Vol.80 時代を飾るキウイ ニュージーランドのモデルエージェント |
映画撮影やテレビコマーシャル撮影が年々増えているニュージーランド。世界各国からロケクルーが集まって来るため、フィルムプロダクションは息をつく暇がない。たとえば、去年の10月から今年の4月の間にオークランドエリアだけでも3つもの映画のクルーが入ってきている。「たった3つ?」とはいえ、そのバジェットは2億ニュージーランド・ドルにもなる。今やこの国にとって、景気の牽引車的な産業となりつつある。そんなフィルム業界の一翼を担っているのがモデルやタレントのエージェンシーである。かつてアメリカズカップがもたらした好景気で大きく進化したレストラン業界のように、モデル業界も今まさに変化のときである。 red eleven talent managementのアマンダは自身がこれまで携わってきた経験から、ニュージーランドの多くのエージェンシーがこれまで行ってきたような、今キレイな、カワイイ、カッコいい子を所属させるどこにでもある普通のエージェンシーではなく、これからキレイになり、カワイくなり、カッコよくなる子を「見つけ出し、育てる」モデルエージェンシーを目指している。
アマンダがマネージメントを手がけている「red eleven」が設立されたのは2005年7月。スタッフは3人、所属モデルがたった一人というスタートであった。その後、ほんの3年で、抱えるモデル数が約750人と国内でも屈指のモデルエージェンシーに成長した。 ![]() ![]()
「私が撮影の業界に初めて足を踏み入れたのは17才のときで、モデルからのスタートでした。誕生日のプレゼントに祖母が10週間のモデル研修というコースの申し込みをしてきてくれたのです。コース終了後、偶然知り合ったディレクターに薦められて受けたオーディションに合格、テレビコマーシャルの仕事が決まったのです。撮影は一日、そのとき私の手元に来たのは5000ドルでした。1980年代での価値ですし、高校生がそんな額のお金を手にしたら舞い上がらないわけがありません。そのまま本格的にモデルをしようとエージェントに所属したのです。ところが、最初の仕事は特別なものでした。毎回、毎回、そんな割のいい仕事があるわけではありません。雑誌、チラシ、パンフレットなどいろいろな仕事をこなしながら約5年間続けました。 制作会社ではプロダクションコーディネイターというポジションに就いたアマンダ。一つの撮影が行われるとき、それがたとえ小さな規模のものでも多くのコトやモノの手配が必要になってくる。プロダクションコーディネイターとは、仕事の最前線であり、実際に受話器を手に取り電話をかけネゴシエート、ファックスの文面を考え送信ボタンを押す、まさに実働部隊であった。
「忙しい毎日でした。私が所属していたプロダクションは『K-Mart』とか『The Warehouse』といった大手の量販店をクライアントに持っていましたので制作されるコマーシャルの数もかなりのものですし、それらが重なることも多々あり、頭の中は常にゴチャゴチャになっていました。 出産前の私の経歴は仕事を得るのには十分に役に立ちました。すぐに大手のエージェンシーに採用され、モデルのマネージメントの仕事を始めることができたのです。そして3つの事務所を渡り、いよいよ自分のモデルエージェンシーを立ち上げることになったのです」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 世界の中でもニュージーランドは起業がしやすい国であると言われている。しかし、その反面、続けるためには時として、血の滲むような努力が必要となることもあり、アマンダが選んだモデル業界も例外ではない。今まで携わってきただけに、新しいエージェンシーを立ち上げたところで、成功できるかどうかはわからないことは本人が一番よく理解していた。
