ラグビーとモデルとジャーナリズム
オールブラックスの女性版、つまり、女子ラグビーのニュージーランド代表チームはブラック・ファーンズと呼ばれる。その中でひときわ目を引くプレーヤーがいた。理由はプレーはもちろんの事、元ミス・カンタベリーというその美貌からだ。ラグビーでは攻守の要で最もタックルを必要とされるオープンサイド・フランカーというポジションをモデルで元ミス・カンタベリーが務めていたという事は多くの人が驚く事実だ。顔にすり傷、手足にあざを作るのもいとわない意気込みが必要とされるラグビーの世界と華やかなモデルの世界はまったく相反するところにあるが、その両方の世界で生きていた。
現在はラグビージャーナリストとして、インターネットXtra(エクストラ)のウェブサイトとスカイテレビでラグビーコメンテーターを勤めている。
ラグビープレーヤーとしての運動能力とモデルの容姿に加え、神様が与えた三つ目の才能、ジャーナリストとしての頭脳が大きく開花するのはもうすぐだ。
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1973年5月25日、ニュープリマス生まれ、クライストチャーチ育ち。15歳よりモデルを始め、18歳でミス・カンタベリーに選ばれる。オタゴ大学で体育学を専攻するかたわら、ラグビーを始める。1996年のカナダ戦で初代表。今年のワールドカップを最後にブラック・ファーンズからは引退したが、未だに所属するカレッジ・ライフルズ・ラグビークラブでは週4回の練習に汗を流す。175センチ、70キロ。スカイテレビのスカイ・スポーツ・ワンでスーパー12と国内選手権のNPCでコメンテーターを勤める。ラグビーのコメントを掲載するXtraのウェブアドレスは
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女性とラグビー
ラグビーをプレーする女性というと、男性のラグビーのイメージから、身体が大きく筋肉質で、荒っぽいという感覚を抱きがちだが、それは偏見という事にすぐ気づかされる。
オタゴ大学に入学した直後、1992年にラグビーを始めました。初めてプレーしたチームはオタゴ大学クラブのBチームでした。その当時、オタゴ地方ではすでに女子のラグビーチームが12チーム存在していました。しかしながら、その当時は女子ラグビーには偏見が伴いました。身体が大きく、筋肉質で、太い腿で、荒く、bitchな性格の女性がするものと思われていたんです。でもそれは事実ではありません。チャーミングな人がたくさんいるのがわかると思います。
私は父親の影響でラグビーがいつも身近にありましたので、偏見もなく自然にラグビーに入り込めました。それまでにはバスケットボール、バレーボール、陸上競技などをやっていました。これらのスポーツの経験がラグビーで役に立ちました。格闘技などを除いて、女性がコンタクトのスポーツをする事はなかったので、ラグビーは女性のスポーツ史上初めてのコンタクトスポーツになります。私にとってはラグビーを始める前はバスケットボールが、ぶつかり合うコンタクトの要素のあるスポーツだったのですが、ラグビーのようにタックルする事で、相手チームを体力的にねじ伏せる事ができるスポーツはプレーしていて非常に気持ちのいいものです。
私がラグビーを始めた10年前にはラグビーが国技のニュージーランドでさえ、女性のラグビーが今のように注目される事は考えられませんでした。今ではニュージーランドで最も競技人口が増えているスポーツとなり、オールブラックスの前座試合でプレーしたりして、ラグビーファンに対して女子もラグビーが出来る事をアピールしました。1999年には女子の国内選手権が始まり、1部リーグには10チーム、2部リーグには8チームが参加し、国を挙げて優れたプレーヤーの発掘システムが完成され、代表チームを組織する事が出来るようになりました。
ラグビー選手とモデル
怪我が絶えないラグビー選手ときらびやかな世界のモデル。まったく相反する世界でありながら、一人の女性がその両方で活躍したのは嘘のようで本当の事だ。
私は15歳でモデルの仕事を始めました。そして、オタゴ大学1年の1991年にミス・カンタベリーに選ばれました。モデルは広告、ファッションショーが主な仕事でした。10代の女の子にしてみれば、いいお金がもらえ、いろんな人と出会える、なかなか出来ない経験でしたので、楽しかった事を思い出します。でも、こんな事がありました。量販店ファーマーズの下着ファッションショーで、前日のラグビーの試合で作ったあざをカバーし、ひねってしまった指をテープで固めてステージの上でキャットウォークをしようと思っていたその時に、モデル事務所の人が飛んで来て、いきなり痛い指のテープをはがしてしまったのです。私はこの時にもうモデルの仕事はやらないと心に決めました。
そもそも、大学に入学して社会学とスポーツ史を専攻しているうちに、自分の興味はモデルの世界からラグビーとメディアの世界に移っていきました。モデルはあくまでもモデルであって、本当の自分を表現しているわけではないという事に気づいたのです。しっかり勉強して、頭や言葉を使って自分の考えを表現したいと思うようになりました。そんな思いがますます強くなり、大学卒業後にウエリントンにあるSchool of Journalismに入学し、政治、経済、女性問題など社会の仕組みを勉強しました。
ブラック・ファーンズ
ジャーナリズムの勉強のかたわら、ラグビーはプレーし続けた。プレーして4年後にはニュージーランド代表チーム、ブラック・ファーンズに選ばれた。
