Vol.62 自由時間 オークランド大学で音楽留学 |
幼稚園児の時にピアノを始めた義孝さん。高校1年生でいったんレッスンをやめ、5年前にニュージーランドでふたたびピアノをはじめた彼。音楽に寛大なニュージーランドで音楽仲間に大いに刺激を受け、オークランド大学バチェラー・オブ・アートの音楽学科へ進学したのは3年前。「僕にとって人との繋がりが何よりも大きいんです」という言葉の重みだけ、ニュージーランドで学生生活を謳歌した姿が印象的だ。また、「これまでいろんな人に助けられて生きてきたので、今度は音楽を通して人の役に立ちたい」と語る彼。そんな義孝さんに、ニュージーランドでの音楽を通じての学生生活について語っていただこう。
ピアノがいつも傍にあった少年時代
「人との繋がりに恵まれたこと。それが僕にとって何よりも大きいです。」と語る義孝さん。現在、オークランド大学のバチェラー・オブ・アートで音楽を専攻している。 海外留学への第一歩 「海外に興味を持ち始めたのは、海外派遣でメルボルンへ行ったことがきっかけでした。僕の出身の大阪市はメルボルンと姉妹都市提携を結んでいて、大阪市の 中学生がメルボルンに派遣される制度がありました。」義孝さんは、くじ引き、作文と面接試験などを通過し、110人の応募の中から24人の合格者の中に選ばれた。「これが、はじめての海外でした。ホームステイをして大変でしたが、なんとかなるものだと思いました。恥ずかしさもなく、最低限のコミュニケーションはどうにかなったのでしょう。中学2年の終わり頃で、そこで見るもの全てに大いに刺激を受け、目の前の世界が一気に拡がったような感じがしましたね。ブロンドヘアーの女性も輝いて見えましたよ。もっとみんなと会話ができたら楽しいだろうなって思ったんです。そして、中学3年生の時には、友人がクライストチャーチの学校に留学して。それを機に海外留学への関心が高まりました。それで高校1年の夏休みに、クライストチャーチにその友人を訪ねて遊びに行ったんです。2週間くらいホームステイをして過ごして、ニュージーランドって良い国だなってすっかり好きになってしまいましたね。その頃から海外の大学へ進学したい気持ちが膨らんでいきました。学校がホリデーになる毎に、情報収集をしに海外へ行っていましたね。大学進学が視野に入り始めたころ、TOEFL試験を受けました。海外の大学へ行くためには500点は最低必要で、僕は497点。500点以上が入学条件だったシドニーの大学ファンデーションコースにこの結果を 検討していただいて、入学できることになりました。でも、入ったものの大変でしたね。政治、経済、ビジネスなど英語以外の科目も多くて、2セメスターだけ 受ける予定が、3セメスター受けましたし。卒業後、日本にいったん戻って、21歳の時にクライストチャーチの大学で環境学を勉強するためにニュージーランドへ来たんです。」 音楽仲間に刺激を受け音楽の道へ 「クライストチャーチで生活をしばらくして、気づくと音楽仲間に囲まれた生活をしていたんです。結婚式でピアノを弾く機会もありました。ニュージーランドは音楽にすごく寛大で、ピアノを弾いたら喜んでもらえるのが、僕を反対に豊かな気持ちにさせてくれましたね。音楽を通していい刺激をいっぱい受けているうちに、ピアノをもう一度習いたいって思ったんです。先生についてピアノを教わりはじめてから、いっそう音楽との結びつきが強くなりましたね。」カナダで活躍するコン サート・ピアニストと知り合い、彼女の『室内楽セミナー』に参加するために1ヶ月トロントに行くなど、音楽を通したさまざまな出会いを大切にしてきた彼。 「もう一度、音楽を勉強してみたい。こう思ったのは、僕にとっては自然な流れでした。教えることも好きなので、大学で音楽教育学を学びたいと考え始めたん です。オークランド大学しかその学部がなく、ピアノの先生に相談すると、その学部の教授を紹介してくれました。教授と話をして、興味がどんどん沸いていっ たのですが、オークランドには親しい知人がいなかったので、最後までオークランドへ引っ越すことを迷っていましたね。誰一人知らない街でゼロから生活をス タートするのが不安だったのでしょう。最終的に、その気持ちに蓋(ふた)をして、音楽の勉強がしたいという気持ちを優先させてオークランド行きを決心したのです。」 幅広く音楽に接する楽しみ
音楽を幅広く学ぶ目的で、バチェラー・オブ・アートのミュージック専攻に入学した義孝さん。「ニュージーランドは音楽の分野において誰にでもチャンスがあり、卒業生が もっと勉強したい場合は、ヨーロッパやアメリカの大学に進学できる太いパイプを教授が持っています。現在、僕は最終学年で、これまでの授業では、音楽教育 学の中では指導方法、カリキュラム作りなどを勉強し、それ以外にも音楽史やインド音楽、副専攻のドイツ語やドイツ文学など、バチェラー・オブ・ミュージッ クという音大的な学部ではないバチェラー・オブ・アートらしい音楽全般の勉強を楽しんできました。ほかにも入学してからずっと、音楽学部のコンサート・ス タッフのアルバイトをしてきました。音楽を共通語とする仲間と過ごしたオークランドでの日々は、想像を遥かに超えて充実していましたね。 音楽を通して限りなく広がる世界
「日本人との繋がりも大切だと考え、日本食レストランでもバイトをしました。レストランにあったピアノをときどき弾いていたら、そこでも素敵な出会いに恵まれたんです。」義孝さんは、婦人コーラスグループ『さくらの会』の伴奏や福岡デイなど多くの場面で、日本人社会でもピアノ演奏で活躍する。その繋がりで、世界で活躍するメゾソプラノの日本人声楽家と知り合い、現在、声楽を習っているという。「日本人の方々との活動を通じて、日本文化を再認識したこと。これは、ニュージーランドでの僕の大きな変化です。ニュージーランドで沖縄三線(さんしん)や琴との共演、日本歌曲の伴奏をする機会があったり、昨年はタウンホールで初めてお能を鑑賞 したり、日本にいた頃よりも日本文化に接する機会が増えました。日本にも素晴らしい楽器や音楽があるのだと本当に実感させられたんです。僕の周りには日本 歌曲を聴いて、それをチャレンジしている外国人の友達もいて。そういう姿を見るのは嬉しいですね。僕自身は日本文化の趣深さに魅せられ、最近、雅楽に辿り着きました。1200年以上も前から日本の宮廷音楽として形を変えることなく今日まで大切に受け継がれてきた日本文化です。そんな雅楽を研究したいと思うようになりました。 音楽留学したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。 |