「エージェンシーに勤めていたときに仲間3人で自分たちの会社を立ち上げようという話がでてきました。もちろん、自分がこれまで培ってきたものを思うとおりに発揮してみたいという希望はありましたが、すでに多くのエージェンシーが存在しているうえ、人と人とのつながりが強い業界ですので、簡単ではないという思いもありました。しかし、毎晩、考えれば考えるほど、自分のエージェントを持ちたいという気持ちを抑えることはできず、思い切って独立したのです。 モデルのスカウトはどこでも同じである。しかし、いかに将来性のある人材を発見できるかが大きな分かれ目になる。アマンダは自分の「特技」を生かした方法でスカウト活動を始めた。 「実はすごくシンプルなことなんですが、私がスカウトするときの基準は直観なんです。『この子は将来いけるぞ』という子に会うと、ちょうど、みぞおちの少し下あたりが燃えているようにカーッと熱くなって私に知らせてくるんです。ですから、いつ何処にいてもこのサインが来るとすぐにスカウト活動をしてしまう癖がつい。
エージェントを立ち上げてすぐの頃、オフィスに一人飛び込んできた子がいました。14歳の女の子でした。彼女は私のところに来る前に2つのエージェントにモデル登録を頼みに行ったらしいのですが、2つとも断られ、まだ立ち上げて間もない無名の私のオフィスに辿りついたという感じでした。彼女が断られた理由は一目瞭然でした。年齢も年齢でしたし、体も小さく、見るからに野暮ったい中学生で、ある程度完成された子を求めるのであれば、断られて当然だったと思います。ただ、彼女が私の前に来たときに例のサインが来たのです。 アマンダがエージェンシーを運営していく中で、スカウトと同じくらい大切にしていることが、「育てる」ことである。いくら将来有望な人材を確保できても、それを咲かすことができるかどうかは、マネージメントサイドの問題になってくると言う。 「彼女はすぐにでも仕事がしたいと私に訴えてきましたが、キッパリとその申し出を断りました。その代わりに自分自身を磨くための課題をたくさん与えたのです。特に心構えの部分では何度も繰り返し、話をしました。モデルとしての動きや歩き方などは練習すればある程度は身についてくるものです。でもその前に内面からでる美しさがなければモデルとしての成功はありません。彼女にはそれを理解してもらいたかったのです。 トレーニングを数ヶ月積み、彼女は外側も内側も共に成長しました。そうなってくると本人は前にもまして早く仕事を開始したくてたまらないという感じでしたし、実際に私に何度も聞いてきました。しかし、私の答えはまだ『No』でした。年齢的なタイミングが少し早いと思ったからです。ちょうど15歳くらいのときでしたから、子供でもない、かといって大人の中に入れて競わせるには少し弱かったのです。ここで、無理に出して、どっちつかずの状態になり本人が混乱するよりも、自信が持てるデビューをさせたかったので、私自身も我慢をして、タイミングを見計らっていました。 彼女が事務所に入ってから約一年後に、チャンスが巡ってきました。ある有名カメラマンが『新しいモデルで撮ってみたいから、誰かいい子がいたら教えてください』と話を持ちかけてきたのです。今が勝負の時だと思いました。私が彼女を連れてカメラマンのスタジオに行ったところ、その場で次のモデルに決定しました。その後、彼女には仕事がひっきりなしに舞い込むようになりました。オーディションで合格することもですが、カメラマンやメイクアップアーティストたちからの推薦も多くあり、いわゆる口コミの部分でも広がっていったのでした。今はヨーロッパの有名ブランドの仕事も入ってきますし、去年のニュージーランド・ファッションウィークでは11のショーに出演しました。今年の末には日本にも数ヶ月行く予定をしています。彼女のように、人材をみつけ、育て、そしてニュージーランドだけでなく、世界に送り込むというのが私たちのルーティーンになっているのです」 「現在所属しているモデルのうち数十名は今現在、海外に出ています。これは私たちのエージェンシーの方針で、流れを止めないという考えから行っています。オフィスサイドからみれば、ある程度、実力のついた子を外に出すことで、新しい子が活躍するチャンスも増えてきますし、クライアントには『いつもニューフェイスがいるな』という印象を持ってもらうことができます。またオフィスに活気も生まれます。モデル本人にとっては、海外での仕事はすばらしい経験になりますし、自分の方向性を見つけるチャンスにもなります。 ビジネスを立ち上げてから約3年経ちましたが、今はまだ次の目標を設定している最中です。目の前にあることを一つ一つ丁寧にこなしていくことに集中していますが、いずれは全体をもう少しシンプルに、スマートにしていきたいと思っています。世界のどこでも通用するクオリティーの高いエージェンシーという方向に進んでいくことを考えています」 |