Vol.77 Career up in NZ ニュージーランド留学、そしてシェフに |
7年前ご両親とともにヨットで日本を離れ 、ニュージーランドへ上陸した鈴木一哉さん。シェフの道を歩むきっかけとなったのは、ボート生活で得た経験、人との出会いが非常に大きかったと言う。現在、One Tree Grillでセカンドシェフとして活躍されている一哉さんに、これまでの道のりとシェフの仕事、そして将来の夢について語っていただいた。
1年半の船旅 ![]()
獣医をしていた父は、趣味がヨットで週末にはよく三河湾近辺をクルージングに、サーフィン、スノーケリングに連れていってくれました。その趣味が高じて、僕が高校1年生のときに、両親はニュージーランドへの移住と僕の留学のために、ヨットで日本を離れて、1年半の船旅に出発することになりました。 上陸後の生活とOne Tree Grillのセカンドシェフへ ![]() ニュージーランドに到着した後は、ワイヘキハイスクールへ2年通いました。ハイスクールでは、学習やクラブ活動や趣味のサーフィンを通じて、英語には次第に慣れていきました。もともとは、船旅の経験から僕はボードビルダーになりたいと思っていたのですが、ワイヘキの友人の誘いがあり、キッチンハンドやディッシュウォッシュのアルバイトをするうちに、料理を作ることの楽しさを知りました。それで、シェフを目指してAUTのクッキングコースに入学して、3年半かけて最終的にホスピタリティーマネージメントコースまで履修しました。AUTでは、 素材の切り方など、フレンチと英国流の基本をしっかりと教えられました。そこでは、10代から30代まで様々な経歴を持った仲間とのクラス以外でのチームワークや交流がとても楽しかったです。 僕の場合、One Tree Grillのセカンドシェフになれたことは、苦労したとは思っていません。自分の好きなことを楽しみながら納得するまでして来た結果です。周りの人に支えられ、とても幸運だったと思っています。AUTコース履修後は、他のレストランで皿洗いのアルバイトをしたり、キッチンハンドをしたりしていたのですが、そこでの働きを認めてくれた人が、僕をこのレストランに引っ張ってくださり、1年前にバイトからはじめ、夏場のかき入れ時にはフルタイム、そして半年前からはセカンドシェフになることができました。 セカンドシェフである事は、自分が作りたいもの、やりたいことを納得がいくまでやらせてもらえていることと、周りの人から学べると言う点でとても恵まれていると感じています。スタッフは、日本人のヘッドシェフの他、マオリ、ドイツ、サモア、フィジー、トンガ、キウィのシェフ、ソムリエのフランス、アメリカ人ととてもインターナショナルな環境です。彼らが、シーズンのものや流行、彼らの母国の料理法や食材など、いろんなことを教えてくれます。それで僕が自分流に作ってみて意見を求めることができ、自分で繰り返し納得がいくまで作ってみて、一つの料理が出来上がる過程がとても楽しいです。メニューに上がる一品を作るまで、料理のクオリティをコントロールすること、コスト面、作りやすさの面にいたるまで、どこにも手抜きができない。一品一品何回も作り直し、オーナー、マネジャー、ヘッド、セカンドシェフの誰からも認められるまで徹底して一品を仕上げます。こうして苦労の末、秋メニューでは、デザートを入れて3品を秋のメニューにのせることができました。シーズンメニューの他に、通常メニューを夏と冬二回更新しますが、その時には、営業時間後にワインを飲みながら、シェフ全員で話し合いを持って、新たなメニューを同様に何度も試行錯誤を繰り返しながら作り込んでいきます。この国際的な職場環境で、経験豊富なシェフたち、マネジャー、ソムリエたちからは吸収することばかりで、本当に周りの人たちに恵まれて、とてもラッキーだと思っています。 お客さんからのお褒めの言葉を、ウェイターを通じてもらうことはとてもシェフとして嬉しいことです。とくに、お客さん自らわざわざキッチンまできて、ほめてもらえたとき、また常連のお客さんから特別にメニューをリクエストしてもらえ、また喜んでいただけたときなどは、シェフ冥利に尽きる瞬間です。 プロの味とおふくろの味、そして自分の味 ![]() 僕が、AUTの卒業時に作ったコース料理は、今振り返ると季節感のない素材であったり、前菜、メイン、デザートのバランスが悪かったり、素人のものでしたが、それでもそこに僕の料理の原型があったと思います。前菜は、冷たいポテトスープ、メインは鯛を炒り米の粉のクラスターで包み焼きにし、付け添えにうどんの天ぷらのワサビバターソース和えというものでした。日本人としての食材にワサビ、わかめ、そばを使うなど、どこかで日本人として記憶をたどりながら、メニューを作ることがあります。 その源泉をたどると母親の料理があることに気付きます。それでも、母親の料理と同じように焼豚を自分で作ってみても、母親の味とはどこか違う。どんなに似せて作ろうとしても自分の味になる。この違いはどこからくるかというと『経験』だと思います。母親や祖母の料理は、こちらのおかあさんやおばあさんがジャムやマフィンを10年、20年と作り続けてきた末のレシピではない、『勘』と『タイミング』という経験が作り出す味なんだと。それが、『家庭の味』の『親しみ』だと。 でも、僕がシェフとして追求するのは『プロ』としての自分の味で『家庭の味』とは、一線を画するものでなくてはならないと思っています。レストランで一番言われてはいけないことは、「これは家で作れる味」とお客さんに思われてしまうことです。レストランならではの、手間のかかった味、スーパーで買えない材料、野菜、ニュージーランドの珍しい新しい『プロの味』を仕込み準備段階から徹底的に追求する、という厳しいプロとしての意識と誇りをスタッフの全員がもって働いています。 シェフとしての最終理想型-自然体 ![]() 最終目標は、小さなレストランを持つことです。セイリングボートのチャーターをして、お客さんを自分で連れて来て、直接お客さんに自分が作った食事を出して、一緒に食べたり、ワインを飲んだりをごく自然に楽しむことです。 今もレストランのマネジャーとプライベートファンクションといって、10人くらいのお客さんに直接食事を出し、料理の説明し、お客さんからの食事の感想をいただくという貴重な経験を積ませていただくことがあります。普段シェフはレストランの裏方なので、そのようにお客さんの反応を直接知る機会がありませんから。マネジャーは、お客さんにその日の料理について説明する時点で、すでにお客さんへの料理のサービングが始まっているような錯覚さえおこさせる話術で、おもてなしを始めます。さらに料理の修行をして腕を磨いて、 僕もいつかあのようなサービスをできるようにしたいと思っています。 そのためにも学ぶことに対して、いつもハングリーでありたいと思っています。『誰よりも上手く作りたい』という気持ちはもちろんありますが、それがむき出しでは、他のシェフや仲間との調和という面で問題がありますし、人から学ぶ姿勢も失われてしまいます。レストランで『良いものを作るには、良い環境』と良く言われます。他を認めることが同時に大切で、他の人の優れた点、技術を素直に認めてそこから学ぼうとする姿勢が大事だと思っています。ただ『上に行きたい』のではなく、外からいろいろなものを吸収して次へのステップアップにつなげようとする謙虚な自然体の姿勢と、『誰よりも上手に』というハングリー精神とのバランス感覚を大切にしていきたいと思っています。 シェフ・調理師になるための留学をしたい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいという方は、イーキューブ留学セクション「イースクエア」までお問い合わせ下さい。 |