたい。この先も、夢はずっと持ち続け、そして叶うまで追い続けます。
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