Vol.5 Career up in NZ ニュージーランドへガーデニング留学、造園設計士に |
90年に旅行ではじめて来たニュージーランド。そのときに見た花に魅了されてガーデニング留学をする。その後、ランドスケープデザイナー(造園設計士)としてオークランドで働くことになる。オークランド・ドメインの桜、ワイタケレ市の日本庭園などのビッグプロジェクトを手がける。
「東京で仕事をするのは窮屈でした、時間も空間も。それで外に出てみようと思ったのです」 日本では造園設計事務所に勤務。都市計画、屋上庭園設計などをこなし、90年の大阪花の万博出展に伴う植栽設計や環状7号線の緑化計画などのビッグプロジェクトにも携わる。またフローリスト、フラワーアレンジメントなどの仕事も経験。そんな多忙な日本での生活にピリオドを打ったのは94年のことであった。 「当時、務めていた会社に世界の植物園のデータが載っている本がありました。それには名前、設立年、面積、職員数、植物の種類など詳しく掲載されおり、それを見ながら最も設立の古いダニーデンの植物園がいいなあ、なんて思ったのでそこのマネージャーに働くことができるのか?研修はできるか?という内容の手紙を書いたのです。そうしたらちゃんと答えが返ってきたのです。でもそれには『この植物園では研修プログラムはないが、ポリテックには園芸コースがあるのでそちらの門をたたいてみたらどうでしょう』という内容でした。見ず知らずの外国人の私の手紙に丁寧に答えてくれたマネージャーの返事に暖かいものを感じて、ますますニュージーランドで園芸を学びたくなり、早速ポリテクの資料を取り寄せました」 94年02月ダニーデンのオタゴ・ポリテクニックの園芸コースに入学する。同コースでは初の日本人学生となった。
「私は読んで訳すという学校の授業が嫌いだったので、中学、高校と英語にはあまり興味がありませんでした。ですからこちらに来てからの授業は大変でした。午後に行われる剪定、挿し木、接木、などのフィールドワークは日本と変わりがないのであまり苦になりませんでしたが午前中の講義が苦労しました。授業をすべてテープに録音して帰ってから聞き返すという毎日で、それでも訛りがあって聞きとりにくく、同居していたキウイの友人に助けてもらい、復習をしていました。
その他の基礎的なことは恵泉学園短期大学の園芸生活学科時代に学んだことが生きたと言う。
94年12月のポリテク卒業後、帰国。ニュージーランドで働きたいという思いが強くあったため、実際に現地に行って直接交渉するしかないと翌年7月に再び入国。
8月下旬、受け入れてくれる事務所が見つかった。しかしそこでは名前を入れてもらうだけで給料はなし。自分の仕事は自分でみつけるという条件つきでの所属であった。
「1年くらいかけての大きなプロジェクトでした。日当たり、風通し、土壌を踏まえた植樹場所の選定、デザインの仕事でした。なかでも、もっとも気にしたことは雰囲気でした。そのために園路やベンチの設置も行い、公園と桜が違和感なく融合できるようにしたのです」 その後はワイタケレ市の日本庭園の造園時のコーディネイトにも携わる。そして現在はフリーランスの造園設計士として7年来チームを組んできたキウイの職人と一緒に庭の管理の仕事を中心に活動している。
「年間を通して管理を任されているお庭があるのですがそこでは作業と植栽設計と同時進行です。剪定や下草取りはもちろんのこと、この木は、この花はどのタイミングで切るのか、その後にはそこにどんなものを植えるのか。紙面の上だけでなく実際に土や植物に触れるからこそ出てくるアイディアもあります。
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