父親もラグビーをやっていましたので、ラグビーは血筋なのかもしれません。私の1/4はマオリの血が流れています。オタゴでプレーし始めた当時はウイングを、次にフルバックに転向しました。当時のコーチからオープンサイドフランカーに転向するように勧められてから、ますますラグビーにはまりました。フランカーというとフォワードですから、体が大きくなければいけないと言われていたのですが、小さくても足が早く、タックルのいいプレーヤーが出来るポジションなのです。
女子ラグビーにもワールドカップがあるのを知っていましたか?第1回は1991年にウェールズで開かれました。ニュージーランドは特に選手のセレクションをせず、希望者を募りチームを作りました。準決勝でアメリカに負けました。第2回は1994年にアムステルダムで開かれましたが、ニュージーランドラグビー協会が女子ラグビーは国際的にまだ認められていないという立場を取っていた為に参加できませんでした。
このあと、私は1996年のカナダ戦で初めて代表に選ばれました。第3回は私が初めて参加したワールドカップで、1998年に再びアムステルダムで開かれました。この大会からニュージーランドラグビー協会が正式に監督を指名し、国際舞台に派遣する形を取りました。決勝でアメリカに勝ち、初優勝しました。この頃から、女子の代表チームはブラック・ファーンズという名前を使い始めました。それまでは非公式に「ギャル・ブラックス」と呼ばれていました。そして第4回は今年スペインのバルセロナで開かれ、決勝でイングランドに勝ちタイトルを防衛しました。この試合はチャンネル・ワンでは午前3時に生中継されました。
ブラック・ファーンズとは言ってもオールブラックスと違ってアマチュアです。98年のワールドカップでは一日たった30ドル、今年のワールドカップではやっと1日100ドルを受け取るまでになりました。選手はみんな仕事を持っています。合宿に入ってしまうと仕事が出来なくなってしまうのですが、遠征時ばかりではなく、合宿の時でもお金がもらえるようになった事は大変ラッキーです。とは言っても私達はラグビーが好きでやっているわけで、お金がもらえるのはプラスアルファに過ぎません。
女性のラグビーコメンテーター
ラグビーは男性のスポーツ。女性がコメントする事についての強い批判があるのは事実。
現在、私はラジオのMai FMで朝5時45分から9時まで時事ニュースとスポーツニュースを読んでいます。その後、午後2時から6時までインターネットXtraのウェブサイトで広告、デザイン、原稿を統括するプロデューサーとして仕事をしています。私は「SportGirl」という名前で「What would a woman know about rugby?」(女性がいったいラグビーについて何を知っているの?)というサブタイトルでひと月にほぼ2回のラグビーコラムを掲載しています。
タイトルは女性の立場からのラグビーという視点から付けられたものなのですが、女性がいったいラグビーについて何を知っているの?実は何も知らないじゃないのと思わせておきながら、硬派な内容で、女性でもちゃんとラグビーをコメントできる事をアピールするねらいがあります。さらに、スカイテレビではスーパー12やNPCと呼ばれる国内選手権のコメンテーターをしています。
おそらく私は世界で初めての女性ラグビーコメンテーターではないかと思います。男のスポーツであるラグビーに対して女に何がわかると言う批判があるのは知っています。しかし、アメリカではNFLやNBAでも女性のコメンテーターが活躍しているのですから、女性である事で男性のスポーツにコメントが出来ないという理由にはならないと思います。 スカイでは楽しく、厳しい仕事をしています。好きなラグビーを仕事としている反面、選手の名前の発音、プレースタイルなど番組の前にかなりの下調べをしておかなければいけません。これはいい経験になっていると思います。この仕事をやって分かった事ですが、ラグビーはスカイテレビの生中継を家で観るのが一番だと思います。寒くありませんし、好きなものを食べながら、試合にのめり込んで観られるわけですから。
トッププレーヤーの経験とジャーナリストの経験のバランス
スポーツジャーナリストにはトップレベルでのプレーの経験が必要かどうかという話題は自分が女性であるだけに常に頭の中を駆け巡っている。
トップレベルでのプレーの経験はないよりもあった方がいいに決っています。選手がどんな気持ちでいるかはそれを経験した人でなければわからないからです。しかし、それがすべてではありません。トッププレーヤーだった人もコメンテーターになれば、ジャーナリストとしての経験が必要となるからです。私はブラック・ファーンズとして女子ラグビーでトップレベルでのプレーを経験しましたが、結局私がコメントしてるのは男性のラグビーで私自身がトップレベルでプレーしたわけではありません。
ラグビー界にはすばらしいコメンテーターが何人もいます。そんな人達はトップレベルでのプレーの経験者と言うよりも、むしろ、すばらしいジャーナリストなのです。たとえば、チャンネル・ワンのキース・クインやスカイテレビのトニー・ジョンソンはオールブラックスではありませんが一流のラグビーコメンテーターとして成功しています。もちろん、トップレベルのプレーヤーが一流のコメンテーターになったという例もあります。つまり、これはラグビーに対する経験と知識とのバランスが大切という事なのです。
今の私にとってはジャーナリストの経験を積む事、それが私が目標とするキース・クインに近付く事なのです。私がメディアに出る事で女子ラグビーがさらに注目を浴びるようになれば本望です。
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